かごめかごめの真実とは

空海様が私に教えてくれた秘密の暗号

縁ありし人達が集われました

2015-05-31 22:24:05 | かごめかごめの真実とは

2015年5月31日(日)

 全国から縁ありし人達が高砂・加古川市へと集われました。 

東京 千葉 神奈川 岡山 山口 福岡 岐阜 大阪 と、

皆様、本当に遠方からご苦労様でしたぁ! 感謝申し上げます。

AD32年5月22日 蘇我氏 物部氏の推挙で、キルギス生まれで35歳のイエス・キリストが

初代大王として即位宣言をした高砂市の高御位山へと皆さんで登りました。

大王の印のライオンの横顔の岩をバックに記念撮影をしました。

そして、「皆さん、案内板の方角に向かって、ヤッホ~~と二回言いますよぉ! 良いですかぁ!」

「ヤ~~ッホー~~~~! ヤ~~~ッホ===!!」と皆さん元気でしたねぇ。

ヤッホーとは神様の意味なんですね。  ご存じでしたかぁ・・。

そして下山して、イエス様の公的なお墓へと行きましたぁ。・・もうここは加古川しになります。

献花台にお供えをして、皆さん思いのままに祈っていただきました。 ・・ そこから思いもよらないドラマの展開がありました。

 思い出に残る楽しい一時をありがとうございました。

  感謝いたします。心をこめて ありがとう!

 武部さんの報告 その1

武部さんの報告 その2

     

    


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教育者は正しきことを伝えましょう

2015-05-30 10:29:59 | かごめかごめの真実とは

2015年5月30日(土)

講師の銅鐸研究で知られる難波洋三・奈良文化財研究所埋蔵文化財センター長が地元の中学生ら約600人に、

「・・・、銅鐸は、農業の祭りに使う道具だったと考えられる」と話したとの記事。

そしてこの記事の中に、兵庫県は銅鐸の出土数が全国最多であるとも書かれています。

・・・

「農業の祭りに使う道具だったと考えられる」などと言ってたら、あちらでヒソヒソ、こちらでヒソヒソと、

「あの人、よくあんなことを大勢の前で言えるわねぇ、測量の器械なのにぃ・・」

「銅鐸にある、穴とその形に共通性があるのが分からないのかしらねぇ」

「銅鐸が測量の器械だったなんて、知ってても立場上言えないのかしら・・、そうだとしたら可哀そうねぇ」

・・などと、冷ややかな視線で見ている賢い生徒さんも居てたかもしれませんね。

兵庫県で沢山出土している理由が、そろそろ歴史の表舞台に明るみになっていくことでしょう。

 

下げ振りを吊るす「環」まで再現されていますね。

・・・

私の手元にも三分の二の銅鐸のレプリカがあります。

  

 

レプリカの銅鐸は三分の二の大きさなので、銅鐸から距離を置いて覗かなくてはなりません。

 

現代の測量の仕方で、銅鐸と鏡と下げ振りと糸があれば測量ができますね。

 

     

         

 

 測量に必要な観測点を決めるための「下げ振り」もセットで出土していますね。

銅鐸本体には、その下げ振りを吊るす穴もあって、視線を透過させる穴もちゃんとありますね。

現在使われているレベルやトランシットとなんら変わりません。

銅鐸が測量の器械であったということを大勢の学生さんに教えることで、

我が国の礎を築いた先人達は、いかに知的な頭脳集団であり平和的理想国家建設に一丸となって邁進したかを自ずと思い知ることでしょう。

 教育者は、正しきことを伝えましょう!

