many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

閉された言語・日本語の世界

2009-09-30 20:04:17 | 好きな本
鈴木孝夫 昭和50年 新潮選書
きのうからは、日本語の勉強つながり(?)で。(ちょっと強引)
私の持ってるのは昭和58年の20刷。
たぶん高校にあがってすぐか、夏休みにでも読んだんではなかろうか。
そのころ、日本語の勉強が好きだったんで。
これは、もしかしたら、予備校の講師(国語ぢゃなくて英語の時間だったかも)から薦められたんぢゃないかと、遠い昔の記憶がある。
ひさしぶりに押入れから出してみた。(少なくともハタチ過ぎてからは読んでないな。)

そういうわけで、ブランクがあるんで、どういう本か紹介すんのは裏表紙の福田恆存氏(誰?)の推薦文から引用。
>明治以來、今日に至るまで日本語、及びその表記法は難しく非合理的で近代化や進歩の障碍になってゐるといふ偏見、或は劣等感が支配的であるが、著者はさういふ考へ方こそ如何に非合理的であるかを指摘し、一般の日本人がどうしてこの様な劣等感を懐くに至ったか、どうしたらそこから脱け出せるかについて、誰にも解る平易な文章で解明してゐる。
(↑漢字はみんな旧字体なんだけど、めんどくさいんで普通の字にしといた)

まあ、いろいろあるんですが、簡単なおもしろい例をあげると、
家族のなかで話するとき、父親は自分のこと「おとうさんは~」って言ったり、兄は「お兄ちゃんのペンどこやった?」って言ったりしますが、逆はないですね。
逆ってのは、弟が「弟にそれください」とか言わないってこと。
だいたい、そんな感じで日本語の人称って、そのグループんなかでいちばん下の立場の人のから見た視点で作られたりすんですよね。
自己の位置が相対的なんです、英語だったらI=アイは誰が相手でも絶対Iですが。
相手によって自分の立場っていうか存在が決まる、人間関係の把握のしかたがそうだから、相手と同調しちゃおうとする。
また会話の例をあげると、外国人にカタコトの日本語で話しかけられると、カタコトで返しちゃったりする、英語圏のひとってそんなことしない。
状況が変われば言葉の使い方も変わっちゃう、そういう性格が、自我構造っていうか、ものの考え方、コミュニケーションに影響してないわけない。
言われてみれば、ふしぎな言語です。
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百人百句

2009-09-29 16:49:09 | 読んだ本
大岡信 2001年 講談社
きのう短歌だったんで、今度ぁ俳句。
百人一首に対抗(?)すべく、選んでつくられた百人百句。
“百人一句”っていうより百人百様っぽさがあるタイトルですが。
春、夏、秋、冬、そして新年・無季って分類で、百句挙げられています。
古いのも新しいのもあり、芭蕉の時代から現代まで、さまざま。
目次みれば「百句」なんだが、本文にはそれ以外の俳句もふんだんに並べられてるんで勉強になります。

いま久しぶりに秋の項をパラパラと読んでみて、いいなあと思う秋の句は
人それぞれ書を読んでゐる良夜かな 山口青邨
(「ぞれ」んとこは、ほんとは二文字つながりの繰り返し記号(「く」の長いやつ)に濁点ふったやつ=「〲」)
「秋の夜や紅茶をくゞる銀の匙 日野草城」ってのも、いいね。

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現代百人一首

2009-09-28 19:30:25 | 読んだ本
岡井隆 1997年朝日文芸文庫版
おとといの「本朝聊斎志異」の帯に岡井隆が「おもしろすぎる本だ」という賛辞を寄せているつながりで。
私が岡井隆を知ったのは、このブログでとりあげた「短歌パラダイス」を読んだときにすぎない。
もちろん、短歌に関する知識も素養もなんもないんで、ここに選ばれている歌に関して、うまい解説も何もできない。
でも、小林恭二の著書もそうだし、この本を通じて、学校の国語の授業ぢゃ教えてくれなかったけど、強く感じたことは、短歌って自由なんだって感じ。
あえて好きな歌をあげさせてもらえば
「マガジンをまるめて歩くいい日だぜ ときおりぽんと股で鳴らして」加藤治郎

「ゆめにあふひとのまなじりわたくしがゆめよりほかの何であらうか」紀野恵
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諸怪志異 「鬼市」「燕見鬼」

2009-09-27 21:24:34 | 諸星大二郎
諸星大二郎 「鬼市」は1999年、「燕見鬼」は2005年、ともに双葉社
きのう「本朝聊斎志異」だったんで、諸星大二郎の諸怪志異へつながり。
といっても、まえの2巻とは様相が違います。
全体の流れは、おなじみの阿鬼ちゃんが、成長してからの話で、一部を除いて以前のような一話読み切りではなく、続いていくストーリー物になっています。
しかも、ただ霊や魔が見える能力があっただけの阿鬼ちゃんが、剣の達人になって大活劇を繰り広げるんで驚きます。
四巻は、まだ話の途中で終わってるんで、願わくば完結せんことを!
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本朝聊斎志異

2009-09-26 22:59:49 | 小林恭二
小林恭二 2004年 集英社
タイトルは「ほんちょうりょうさいしい」
聊斎志異を気どっての小林恭二の創作です。きのうおとといからは、ちょっと古風な文体っていうか文章表現つながり。
わざと「伉儷甚敦かった」(ふうふなかはとてもよかった)とか、「惻然心動って」(あわれにおもって)とか、「何能何地だわ」(いまとなつてはておくれだわ)とかって表現をつかってます。
舞台は日本にしてますが、聊斎志異同様、狐、妖怪にたぶらかされる話を中心に54話、伝奇的な悲喜劇、読んでてとても楽しい。

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