かごめかごめの真実とは

空海様が私に教えてくれた秘密の暗号

行道山浄因寺の寝釈迦は、兵庫県生野、神河町の聖地を向いていた

2016-10-31 13:46:27 | かごめかごめの真実とは

 2016年10月31日(月)

 昨日30日(日)のヒカルランドのセミナーには沢山の方々に来ていただきました。

本当に有意義な思い出に残る一時でした。 

皆様に感謝しています。

又、ヒカルランドの石井社長はじめ、スタップの皆様にも感謝しています。

これからも よろしくお願いいたします。  上森三郎

・・・

28日(金)東京駅で打ち合わせの後、栃木県足利市駅へと行きました。

駅に着いた夜10時過ぎ頃には雨も止んでいました。

そして29日朝には、足利市は綺麗な青空の清々しい天気でした。

駅前でレンタカーを借りて、9:30過ぎに千葉から来られた川辺さんが助手席に乗って、いざ目指す名草の巨石群へと行きました。

                     

弁慶の割石は、見事な方位石でした。 割れ目はキッチリと東西を教えていました。

川辺さんと、テラファイトを水に浸けて実験をしました。

最初風は吹いていませんでしたが、なんとも言えない清らかな風が吹き出しました。

んん~~ん、いつまでもいつまでもその風に浸っていたい気持ちでしたぁ。

・・・

名草の巨石群を見て山から下りてきて、出発する前にマスの塩焼きと味噌おでんで腹ごしらえをして、それから目指したのは行道山浄因寺でした。

行道山浄因寺の寝釈迦は、兵庫県生野、神河町の聖地を向いていました。

行基や空海さま達は、足利の地からも世界の聖地、生野、神河の卑弥呼さんやイエス様の陵墓や、その先にあるマリア様の陵墓を寝釈迦たちに守らせているようです。

後、織姫神社と足利学校を見て、夕方5時には車を返すことができました。

川辺さん、ありがとうございました。 感謝しています。

           

 

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

卑弥呼の陵墓に向かって手を合わせる神社が見つかりました

2016-10-30 07:07:07 | かごめかごめの真実とは

2016年10月30日(日)

 今日は、東京ヒカルランドパークで午後から講演です。

テラファイト・ネオガイアの話と、関東の山と神社の秘密を少しだけ・・話してみたいと思います。

・・・

 やっと卑弥呼おばさんの陵墓に手を合わす神社を発見しました!

10月2日(日)姫路駅から播但線に乗って寺前駅まで行って、そこから古代史研究家の市川慎さんに、ホテルリラクシアまで車で連れて行ってもらいました。

そしてその後、通ったこともない工事費が22億円かかったという立派な林道を通って、賀野神社へと連れて行ってもらいました。

そこでは初めて見る光景ばかりでしたが、今分かることは、重要な場所を、その場所場所からキッチリと見さされていました。

賀野神社から不思議な・・でも印象ある岩だと思っていましたが、その岩が重要な意味を持つ岩だとは・・・。

雷岩という名がついているようですが、正に、神に成った女王卑弥呼の墓を教えているとは・・驚きです。

卑弥呼の墓とこの雷岩と、とある神社の3点を結ぶとほぼ3:4:5の直角三角形を描きます。

林道の途中から見えた、ピラミッドみたいな綺麗な三角形の山も卑弥呼の陵墓を教えるポ重要なポイントの山でした。

そしてまた、武部さんがブログで、

「僕はこの岩山の示す意味は大きいとみている」と感想を述べていましたが、まさにその通りの重大な意味を持つ岩山でした。

そしてその岩山の上のほうに十字架の山も造られていました。

イエスと十字架、十字架と卑弥呼・・ともに隠されてしまったという王家の2人の陵墓に、手を合わす場所(神社や寺)が存在しているということは、歴史の真実を知っている人達が存在するということですね。

11月17日から一泊二日で、イエスの命日と卑弥呼さんが入定したその日に合わせて、御参りツアーをしますが、卑弥呼さんに手を合わせるその神社へも行くことになりました。