日本の古代史の中でも、謎の物体が「銅鐸」だ。 弥生時代、紀元前2世紀から、紀元2世紀にわたって約400年間作られ、その後姿を消した謎の青銅器である。 その使い途は明らかではないが、ほとんどの論者は祭祀に使われたという説を唱えている。内部に木や青銅でできた「舌(ぜつ)」と呼ばれる部品を垂らし、銅鐸そのものを揺らすか、舌のみを揺らして内面にあてて音を出したというのだ。その後、銅鐸そのものが巨大化し、鳴らすものではなく、いったという。

さて、上の図は、銅鐸の代表的な形である。 ほとんどの銅鐸に共通する要素は何だろうか? 形はだいたい似たような形をしている。 銅鐸本体の「鐸身(たくしん)」と上部の「鈕(ちゅう)」に分けられ、鈕の真ん中には穴があいている。鐸身は末広がりになっているが、直線的に広がっているものと、下の方ほど広がりが大きくなるものがある。 そして、鈕と鐸身をぐるっと囲むように鰭(ひれ)がついている。最も初期のものには鰭がないものもある。 後期のものでは、鰭にさらに「飾り耳」と呼ばれる突起が付く。そして、大型化していくのだ。 鐸身の文様は、文様のないものもあれば、「流水文」、「袈裟襷(けさだすき)文」や、人物や動物などの線画の描かれたものなどさまざまである。 ここで、気になるのが、鐸身にあいた穴である。通常「型持穴(かたもちあな)」と呼ばれる。「舞(まい)」と呼ばれる鐸身上面の平らな部分に鈕の穴を挟むように2個、鐸身の上部の鰭に近い部分に表裏各2個、鐸身下部には、「穴」というより「刻み」のような形でこれも表裏各2個、全部あわせて10個の穴があいている。 「型持穴」という名称は、鋳造するときに、内型と外型の間に青銅を流し込むための隙間を作るために、内型に隙間の厚さ(=鐸身の厚さ)に相当する高さの「出っ張り」を作っておいたものが、穴として残っているという考え方に基づいた名称である。ちなみに銅鐸の鐸身の厚みは2~3ミリで、現代の鋳造技術でもこの薄さできれいに鋳造することは困難だそうだ。だとすると、銅鐸そのものが「オーパーツ」(作られた当時の技術がその後失われてしまった工芸品)と言ってもよいのではないだろうか。 もしこれらの穴が「型持穴」であったとして、では、なぜこの個数、この位置なのであろうか?それに対する合理的な説明はあるのだろうか?銅鐸を作った人たちは、穴が残ってしまうことを不本意に思わなかったのであろうか? これに対し、上森は「銅鐸は測量機器だ」という。

鐸身の上部にあいた穴は「覗くための穴だ」というのだ。 2013年8月28日、上森は実際に出雲の歴史博物館で、展示された銅鐸を使ってこのことを確認している。 「銅鐸の細いほうから両眼で穴を見て、反対側の穴を見通すとどうでしょう・・・!! 焦点が暗い中に1点に綺麗に映し出されたのです」 すなわち、遠くの観測点に向かって、正確に銅鐸の向きを決められるのだ。その観測点には、銅剣を立てたのであろう。この説ならば、穴がこの位置にあることが合理的に説明がつくのだ。 さて、通常の説では、上面の「舞」にある2つの穴は、「型持穴」でもあり、「舌(ぜつ)」と呼ばれる内側から鐸身をたたく部品を吊り下げるため鎖またはひもを通す穴を兼ねていると言われている。 しかし、「測量機器」という文脈で見ると、これも変わってくる。 現在でも測量の基準となる地点の地面には石や金属の目印を設置し、三脚を立てて、三脚の上の「レベル」という測量器具がその基準点の真上になるように、「下げぶり」という分銅を垂らして位置決めをしている。 銅鐸はその「レベル」にあたる器具なので、やはり中心から分銅を垂らして、基準点の真上に設置したというわけだ。舞にある穴はそのために使われる。

さらに上森は、鐸身下部の「刻み」や「飾り耳」の用途も解明した。 上図のように、細いひもを鈕の最上部の「飾り耳」からさらに鐸身横の「飾り耳」に架け、下部の「刻み」に架け、交差させて、地面には同じ幅でひもを固定する装置を作っておけば、交差したひもが触れ合うとき、銅鐸は安定してしっかり固定され、観測点の方向を示すのだ。 さらに、地面に置いた器具も同じ方向を示すことになる。 おそらく、「飾り耳」がないころは、鈕の穴と下部の「刻み」だけでこれと同じことをしていたのではないだろうか。そして、ひもの固定がしやすく、ひもの長さも調整しやすいように改良されて、「飾り耳」がついたと推測できるのである。現場の声が反映したのであろう。もちろん、単なる「飾り」ではない。 そして、一緒に出土することの多い銅鏡は、測量現場では分度器であり水平器、また光通信の道具でもあったであろうと推測されるのである。

