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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

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2021-06-20 18:54:40 | 読んだ本

高木徹 2005年 講談社文庫版
米原万里さんの書評で、「二一世紀もっとも恐ろしい武器となるのは情報である、という真実を雄弁に裏付ける本」と紹介されていて、興味もったんで、読んでみた本。
結論からいうと、いや、これ、すっごいおもしろかったわ。単行本は2002年刊行らしいけど、とっくに読んどけばよかった。
サブタイトルは「情報操作とボスニア紛争」で、なかみは1992年に始まったボスニア紛争をとりあげたもの、著者はNHKのディレクターとしてドキュメンタリー番組をつくったひとだそうだ。
ボスニア紛争ってのは、もとのユーゴスラビア連邦からボスニア・ヘルツェゴビナが独立したところ、セルビアと対立関係になって、ボスニアの首都サラエボとかで市民が巻き添えで流血おびただしい民族間の戦いになったことだが。
私も本書読むまでなんも詳しいことは知らなかったんだけど、なんとなく、セルビアが残虐な悪いひとで、ボスニアが被害者って図式だとは思ってたんだけど、そのイメージは当時アメリカのPR会社の活動によってつくられたものだった、ってのが本書のテーマ。
>(略)冷戦後の世界で起きるさまざまな問題や紛争では、当事者がどのような人たちで、悪いのがどちらなのか、よくわからないことが多い。誘導の仕方次第で、国際世論はどちらの側にも傾く可能性がある。そのために、世論の支持を敵側に渡さず、味方にひきつける優れたPR戦略がきわめて重要になっているのだ。(p.17)
ということなんだが、いや、二十年近くそういうことを知らずに生きてきたのははずかしい。
主要登場人物のひとりは、ボスニアの外務大臣であるハリス・シライジッチ、当時46歳だけどもっと若くみえる男。
ボスニア政府は、この紛争を「国際化」することを国の政策として決めていて、軍事力では圧倒的に優位なセルビアに対抗するために、力のある西側先進国など国際社会を味方につけようとしていたんで、シライジッチ外相はアメリカを訪れて国務長官と面談したりした。
だけど、アメリカはすぐに乗り出すわけではない、軍事介入すればアメリカ兵の若者が命をかけることになるんだし、議会とおして予算だってつけなきゃいけないし、そんなこと簡単に国民の支持が得られない、だいたいユーゴスラビアなんて石油が出るわけぢゃないからアメリカの国益とは関係ない。
で、国務長官と報道官は、メディアを動かして世論を味方につけなよってアドバイスする、そんなこと考えたこともなかったボスニアの外相は驚く。
そんなときに仲介する人権活動家があったりして、アメリカの大手PR企業のルーダー・フィン社の幹部ジム・ハーフと会う。
ふつうのPR企業は民間企業を相手にするんだけど、ジム・ハーフは外国の政府をクライアントにして国益追及に係るPRを担当することが得意で、すでにボスニアの隣のクロアチアと契約して、クロアチア独立は正当でありセルビア人はひどい連中だっていうアピール活動をしてた。
かくしてボスニアとも契約したハーフのルーダー・フィン社は、情報活動をじゃんじゃんやりだす、外相のメディア向け会見をセッティングしたり、ボスニアのニュースをマスコミ向けに流したり(メールなかった時代なんでファックス送り付ける)、政府や議会に味方つくるためにはたらきかけたり、いろいろやる。
当然のことだけど、ウソついたり捏造したりはしないんだけどね、事実であってもどっち側の立場から見せるかで受け手の印象は操作できる。
シライジッチ外相の振り付けも怠らない、視聴者やメディア取材担当者に訴えかけるにはどう話したらいいかなど徹底的に指導するんだが、この若き外相がハンサムなうえ、知的な感じして、英語も堪能なんで、あっという間に悲劇のヒーロー役を演じるのが板についてくる。
そんなこんなしてると、ボスニアが地球上のどこにあるのか知らなかった人たちのあいだにも、サラエボでは悲劇が起きている、その悪の根源はセルビア人だ、って情報が浸透していく。
それで満足しないのが、このPR企業のジム・ハーフのすごいとこで、それだけぢゃ人々は慣れてしまって、どこか別の場所で紛争が起きたらそっちに関心は移っちゃうだろう、と分析する。
そこで持ち出してきたのが、「人々の心の奥底に触れるキャッチコピー」である、「民族浄化(ethnic cleansing)」。
>ハーフは言う。
>「私たちの仕事は、一言で言えば“メッセージのマーケティング”です。(略)ボスニア・ヘルツェゴビナ政府との仕事では、セルビアのミロシェビッチ大統領がいかに残虐な行為に及んでいるのか、それがマーケティングすべきメッセージでした」
>マーケティングには、効果的なキャッチコピーがつきものだ。それが「民族浄化」だった。(p.113)
ということで、この言葉はメディアの間で急速に広まり、そのインパクトの強さはすごいことになった。