ツアーのノアの箱バスの空き席はあと3人です。 

        

 

 

鹿は神様の使いと言いますが、そのような一日でしたぁ。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

名草の巨石群(足利市)は重要なベンチマークポイントです

2016-10-29 07:07:07 | かごめかごめの真実とは

2016年10月29日(土)

 今日、ジャスト12時に名草の巨石群(足利市)で手を合わせます。

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

空海さまは、室戸岬でお仕事をされて居られました

2016-10-28 07:07:07 | かごめかごめの真実とは

2016年10月28日(金)

10月10日朝、再び室戸岬突端の岩場の調査を行いました。

空海さまが私に教えたかったこと伝えたかったことは、この場所が良質の鉄や他の鉱物が採れたということでした。

空海さまは、ここで重要なお仕事をされていましたねぇ。

                                                                                                  

空海しゃまは、ここ室戸岬でアカガニを採って居られたのだ!

んにゃ、アカガネを採って居られたのだに!

穴の中で、ジ~~ッとしてたら皆に追い出されるがに・・。

ホラほら、烏帽子岩の表面は、あばたが一杯じゃろがに・・。

ホラほら、そこの赤いサビたような石をテラファイトにくっつけて見てみんしゃい・・。

「ピタッとくっ付きましたよカニさん」

この三角のスクレーパーは、烏帽子岩に注目!と教えていました。

 

 

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イエスの最期の地も教えられました

2016-10-27 07:07:07 | かごめかごめの真実とは

2016年10月27日(木)

大国主命=イエス・キリストが備前で亡くなって、二日かかって播磨国風土記に記された埴岡の里、現、神河町に埋葬されました。

私は埋められた場所は教えられましたが、亡くなった最後の地はどこなんだろうと思っていました。

ここにきてやっと教えられました。

現在建っている建物が畑や木々に姿を変えれば、イエス様が存命の時とさほど変わらないことでしょう。

一年中穏やかな海と、太陽が降り注ぎ、それはそれは温暖で風光明媚な場所ですね。

この答えの導きも、大地に残された大きな大きな二等辺三角形や2:1√3などの図形と、空海さまの足取りが教えています。

備前から亡骸は船に乗せられ、播磨灘をまっしぐらに姫路港まで東へと進みます。

朝日が昇る方角に船を全速力で漕いだことでしょう。

そして目指すは姫路港で、市川の下流にある甲山(98m)です。

そこから市川を真北上流へと船を進めます。

行けるところまで船は川をさかのぼり、そこから担がれて事前に造られていた標高835mの前方後円墳の前方部に埋葬されました。

要した日数は二日間でした。

  

 ・・・

女性の方が、「備前のどこなのでしょう!?」と、早速、お昼前に事務所を訪ねられました。

備前の今日の天気は、「晴れ」で、温度湿度共にこの上ない素晴らしい気候のようです。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10月9日 馬路村の奥山へと御参りに行きました

2016-10-26 15:41:17 | かごめかごめの真実とは

2016年10月26日(水)

10月9日(日)は室戸岬のホテル明星から馬路村へと車を走らせました。

あいにく小雨がパラツク天気でしたが、天気は回復に向かう気配でした。

空海さまは、長安(現、西安)から帰ってきて真っ先に馬路や生野へと来ていると私は思っています。

馬路は重要な場所だと言うことです。

馬路は、イエス・キリストの生命の樹で言えば、第4のセフラのケセドにあたる場所です。

(ケセドはゲドゥラーとも呼ばれる。数字は4、色は、金属は図形正四面体、宝石はサファイア、惑星は木星を象徴する。王座に座ったで表される。神名はエル。守護天使はザドキエル

今でこそ馬路村は辺鄙な場所ですが、古代には全く逆だったと考えられます。

おそらく太古の遺跡が表土に覆われて隠されていると私は思っています。

    

金林寺で御参りしてから、目指す山へと向かいました。

    

        

 

 

 

                    