上の写真は、一般には有鉤銅釧(ゆうこうどうくしろ)と呼ばれる、銅鐸と同時代の青銅製品である。 釧(くしろ)というのは、腕輪のことである。 沖縄などの南の海で採れるゴホウラという貝で作った腕輪を青銅で模倣するうちに、このような鉤(かぎ)のついた輪の形になってしまったと言われているのである。 ところが、この製品、銅鐸を使った測量に役立つのである。 われわれはこの製品を「銅鐸吊り金具」と名付けることにする。 先に「舞」にあいている穴は舌(=下げぶり)を吊り下げるための鎖またはひもを通すために使われると書いたが、神戸市渦ヶ森銅鐸などは、舞の裏側の中央に環がつけられているので、この穴を使う必要がない。

そこでこの「吊り金具」の登場である。適当な長さの1本のひもを、2つの「吊り金具」の輪の部分に通してつなげて、ひもを結んで輪にしておき、それを組んだ木に架けて、「吊り金具」が下にぶら下がるようにしておく。そこに銅鐸を持ってきて、舞にあいた2つの穴に鉤の部分を両側から互いに逆向きになるように掛けるのである。 これで、取り外しが楽になり、ひもを架けて調節する際にも、ひもが絡まったりすることが防げて便利になる。特に斜面での測量などの場合に威力を発揮することは間違いない。


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第二幕 ゲームオーバーです!

2015-05-28 20:50:38 | かごめかごめの真実とは

2015年5月28日(木)

 2014年10月16日(木)に交野市の交野山に行かされて

空海様が彫り込んだであろう梵字の「阿」を見せられて、第二幕の幕開けを告げられた私でした。

それから凡そ7か月ほどで第二幕の幕が閉じられようとしているようです。

 第二幕 ゲームオーバーです!

 黄金比率の巨大なモーセの十字架が出現しました。


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二上山の秘密、解けました!

2015-05-27 18:29:06 | かごめかごめの真実とは

2015年5月27日(水)

 スタップサロンにいつも遠くから来ていただくM浦さん。

Mさん :「家の近くに二上山という山がありましてね、・・なぜか気になるんです」

私  :「そうですかぁ・・」

・・といつも聞き流していた私でしたが、先日来られた時も、

Mさんが、「二上山がね・・・」と言われるので、その時パソコンに国土地理院のウォッチ図を開いていましたので、

「どのあたりですかぁ・・」とその場で教えてもらった私でした。

その時、「どうして今日来たのかわかりませんけど・・」と言われていたので、今日その場所を見てみると・・・。

なんとぉ!! もう正に、なんどもメッセージを届けてくれていたM浦さんでした。

  Mさん、ありがとう!!

    二上山の秘密、解けました!

 麻呂子山へ登って見てください!    ご報告まで・・。

 

   武部さんに何らかの力が働いたようです


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眠りから覚めて

2015-05-26 19:58:38 | かごめかごめの真実とは

2015年5月26日(火)  

 いつものように深い眠りから覚めて・・・。

そして・・、 大発見!


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私はいったい何者!?  だれ??

2015-05-25 15:17:26 | かごめかごめの真実とは

2015年5月25日(月)

 旧約聖書・新約聖書の主人公の方々の本当のお墓を特定した私でしたが、

いつもの通り、眠りから覚めて国土地理院のウォッチ図を開いて、二人の大王が眠るお墓にマーキングして、

点と点を結び、それを底辺とする2:1:√3あたりのポイントを拡大すると・・・

・・・、なんとぉ!! なんと、です。 三郎と言う山が目に飛び込んできました。

 私の名前は 三郎 なんですね。  サブロウ・・・。

等高線地図を見る限り、まさに人工的な山ですし、綺麗な円錐形の高い山です。

あまりにも話は飛び過ぎていますし、あまりにも不可思議過ぎる話です。

何なんでしょう、これは・・・?? 私はいったい何者!? だれ??