この言葉を使うことで、ボスニア紛争は世界の他の地域の似たような事象と違うと認識され、ホントは複雑な事態なのにセルビア人が悪いっていう単純な構図をつくりあげた。
さらに、そのとき注意深かったのは、第二次大戦のナチス・ドイツによる「ホロコースト」って言葉をあえて避けたという戦術をとったことで、へたに「ホロコースト」を持ち出すと、かえってユダヤ系の反発を呼ぶおそれがあるから、「民族浄化」で感情を刺激してその記憶だけを呼び起こしたってのがポイントである。
かくして、「民族浄化」というフレーズが毎日のようにとりあげられるようになると、ボスニアへの関心が高まったんで、政府や議員にも解決に関わっていくように掛け合うことが可能になってきたんだが、政治家に対しては、「正義」とか「自由」とか「民主主義」とか、そういうののため立ち上がるのがアメリカでしょ、みたいなアプローチをとっていく。
民族紛争は世界各地で起きていて、苦しんでる子供たちはどこにもいるはずなんだけど、
>ハーフは言う。
>「競争の激しいマーケットで、顧客のメッセージをライバルに打ち勝って伝えてゆく。それはどんなクライアントの仕事でも同じです。ボスニア紛争の場合、伝えるべき相手はアメリカの外交政策を決める立場にある権力者たちでした。アフリカのエリトリアには、そこがいくら悲惨な状況でも世界はあまり注意を払いませんでしたね。それにはそれなりの理由があるのです」(p.152-153)
ってPR競争の重要性を知ってる人物がプロデュースしてるボスニアが優先度を増していくことになる、へたに「他の地域も大変だよ」なんて言うと「『民族浄化』を放置していいのか」とか責められかねない。
で、とうとうフィンランドで欧州安全保障協力会議ってのがあった機会に、本会議の前にボスニアの大統領とアメリカの当時の父ブッシュ大統領の首脳会談が行われたんだけど、このときアメリカのPR会社のジム・ハーフは、自身をボスニア政府代表団の正式メンバーとして登録して、会談にも同席させろと要求して、実現させている。
さらに、1992年9月のユーゴスラビアを国連から追放する決議案が採択された国連総会では、ボスニアの大統領の演説の原稿を作成し、ボスニアは多民族国家であって民族共存の社会を守るべきであるというアピールをさせているんだが、この演説はユーゴスラビアの母国語ぢゃなくて、アメリカの視聴者向けに下手でもいいから英語でやらせたっていうんだから、すごい。
かくしてクライアントのために情報戦で勝ったんだけど、ボスニア政府から受け取ったカネはわずか9万ドルだったらしい、ただしこの件の収支よりも、会社の評判が高まったことに価値はあるからいいってことみたいだが。
これ読んで思うのは、2002年の著者あとがきにもあるように、日本ではPR戦略が未成熟だって課題なんだけど。
もっとショックなのは、2005年の文庫版あとがきに、
>(略)ハーフは、中国では政財界のさまざまな有力者と面会し、彼らがいまや資本主義者のように語ることに驚き、圧倒された。そして多くの熱心なオファーを得て興奮していると熱っぽく語った。(p.392)
って、すでに当時、このPRエキスパートが中国の案件に燃えていたってことかな、やれやれ、遅れをとってるねえ。
そもそも1992年ボスニア紛争にとりかかったときも、ルーダー・フィン社からメディアなどに向けた「ボスニアファクス通信」の送付リストには、
>しかし、日本の主要メディアの名前は一つもない。(略)日本語でニュースを流す日本のメディアは、ハーフにとって、国際世論への影響力という意味では眼中になかったのだろう。(p.72)
ってことだったし、しかたないかねえ、くだらない情報の飛び交ってる量だけは多いんだけどね、この国は。
章立ては以下のとおり。
序章 勝利の果実
第一章 国務省が与えたヒント
第二章 PRプロフェッショナル
第三章 失敗
第四章 情報の拡大再生産
第五章 シライジッチ外相改造計画
第六章 民族浄化
第七章 国務省の策謀
第八章 大統領と大統領候補
第九章 逆襲
第十章 強制収容所
第十一章 凶弾
第十二章 邪魔者の除去
第十三章 「シアター」
第十四章 追放
終章 決裂


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2 コメント

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Unknown (sakashu-ss)
2021-07-04 09:39:15
many books様

芦坊と申します。読書がお好きなようですね。ガッツリ読ませていただきました。よろしければお立ち寄りください。
長いメモです? (kanagawa_kun)
2021-07-04 18:13:28
芦坊さま、コメントありがとうございます。
当ブログの最近の書き方は、「あれってどの本にあった言葉だっけ」とかいうときに、自分で検索するためのメモみたいなものになっています。
いちいち長々とした文で、読みにくいかもしれまんせんが、ご容赦ください。
こちらからもときどきお邪魔して拝見したいと思いますので、おもしろい本などご紹介くだされば幸いです。

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