二千年前の銅鐸がこの場所にあることが、イエスの生命の樹の意味を教えてくれています。

淡路島からも忽然と銅鐸が出土しましたが、出土した場所は、イエスの生命の樹の第二のセフラの中心部でしたね。

馬路村に着いた時はまだ小雨が降っていましたが、山に入るころには雨は上がっていました。

目指す山に入るにも全く道は無いので、崖みたいな急斜面を上って小山の頂点にたどり着き、そこから尾根伝いに頂上まで登りました。

目指した頂上には、磐座はありませんでしたが、私はその場所に行っただけで、何か胸のつかえが下りて清々しい気分になれました。

見えない御霊の皆さん方が長い年月を経て再会されているようでした。

山から下りて、麓の熊野神社へと呼ばれましたが、そこで手を合わせると、登った山に手を合わせるように神社の向きは配置されていました。

神社の上空には、私達に感謝するかのように、エネルギー体の雲が微笑んでいるようでした。

金林寺で手を合わせると、広島県三次市の弘法山に向かって手を合わせるようになっていました。

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

30日です! ヒカルランドパークです! 1000円と・・・!

2016-10-25 07:07:07 | ゼロ磁場発生装置テラファイト

 10月30日(日) 13:00~15:00 東京 ヒカルランドパークで、上森三郎のゼロ磁場セミナーがあります。

 1000円とは・・、なんとお得な値段ですねぇ!

 この情報を知るのと、知らないとでは人生に大きな大きな差が出ますよ。

 

《ゼロ磁場セミナー》開催です!

講師:上森三郎

 

 

 

見えない世界からの導きで、日本に隠されてきた古代からの地上絵や幾何学的結びつきを次から次へと明らかにする上森三郎さん!
その研究は圧倒的迫力を持って、次第に人々に浸透しつつあるが、同時進行で開発させられたテラファイトというゼロ磁場発生装置、
こちらも次々と不思議現象を起こし、
現在は科学的解明も本格的に進められている。

8月にゼロ磁場セミナーを行いましたが、
今回は上森さんに単独で
ゼロ磁場に関してもっとお話しをしていただきます。

 

もちろん、日本古代史に関する新たな発見、情報もお伝えします!

 

日時:2016年10月30日(日)
開場12:30 開演13:00 終了15:00

料金:1,000円

 

場所:ヒカルランドパーク
新宿区津久戸町3-11 飯田橋TH1ビル7F

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

24番札所・最御崎寺(ほつみさきじ)は、イエス・キリストの墓に手を合わせるように設計されている

2016-10-24 10:42:06 | かごめかごめの真実とは

2016年10月24(月)

10月9日(日) 馬路村の探索からの帰路、夕焼けがあまりにも綺麗なので室戸岬の高台から見ることにしました。

車で上がって行くと、二十四番札所 最御崎寺と目にとまりましたので車から降りましたが、あらためて翌日に来ることにしました。

10月10日(月) の朝は、すがすがしい天気でした。

お遍路さんたちは朝早くから活動されている様子でしたね。

私は、この最御崎寺で手を合わすと何処に向かって手を合わすのか、その角度をワクワクして計測しました。

結果、人はコンパスグラスで測ると19度の方向に向かって手を合わすようになっていました。

門も本堂も、199°に向けて建っていました。

私の頭の中の地図では、その角度はもう間違いなく生野、神河町の方角なので事務所に帰ってからの楽しみとしました。

帰ってから国土地理院地図で計測すると、なんと!神河町にあるイエス・キリストの墓にピッタリと向かって手を合わすようになっていました。

行基や空海さま達の心を思うとき、胸が一杯になります。

この重大な事実を知った上で、そこで手を合わすと、遍路の旅もまた人生をより豊かなものにしてくれることでしょう。

折鶴の心臓部がイエス・キリストの陵墓ですが、そこに向かって手を合わすとは・・・。

                          

 

 

 室戸岬灯台です

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

モーセに手を合わす神社とは保久良神社でした

2016-10-23 07:07:07 | かごめかごめの真実とは

2016年10月22日(土)