もう神様がゲームをやっているとしか私には思えません。

それは私が生まれた地域にも大いに関わっているようです。

私の御祖父さんが生まれた山に、日本に最初にアークが持ち込まれたという話があるらしくて、それをよ~~く知って居られる方も実は多いようです。

地元の人達が知らないだけで・・・。

  どうも・・芦北地方には古代王朝があったということですが、地理的条件を見ていくと、

葦北(以前はこの文字を使っていました)という地名にも大いに意味がある気がしてきました。

大国主命の別名が葦原色許男命(あしはらのしこおのみこと)で、

その葦原色許男命も来た。・・ので、「葦が来た」・・が、「葦北」・・そして、「芦北」となったと私には聞こえてきます。

・・・

 対馬を見通せる対馬見山と言う重要な山がありますが、その真南へと線を伸ばすと、その芦北に行きつきます。

ここは十分に安全に王国を築きやすい地形であることが理解できます。

そしてそこにも2:1:√3の頂点に私の御祖父さんが生まれた山が位置しています。

  私はいったい誰!?

 


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イエス・キリストの黄金の十字架が出現!

2015-05-22 17:16:02 | かごめかごめの真実とは

2015年5月22日(木)

 これは大変んなことですよ~!

  イエス・キリストの黄金の十字架が、

我が日本の国土に刻み込まれていました。

     とうとう浮かび上がってしまいましたぁ!!

99年11月17日に亡くなられた(享年102歳)

イエス・キリスト=大国主命の命日を

入定日ときめて決断実行された女王卑弥呼様は、

   イエス様の大事なお墓の守りをされていたんですね。

 

 


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第5番目の十字架が浮かび上がりました

2015-05-21 17:48:53 | かごめかごめの真実とは

2015年5月21日(木)

第42回 上森三郎セミナー 2015年5月23日(土) PM1:00~

 一ケ月が早いものですねぇ。 

明後日の土曜日のセミナー 、まぁ盛りだくさんの内容ですねぇ。

筋書きはありませんから、何を言わされるやら・・です。

邪馬台国の謎も完全解明に近いようですね

大変ですよ~~! 世界が仰天するようなことがこれから起きるのでしょうね。

昨日は、21時過ぎにやっと、女王卑弥呼様への謁見ルートを地図に書き終わって

「やった~~!」と言ったのと同時に、「ドド~~ン!」と大きな雷に見舞われました。

やっとゴールに入った合図なのか、祝福されたのか、本当にタイミングのよい轟きでした。

そして・・、今日です。 2015年5月21日(木)PM3:00頃でしょうか。

  第5番目の十字架が日本列島に浮かび上がりました。

もうこれで十字架を描かされることはないでしょう。 

本当に世界中の人達が捜し求めていた十字架でしょうから・・・。

 さぁ~大変ですよ~~!! 

世界は大きく激変していくことでしょう。


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御礼とお知らせ

2015-05-21 10:29:52 | かごめかごめの真実とは

2015年5月21日(木)

17日はどうなるのかと・・、正直ドキドキしていました。

事なきを得て、安堵しています。

これもFさんやオーストラリアのYさんや、人知れず幾人かの人達が真剣に祈っていただいたことでストップできたと思っています。

祈るのは誰でもよいのですか」と私。

誰でもよい・・」

何人の人が祈ればよいのですか」と私。

一人だけでよい・・」

・・と言うことでした。

 本当にありがとうございました。  感謝申し上げます。

・・・

そして昨日の山田さんを囲んでの「テラファイトご愛用者様ランチ会」にはお忙しい中、遠方よりおいでいただきましてありがとうございました。

「大変感動しましたぁ」

「楽しいひと時でしたぁ」

「次あるときにも、ぜひ連絡くださいね」・・と皆さん、大変有意義なひと時だったようです。

私も大変、感激、感動いたしました。

次回は、元Jリーガーでスタップサロンで、テラファイトを使って施術をやって居られる内藤潤さんの予定です。

内藤さんのお話も、大変勉強になると思いますよ。 私も今から楽しみです。

・・・

それと・・、5月31日の「イエス様のお墓参りツアー」ですが、大型バスで姫路から出発することになっていますが、もう満席の状態になってしまいましたので、「あと御一人で締め切らさせていただきます

