2016年10月26日(水)
10月9日(日)は室戸岬のホテル明星から馬路村へと車を走らせました。
あいにく小雨がパラツク天気でしたが、天気は回復に向かう気配でした。
空海さまは、長安(現、西安)から帰ってきて真っ先に馬路や生野へと来ていると私は思っています。
馬路は重要な場所だと言うことです。
馬路は、イエス・キリストの生命の樹で言えば、第4のセフラのケセドにあたる場所です。
(ケセドはゲドゥラーとも呼ばれる。数字は4、色は青、金属は錫、図形は正四面体、宝石はサファイア、惑星は木星を象徴する。王座に座った王で表される。神名はエル。守護天使はザドキエル)
今でこそ馬路村は辺鄙な場所ですが、古代には全く逆だったと考えられます。
おそらく太古の遺跡が表土に覆われて隠されていると私は思っています。
金林寺で御参りしてから、目指す山へと向かいました。
二千年前の銅鐸がこの場所にあることが、イエスの生命の樹の意味を教えてくれています。
淡路島からも忽然と銅鐸が出土しましたが、出土した場所は、イエスの生命の樹の第二のセフラの中心部でしたね。
馬路村に着いた時はまだ小雨が降っていましたが、山に入るころには雨は上がっていました。
目指す山に入るにも全く道は無いので、崖みたいな急斜面を上って小山の頂点にたどり着き、そこから尾根伝いに頂上まで登りました。
目指した頂上には、磐座はありませんでしたが、私はその場所に行っただけで、何か胸のつかえが下りて清々しい気分になれました。
見えない御霊の皆さん方が長い年月を経て再会されているようでした。
山から下りて、麓の熊野神社へと呼ばれましたが、そこで手を合わせると、登った山に手を合わせるように神社の向きは配置されていました。
神社の上空には、私達に感謝するかのように、エネルギー体の雲が微笑んでいるようでした。
金林寺で手を合わせると、広島県三次市の弘法山に向かって手を合わせるようになっていました。