 モーセの陵墓に向かって手を合わす神社は、カタカムナで有名な金鳥山の麓にある、保久良神社でした。

この神社に行くには、車では行けません。 道は狭いですし、駐車場もありませんから、最寄りの駅(阪急岡本駅・JR摂津本山駅)から徒歩又は、タクシーで途中まで連れて行ってもらうしかありません。

足が悪い方は、事前にタクシー会社に相談されてみてはと思いますが、どうなのでしょう・・。

この神社はカタカムナに大いに関係する神社でもあるようです。

ひょっとしたら、カタカムナ文字はモーセの文字かもしれません。

 

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鳥取県の地震の意味とは・・

2016-10-22 11:20:21 | かごめかごめの真実とは

2016年10月22日(土)

21日14時7分 神戸でも揺れました。そしてその後、何度か余震を感じました。

鳥取県倉吉市で震度6弱の大きな地震が発生しました。

実はこの震源地域が、初代大王がAD99年に亡くなり倭国大乱が78年ほど続いて、その大王の血を受け継ぐ姫巫女が22歳で共立された女王卑弥呼でした。

その大乱後に再スタートした時、賢者たちが集った場所であり学び舎の地が、東郷湖畔の馬の山古墳群地域だと私は告げられていました。

その地域は紀元前遥か昔から重要な都であり、そのことは先人達が三角法を使って磐座、そしてそこに神社や寺を造って遠くからもお祀りしていました。

鳥取県域は古代、重要な役割を果たした場所でした。

現代の私達に先人賢者達の御霊が、「思い出してください」と注目させているような気がしてなりません。

     


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

後醍醐天皇(陵)は全て知っていた

2016-10-21 07:07:07 | かごめかごめの真実とは

2016年10月21日(金)

 後醍醐天皇陵に15日土曜日に行ってから、急激に隠されてきた日本国の秘密を私は今、教えられています。

モーセの墓 マリア様の墓 イエス・キリストの墓 卑弥呼の墓 トマスの墓・・ の位置情報をハッキリと教えてくれます。

全て三角法で厳密に位置情報を教えます。

そしてそこには、必ず磐座があり、神社やお寺が造られています。

後醍醐天皇は、全てを知っていましたね。

後醍醐天皇陵は、重要で重大なベンチマークポイントでした。

奈具海岸の玉手箱を持った大亀さんの岩も、マリア様のお墓と後醍醐天皇陵に関係していました。

この日本という国は、なんて素晴らしいのでしょう!


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

十字架の山は、イエス・キリストの墓に向けて造られていました

2016-10-20 07:07:07 | かごめかごめの真実とは

2016年10月20日(木)

10月16日(日) 神河町から上小田を通って坂の辻峠を超えたところから、22億円もかかったという林道へと左に入り込んで、少し行ったところから右下の林道へと入って行きました。

目指すのは雪彦山(915.1m)の南に位置する十字架の山でした。

十字架の山の中心点に何があるのか、無いのか・・見に行きました。

 35度3分55.35秒 134度39分0.09秒

 35.065376,134.650025  ズーム:16

 UTMポイント:53SMU68098035

標高:
やはり十字架の山の交点には、磐座が存在していました。
途中、ガメラみたいな方位石もありました。
今回も武部さんのお蔭で目的地点までたどり着くことができました。
武部さんに感謝です。
 
途中、防獣ネットに絡んで死んだ鹿の頭骨を二か所で見ましたが、悲しくもやるせない思いに駆られました。

 

                

 

上部左の、丸い頭のような明神山は、独特の風貌をしていますね

11月からスキー場の工事が始まるという暁晴山(ぎょうせいざん・1077.1m)山頂は、自衛隊の通信基地のようです

大亀のガメラのようでした

 

十字架の縦のラインは、キッチリとイエス様の遺体が入れられた陵墓の前方部の方角55°に向いていました。

十字架の根元にはちゃんと磐座もありました。

そしてそこには大きなモミの木があり、「も~~みのき~、も~~みの木~」とメロディが頭に流れていましたぁ。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