本当に沢山の方々のお申込みありがとうございました


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女王様への謁見ルートは全て解明されました

2015-05-20 19:55:53 | かごめかごめの真実とは

2015年5月20日(水)

魏志倭人伝に記された女王卑弥呼さまへの謁見ルートが全て解明されました。

帯方郡の出発港は現在の仁川(インチョン)であり、最終港は仁川(現在の西宮)でした。

卑弥呼さんが生きられた時代、の神様たち旅の御一行方は、仁川から仁川を往来されていました。

帯方郡の港、仁川(インチョン)から 狗邪韓国の港、馬山(マサン) 

そこから対馬の美津島箕型の港上陸して、そこから厳原の港まで歩きます船を乗り換えます。

あるいは、小舟の場合や急ぎの場合は、小船越の西の漕手船を陸に引き揚げてもらって反対の港へと運んでもらいます。

そうやって対馬から壱岐、それから呼子(佐賀)の港に到着して一度上陸します

そこから吉 岡 津へとわざわざ陸路です。 

そして津の港から船に乗って関門海峡を南下して一度宇佐八幡の神様にご挨拶してから中国山脈を南行山の大門へと到着します。 凡そ20日です。

そこから10日で、仁川です。港は現在の西宮です。西宮には恵比須様の総本宮がありますよ。

さぁ宿営した仁川から 宝塚 三田篠山 春日を通って 知山でした。 そしてそこから西へ行って粟鹿が旅人である神様達が到達する宿営地です。 凡そ1か月を要しました。

ここから面会を許された人達が、女王様の居城である生野、神河の栗へと行かれました。

その神河町の779mの婀月山に女王卑弥呼さまの陵墓があります。

 

 

今、卑弥呼さまが全てを教えてくれます。

 

 

この世とあの世を繋ぐゼロ磁場発生装置テラファイト卑弥呼を作ってから、

一気に隠された真実を加速度的に教えられています。


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銅鐸は測量するための器械ですよ!

2015-05-20 18:49:30 | かごめかごめの真実とは

2015年5月20日(水)

邪馬壹国(しゃもいっこく)・・、

皆さんが言われるところの邪馬台国の謎は、完全に解明されました

淡路島で銅鐸が発見されたことが、今日のニュースの記事に出ていましたが、

新聞の記事を読んで嘆かわしいのは、銅鐸をいつまで祭祀の道具と言い続けるのでしょうかね。

銅鐸は測量の器械なんですよぉ~~!!

ちゃんと、測量するときに大事な基準点を出すための下げ振り もちゃんとセットで出土しているではありませんか。

平和的近代国家を作り上げるには、この国土を正確に測量、検地することから賢人達は始められたんですね。

それは紀元前から行われていましたが、初代大王イエス・キリストでそれに一段と拍車が掛けられます。

でも・・、イエス=大国主命がAD99年11月17日、現在の岡山県備前市で亡くなられる(享年102歳)や、我が国は覇権争いで80年ほど戦場に変わりました。

当然として悠々と測量などやれる環境にありませんから、その測量器械は、土に埋められたということです。

私は建築業界に30年間身を置き、一応一級建築士の資格も持っていますが、現在でも測量する時に使うレベルやトランシットを設置する時に必ず基準点を正確に決めなければなりません。 

全く太古の時代から同じように下げ振り(重り)に糸を付けて正確に基準点をだして、測量されていたのだと安心しますし、先人達に会ってみたいと言う気持ちも沸いてきます。

  銅鐸はな~~んだ!と、出雲に行って教えられましたぁ

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銅鐸や銅鏡、銅剣は測量の器械でしたが、銅鐸と銅鏡で日時計にもなりますね。

 

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下げ振りの棒にちゃんと糸を通す穴も作られていますねぇ!

本体の上部には下げ振りを吊るす穴もちゃんとありますね。

銅鐸本体にも、のぞき穴がちゃんとありますよぉ!

この銅鐸が発見された淡路島の松帆地区は、

私が教えられたイエス様の生命の樹の第2のセフィラであるコクマー(知恵)にあたる場所です。

今日まで、淡路島の西端には何があるんだろうと思っていましたが、銅鐸発見のニュースで、

イエス様の生命の樹の正当性が立証された気がしています。

 

レプリカの銅鐸は三分の二の大きさなので、銅鐸から距離を置いて覗かなくてはなりません。

現代の測量の仕方で、銅鐸と鏡と下げ振りと糸があれば測量ができますね。

     

         

 

日本の古代史の中でも、謎の物体が「銅鐸」だ。 弥生時代、紀元前2世紀から、紀元2世紀にわたって約400年間作られ、その後姿を消した謎の青銅器である。 その使い途は明らかではないが、ほとんどの論者は祭祀に使われたという説を唱えている。内部に木や青銅でできた「舌(ぜつ)」と呼ばれる部品を垂らし、銅鐸そのものを揺らすか、舌のみを揺らして内面にあてて音を出したというのだ。その後、銅鐸そのものが巨大化し、鳴らすものではなく、いったという。

さて、上の図は、銅鐸の代表的な形である。 ほとんどの銅鐸に共通する要素は何だろうか? 形はだいたい似たような形をしている。 銅鐸本体の「鐸身(たくしん)」と上部の「鈕(ちゅう)」に分けられ、鈕の真ん中には穴があいている。鐸身は末広がりになっているが、直線的に広がっているものと、下の方ほど広がりが大きくなるものがある。 そして、鈕と鐸身をぐるっと囲むように鰭(ひれ)がついている。最も初期のものには鰭がないものもある。 後期のものでは、鰭にさらに「飾り耳」と呼ばれる突起が付く。そして、大型化していくのだ。 鐸身の文様は、文様のないものもあれば、「流水文」、「袈裟襷(けさだすき)文」や、人物や動物などの線画の描かれたものなどさまざまである。 ここで、気になるのが、鐸身にあいた穴である。通常「型持穴(かたもちあな)」と呼ばれる。「舞(まい)」と呼ばれる鐸身上面の平らな部分に鈕の穴を挟むように2個、鐸身の上部の鰭に近い部分に表裏各2個、鐸身下部には、「穴」というより「刻み」のような形でこれも表裏各2個、全部あわせて10個の穴があいている。 「型持穴」という名称は、鋳造するときに、内型と外型の間に青銅を流し込むための隙間を作るために、内型に隙間の厚さ(=鐸身の厚さ)に相当する高さの「出っ張り」を作っておいたものが、穴として残っているという考え方に基づいた名称である。ちなみに銅鐸の鐸身の厚みは2~3ミリで、現代の鋳造技術でもこの薄さできれいに鋳造することは困難だそうだ。だとすると、銅鐸そのものが「オーパーツ」(作られた当時の技術がその後失われてしまった工芸品)と言ってもよいのではないだろうか。 もしこれらの穴が「型持穴」であったとして、では、なぜこの個数、この位置なのであろうか?それに対する合理的な説明はあるのだろうか?銅鐸を作った人たちは、穴が残ってしまうことを不本意に思わなかったのであろうか? これに対し、上森は「銅鐸は測量機器だ」という。

鐸身の上部にあいた穴は「覗くための穴だ」というのだ。 2013年8月28日、上森は実際に出雲の歴史博物館で、展示された銅鐸を使ってこのことを確認している。 「銅鐸の細いほうから両眼で穴を見て、反対側の穴を見通すとどうでしょう・・・!! 焦点が暗い中に1点に綺麗に映し出されたのです」 すなわち、遠くの観測点に向かって、正確に銅鐸の向きを決められるのだ。その観測点には、銅剣を立てたのであろう。この説ならば、穴がこの位置にあることが合理的に説明がつくのだ。 さて、通常の説では、上面の「舞」にある2つの穴は、「型持穴」でもあり、「舌(ぜつ)」と呼ばれる内側から鐸身をたたく部品を吊り下げるため鎖またはひもを通す穴を兼ねていると言われている。 しかし、「測量機器」という文脈で見ると、これも変わってくる。 現在でも測量の基準となる地点の地面には石や金属の目印を設置し、三脚を立てて、三脚の上の「レベル」という測量器具がその基準点の真上になるように、「下げぶり」という分銅を垂らして位置決めをしている。 銅鐸はその「レベル」にあたる器具なので、やはり中心から分銅を垂らして、基準点の真上に設置したというわけだ。舞にある穴はそのために使われる。

