2024年3月28日(木)
最澄の墓が存在していることをフェニックスコードは教えます。
そのことを能登内親王の墓が教えてくるのです。
2024年3月27日(水)
3月17日(日)私は、水戸を発って常陸大宮駅からタクシーで鹿嶋太神宮へと行って、そこから遠くに見える「盥が峯」を場所を移動しながらコアロッドで金の反応を見たり、幾度となくその峯の全景をカメラに収めて帰った。
・・なんとその日、「女性二人で盥が峯の山頂に行ってきました」と、メールをもらいました。
そこには小さな祠が在りました、と写真が添付されていました。安らぎとドラマを感じる写真です。
昨日、天才武田さんとともに、急遽、盥が峯を含めた旅程に切り替えて、まず鹿島神宮
にお参りし、本殿は第二代秀忠さまのデザインであることに仰天し、要石をチェックして
そそくさと鹿島神社へ。本堂の表のこわーい顔のイラスト?をじっと見て、対照的な
裏手のお堂のあるすばらしい彫刻にびっくりしました。まだ色彩も残り、どこか
先ほど見た、秀忠さまデザインの鹿島神宮のきらびやかさを思わせるあたたかい作り。
鶴も掘られていて、イエスさまを感じました。
そのあと、メインの盥が峯へ。武田さんの助けなしには無理でした。まず他の方の
登山レポートを検索し、登山口を探し当て、ぎりぎりまで車で入り、そのあと
空海様のお墓にくらべるとずっと立派?な登山道を通り、グーグルマップを
極限まで使いこなし、なるべく上森ポイントに近づくという離れ業をこなした
武田さんです。私はすずしい顔でずんずん先を行く武田さんに、ただついて行くだけ。
盥(たらい)におしるし(阿弖流為さまの御首)を入れて運ばれたみなさまのあたたかい
思いを感じながら。
私はメールを読んで、感動しました! 有難うございました!!
2024年3月24日(日)
やっと神戸から目指した鹿嶋神社境内に私は辿り着いた。
そして一人静かに参道を真っすぐ歩いて本殿正面に辿り着いた。そこ本殿正面の扁額には、「鹿嶋太神宮」と書かれていた。
2024年3月23日(土)
タクシーの運転手さんは、全く鹿嶋神社には行ったことも聞いたことも無かった様子だった。
それで、「阿弖流為って知ってますか」と聞いても、「知りません」と全くご存じない御様子。
「お生まれは・・」と聞くと、「大宮です」と言われます。目指す神社は、「隣町ですので・・」と。
ようするに、地元の人はほとんどご存じない様子ですので、もし誰か遠方から行く方が居られれば、住所をキッチリ控えて行かなければ辿り着かないと言うこともありそうです。
私は地図を頭に入れていたので、不安もなく、そしてカーナビの誘導で鎮守の森の入口らしきところまでタクシーは誘導された。
そこには、「鹿嶋神社」の文字があった。
2024年3月22日(金)
17日(日)朝10時過ぎには常陸大宮駅に着いた。駅舎を出て外にタクシーが2台止まっているのを確信し、先ずはトイレを済ませた。そして並列に2台止まっているので、どちらに乗ったら良いものやらとちょっと思案するために、自販機で喉を潤しながら2台のタクシーを眺めた。私の予定では13時までに帰ってくる予定なので、勝手ではあるが、運転手さんにしてみれば大問題ではと・・。椿さんは、「さっきチラリと運転手さんの顔が見えけど左の人が好さそう・・」と言うけど、そのまま左の車に乗ると、もう一台の人に悪そうで・・と、思っていると、突然乗客が現れて右の車に乗ったので、安心して左の車に乗り込んだ。そして、目的の神社を告げた。
「鹿嶋神社へお願いしたいのですが・・」と告げると、「どちらですかぁ・・」と全く鹿嶋神社をご存じないようでしたので、住所を書いていたメモを差し出して、それを運転手さんはカーナビに打ち込んで、車は走り出した。走り出してすぐさま、「最大13時までに帰って来たいのですが・・」と告げて、鹿嶋神社へと車は誘導されて走り出した。
2024年3月21日(木)
常陸大宮駅に降りる当初の予定は16日であったが、水戸駅で乗り継ぎに失敗し、17日となった。
何せ、一時間に一本しか電車がなくて、「たった今出たところです」と駅員さんに言われ、それで水戸でゆっくりと早めにくつろぎ、日曜日17日朝一番からゆっくり回ることにして、ジパングでの切符を水戸駅で変更することにした。「もう変更はききませんので・・」と言われて、「はい」と私。
そして初めて常陸大宮駅に降り立った。