磐長姫神社へ行って卑弥呼さんにご挨拶を・・、きっと喜ばれることでしょう

2016-10-19 10:49:24 | かごめかごめの真実とは

2016年10月19日(水)

 阪急武庫之荘駅から西へ歩いて6~7分ほどのところに磐長姫神社があります。

その神社の本殿は、コンパスグラスで10°方向に向いて御参りするような角度に配置されていました。

その方角にはなんと、大山祗神社(南丹市)があるではないですか。 そしてそのライン上を伸ばしていくと・・、立派な陵墓の存在をみることができます。

その大山祗神社と磐長姫神社と結んで、西へ2:1:√3の地点に陵墓を臭わせる山が、卑弥呼の陵墓の南に存在します。

このピタゴラスの三角形のラインの先には、古代の人達の陵墓が並んでいるようです。

そして・・愛媛県大三島にある大山祗神社の本宮と、南丹市の大山祗神社を結んで、その中間地点から垂線を北へと伸ばしたところに、これまた不思議な文字の存在が目につきます。

これは間違いなく、消された古代史の謎を教えられているようです。

岡山県美咲町にあるマリア様の陵墓と、鳥羽沖に浮かぶ神島の弁天岬をむすぶと、なんと・・、磐長姫神社を通ります。

弁天様(弁財天)は、マリア様の血を引いた磐長姫であり卑弥呼であると教えています。

又、この不思議道の初めの頃、私は、八尾市にある恩智神社へと連れられて行ったことがありましたが、神河町にある卑弥呼の陵墓と、その恩智神社を結ぶそのライン上に磐長姫神社が存在しています。

これらは全て偶然でしょうか。  偶然なんかではありません。

隠された古代の真実の歴史を私達に教える為に、先人達は必死の思いでこれらのことを残してくれています。

今私は、古代の人達のお墓へと、あちらの山こちらの山へと、人知れず眠られている奥山へ御参りさせられているようです。

時々、蛇も出るんですぅ・・。

  

 

磐長姫神社の謎その1

本殿の部分と参道入り口の右手部分では完全に角度が違っているのに、コンパスグラスでは同じ角度になったりします。

磐長姫神社の地下には何が埋まっているのでしょう?

・・

そうそう、磐長姫神社で御参りする方角には、大きな日本列島が浮かぶ伊丹市の昆陽池(こやいけ)もありますねぇ。

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石長姫神社と磐長姫神社が教えるものとは

2016-10-18 10:44:33 | かごめかごめの真実とは

2016年10月18日(火)

上森さんへ

 岡山県備前市西香登本

石長姫神社

http://hach8.web.fc2.com/oozake/38okayama/3802-ishinaga.html#00

です。

市川

・・・

16日、十字架の山から下りてきて、市川町のいつもの喫茶店で、古代史研究家の市川慎さんと一緒に有意義に一時を過ごしました。

生野、神河方面に行った時、市川さんと一緒にコーヒーを飲んだり食事をするのが大好きな私です。

そこで十字架の山の交点に磐座があったことや、磐長姫神社の話をすると市川さんが、

「備前にもイワナガ(石長)姫神社があるよ」と教えてくれました。

そして翌日の昨日、上記のようにメールを送ってくれました。

・・・

その情報をもとに国土地理院地図で、石長姫神社と磐長姫神社の二点を結んで、中央から垂線をあげた場所に、なんとぉ!