さらに上森は、鐸身下部の「刻み」や「飾り耳」の用途も解明した。 上図のように、細いひもを鈕の最上部の「飾り耳」からさらに鐸身横の「飾り耳」に架け、下部の「刻み」に架け、交差させて、地面には同じ幅でひもを固定する装置を作っておけば、交差したひもが触れ合うとき、銅鐸は安定してしっかり固定され、観測点の方向を示すのだ。 さらに、地面に置いた器具も同じ方向を示すことになる。 おそらく、「飾り耳」がないころは、鈕の穴と下部の「刻み」だけでこれと同じことをしていたのではないだろうか。そして、ひもの固定がしやすく、ひもの長さも調整しやすいように改良されて、「飾り耳」がついたと推測できるのである。現場の声が反映したのであろう。もちろん、単なる「飾り」ではない。 そして、一緒に出土することの多い銅鏡は、測量現場では分度器であり水平器、また光通信の道具でもあったであろうと推測されるのである。

上の写真は、一般には有鉤銅釧(ゆうこうどうくしろ)と呼ばれる、銅鐸と同時代の青銅製品である。 釧(くしろ)というのは、腕輪のことである。 沖縄などの南の海で採れるゴホウラという貝で作った腕輪を青銅で模倣するうちに、このような鉤(かぎ)のついた輪の形になってしまったと言われているのである。 ところが、この製品、銅鐸を使った測量に役立つのである。 われわれはこの製品を「銅鐸吊り金具」と名付けることにする。 先に「舞」にあいている穴は舌(=下げぶり)を吊り下げるための鎖またはひもを通すために使われると書いたが、神戸市渦ヶ森銅鐸などは、舞の裏側の中央に環がつけられているので、この穴を使う必要がない。

そこでこの「吊り金具」の登場である。適当な長さの1本のひもを、2つの「吊り金具」の輪の部分に通してつなげて、ひもを結んで輪にしておき、それを組んだ木に架けて、「吊り金具」が下にぶら下がるようにしておく。そこに銅鐸を持ってきて、舞にあいた2つの穴に鉤の部分を両側から互いに逆向きになるように掛けるのである。 これで、取り外しが楽になり、ひもを架けて調節する際にも、ひもが絡まったりすることが防げて便利になる。特に斜面での測量などの場合に威力を発揮することは間違いない。


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狗邪韓国の港は、馬山(マサン)である

2015-05-19 16:43:33 | かごめかごめの真実とは

 2015年5月20日(水)

從郡至倭循海岸水行歴韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國七千餘里  

帯方郡から倭に行くには、海岸に沿って航行し、

韓国を経由して、あるときは南にあるときは東にすすんで、

その北岸の「狗邪韓国」に到着する。約七千里である。

・・・

 

この魏志倭人伝に書かれた帯方郡の出発港は仁川(インチョン)であり、そこから約七千里で着く狗邪韓国の港は、馬山(マサン)である。

 その解は、中国遼寧省鞍山の千山から呼子(佐賀県)までを結ぶモーセの霊ラインにピラミッド状の綺麗な三角形の人工的な山が並べられているという私の仮説です。

 千山からはその角度に人工的な綺麗な山をみることができましたし、ライン上にある仁川(インチョン)のグーグルマップでのストリートビューの写真の背景にも人工的な綺麗な山が写っていることからそれを推測できます。国への船の旅は、途中陸路を入れて、仁川から仁川への旅でしたね。

 その千山から仁川を通る朝鮮半島での霊ラインの最後の港が、見事に馬山が位置しています。

 鳥取県倉吉市には、馬山古墳があり、そこはイエスの生命の樹の第3のセフィラであるビナー(理解)にあたる重要なポイントでした。

この馬山こそが、モーセの律法を第一とする理想的平和国家を造ろうと国内外から賢者たちがが結集し、国造りの創案をした学び舎の地でした。

 

2013年は、蘇我家の無念の御霊を解放することをやらされましたが、蘇我馬子は中国読みだと、

 

マ・マォ」で、子は「シ・シェ」であって、あわせると「マォシェ」で、「モーシェ・モーゼ」となります。

 

蘇我家は大王モーシェの直系だと私は教えられました。

 

そして、午年で年男の私に空海様は、モーシェのお墓の場所までキッチリと教えてくれました。

 

 

 

  

 

 

この世とあの世を繋ぐゼロ磁場発生装置テラファイト卑弥呼を作ってから、

一気に隠された真実を加速度的に教えられています。

 

 


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バランスチェックでストレスチェック

2015-05-19 12:48:24 | ゼロ地場発生装置テラファイト

2015年5月19日(火)

12月からストレスチェック制度が義務化のニュース。

精神的にストレスを受けているか、そうでないかを調べる簡単は方法は、バランスチェックを試すことで知ることができます。

自分一人でも簡単に知ることができますし、他の人のストレス度を知ることもできます。

テラファイトの水を入れたアトマイザーや、テラファイトをかざしたあらゆる物を手に持ってもらったりして実験を行いますが、鬱的な精神状態であるか否かが長年の体験から私には推定できるようになりました。

これらのことから・・、アメリカの某大学でも本格的な人の脳波の変化の実験が始まります。

ストレスをより良い方向へと瞬時に導く、テラファイトネオガイアがこれから注目されることでしょう。


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箸墓古墳は、女王卑弥呼の妹、倭姫の墓である

2015-05-17 16:33:05 | かごめかごめの真実とは

2015年5月17日(日)

いつもそうですが、現場に行くことが一番重要だと教えられます。

そしてその上でなければ確信を持って人に告げることはできません。

卑弥呼様と妹の倭姫様も現在の兵庫県香住町にある庵月山でお生まれになられたと教えられている私ですが、その庵月山船岩と、箸墓古墳を結ぶと綺麗に2:1:√3ピタゴラスの三角形を描いています。 見事です!

          

そして、箸墓古墳は淡路島で一番高い諭鶴羽山を向けて造営されています。 

それと、諭鶴羽山から神河町にある八幡山箸墓古墳は凡そ同距離で、綺麗な二等辺三角形を描きます。

  

諭鶴羽山は、黄金比率の十字架の縦のラインに位置し、重要で重大な場所です。


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やっと船岩へと呼ばれたようです

2015-05-17 13:36:49 | かごめかごめの真実とは

2015年5月17日(日)

15日(金)夕方に市川慎さんに、「船岩へ行きませんか」と電話して昨日16日に行ってきました。

船岩はイエス・キリストの生命の樹のセンターラインの近くに位置していて、依然から非常に気になっていた場所でしたし、市川さんも同じように大事な場所だと思って居られたので一緒に行くことにしました。途中、対馬の延長のように綺麗な三角形の山が沢山見えたりして、そして市川さんとワイワイガヤガヤと楽しく古代史の話を聞かせてもらったら、アッと言う間に船岩へと着いていました。

   

            

おそらく立派な磐座があったのでしょうが、完全に壊されたのか壊れたのか、寂しい姿だけは留めていました。

それから市川さんの案内で、そこから近くにあるという八塔寺ふるさと村(岡山県)へと連れて行ってもらいまいしたが、そこへの入り口あたりに又又きれいな三角形の山が出現したりして、この界隈は何か日本の秘密を守り続けているような気配を感じました。そして・・それからたどり着いたところには、遠い遠い古き良き日本の故郷がそこには保存されていました。

  

      

 おお~! 案内板を読んで・・、三本の十字架を描かされてから最初に登場した人物、弓削道鏡氏が現れたような気がしましたぁ!

大きな十字架の根元は伊勢の大王崎で、その大きな十字架の交点である愛媛県の上島(神島)の古法皇山がに祀られている人こそが弓削道鏡であると教えられた私でした。  不思議な不思議な感じがした八塔寺の村でした。


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