 ピンクの十字架の光が映し出された為信神社がピタリと位置していました。

三点は綺麗な二等辺三角形を描きました。

石長姫(イワナガヒメ)は、日本神話に登場する女神

古事記』では石長比売、『日本書紀』・『先代旧事本紀』では磐長姫と表記するようですが、

このイワナガ姫様は、初代大王イエス・キリストの墓の墓守をし、又、自分も自ずから入定した女王卑弥呼でした。

そのことを黄金比率の十字架は見事に教えていましたし、石長姫神社と磐長姫神社は私達にこの重要なことを教えてくれています。

そして・・、為信神社から南へと直角のラインに沿って、神社やお寺が並べられていることも偶然ではすまされません。

一刻も早く、神河町の婀月山卑弥呼の陵墓の磐戸を開けて、卑弥呼の御霊をお祀りしなくてはなりません。

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

磐長姫(石長姫)は女王卑弥呼である

2016-10-17 11:09:08 | かごめかごめの真実とは

2016年10月17日(月)

 武部さんは私に白髭神社と磐長姫神社との関係素晴らしい情報を届けてくれました。

それでこの霊ラインから奈良県吉野にある後醍醐天皇陵との3点が、3:4:5という大矩(おおがね)の直角三角形を描くことが浮かび上がりました。

これはもう、磐長姫神社が重要で重大な意味を教えていることが理解できました。

・・それで私はもう、一刻も早く磐長姫神社へと参拝に行き、その足で吉野の後醍醐天皇陵へと行きました。

15日(土)の出来事です。

        

 磐長姫神社に着くと、境内上空に六甲山の方角からエネルギー体の不思議な雲が現れ、その雲は、吉野までついて来たようで、そしてずっと私の上に陽が沈むまでいたような気がしました。

     

 

 

 後醍醐天皇が、「磐長姫は、イエス・キリストの血を引く、女王卑弥呼である!」と。

磐長姫(石長姫)は、248年11月17日イエス・キリストの命日を選んで、自ずから造営した陵墓に入定しました

その5日後に命は途絶えました。享年71歳でした。

卑弥呼は自分の命と引き換えに、倭国大乱後に修復した我が国が再び分裂するのを食い止めようとしました。

でも・・卑弥呼が政権を安定させたウガヤの流れをくむ側は、卑弥呼を失ったことで政権を奪われ、クーデターを企んだものたちの思うままに国造りが行われていきました。

ですから、純粋に自分の命と引き換えに、国が真っ二つに割れることのないようにと願って卑弥呼が入定したのですが、結局は卑弥呼が想定していなかった大混乱が国中で続いたことでしょう。

磐長姫がブスで醜い女として語られている由縁でしよう。

自分の命をかけて行った行動が理解されないどころか、1700年以上にも渡って、ブスで見にくい女の代表にされては可哀そうでなりません。

その存在さえも隠され続けているわけです。 

人間は肉体を無くしても、魂はこの世に生き続けています。

卑弥呼を始め、この国の礎を築かれたイエス・キリストやモーセらの御霊が、それを黙って見過ごすことはしないでしょう。

一日も早く、神河町にある卑弥呼の陵墓の中に眠る卑弥呼の磐戸を開けて、供養しなくてはなりません。

これができなければ・・、ますます世界は混乱していくことでしょう。

この地球上でおこる事象は、目に見えるものの影から目に見えない霊体によって動きが決められるからです。

磐長姫様は、身体も御霊も・・、人類まれにみる美人で、世界の人々に愛されるべき女性なのです。

 

  おお~、この文章を書き足して何気なく外を見ると、綺麗な満月のお月さんが微笑んでいましたぁ!

 PM7:35 突然、武部さんから携帯に電話がかかってきました。

「電話をいただきまして・・」と武部さん。

「エッ、電話はしていませんよ。指一本もさわっていませんよ」と私。

「そうですかぁ・・、卑弥呼さんが武部さんにお礼を言いたかったのでしょう」と私。

昨日のことをブログにUPしましたから・・」と武部さんは報告してくれました。

・・

 武部さんは以前から、磐長姫がブスで醜いと言われているが、その逆ではないかと以前から思っていたと言われます。

そしてブログで磐長姫神社の情報を私に伝えてくれたので、月の世界に自ずから旅立たれた卑弥呼さんが、窓越しに見ていて、私の携帯電話で武部さんに電話したようですね。

このようなことが現実にあるのですね。  本当に驚いてしまいました。  その場に居てた人も驚きの事象でした。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする