2012年12月31日 かごめの故郷に新たな地上絵を発見!
千山の仙人 がヘビの杖に付けていたものが、大きく大きく造形されています。そしてその口からは・・・なんと・・、そこまでやりますかぁ!
早急にその場所へ行ってみたいと思う私ですが、そこには大蛇がすむという伝説があるようで、ヘビが大嫌いな私としては・・・
2012年12月31日 かごめの故郷に新たな地上絵を発見!
千山の仙人 がヘビの杖に付けていたものが、大きく大きく造形されています。そしてその口からは・・・なんと・・、そこまでやりますかぁ!
早急にその場所へ行ってみたいと思う私ですが、そこには大蛇がすむという伝説があるようで、ヘビが大嫌いな私としては・・・
K 様 メールありがとうございます。
その後も、地図上に図形を描かされては、高知や岡山など初めての山や古墳などに呼ばれ何やら世間の人達には到底御理解いただけない行動を今だいたしています。
メールの内容で、さんの件ですが>さんは、誰よりも素晴らしい神様からの言葉を受け取る能力をお持ちの方だと思います。
ですが、私を動かしている神は、自我を少しでも出す人を遠ざけます。
言葉を使い分ける人をもっと遠ざけます。
私は、音として聞こえない、でも理解できあう 波動的響き とのやり取りというより、一方的にそれ受け入れるだけの身です。
その通りに動いて、口にだして その流れで今に至っています。
その旅路で出会った人達に一つ一つ鍵をいただいてここまで扉を開いてきたと思っています。
でも、中には、「わたし が いたからでしょう」 と、づっと言い続ける人がいらっしゃいます。 我 を出す人を極端にこの御方は嫌います。
そのことは、私でも同じで、もし、ちょっとでも、 シンドイとか、神様に自我を出せば
「今までは御苦労さまでした。ハイハイ、我のまま残りの人生を歩まれたらいいでしょう」で、終了!ですね。
私はそのことがよ~~く分かっていますから、我を出さないように努めています。
我を出したら、「え~~っ、こんなことでぇ~・・」と思うようなことでも、今までコツコツ登ってきた階段でも一段の踏み外しじゃなくて、一番最初の登り口まで蹴落とされます。
人生12年周期のようですから、極端に言えば、今の地点に来るまで最短で12年はかかるということです。
神様は 再々 チャンスは与えません。
勝利の女神は後ろ髪を持たない という諺は、このようなことも教えているのかもしれません。
ですから、おれがおれがの 我 を押さえ、おかげおかげの 下 で生きて行きたいと思う私です。
来年、K様にとって 良き年でありますようにお祈り申し上げます。
上森三郎
かごめかごめ はこのような事も私に教えてくれます 。
今、来年1月11日~15日まで兵庫県庁前の県民会館の大展示場で開催を企画されている「かごめかごめを研究する会 」の方々が、熱心に何月何日に何があったのかなどを整理し、年表を作成しています。 年末年始も関係なく作業はなされるようです。
「時間がない、時間がない・・・」と・・。
年表、 書かされた図形の数々、 不思議な雲や光の写真や人の心を見抜く?不思議な石や、東宮司さんから届いたバジュラなどなど展示されるようです。
岡山から手伝いにかけつけてくれたUさん、ありがとうね!
今からその日が楽しみですが・・、「時間がない、時間がない・・!!」ですね。
「私はこういうことで・・」と、かごめの募金への応援をくださった東京のYさん、ありがとうございました。 ご期待に応えるべく、隠された日本と世界の歴史の謎といいますか真実といいましょうか、それを表に出すことにより、日本の発展と世界平和がもたらされるものと確信しています。
これからもよろしくお願い申し上げます。
2012年12月22日(土)23日(日)岡山県和気郡にある すみれのお宿 で一泊しての勉強会に御呼びいただき、思い出に残る楽しい一時を過ごさせていただきました。ありがとうございました。 何か懐かしい同窓会といいますか、同族会と申しますか不思議な感じの二日間でした。翌日には、熊山遺跡に連れて行ってもらいましたが、帰ってきてその造形物が建つ位置やシンメトリーに造形されていないその意味がハッキリと分かりました。見事なまでに意味を持たせて造形されているのには感心するばかりです。熊山遺跡から鶴山丸山古墳へと案内していただきましたが、事前に土中に安置されている石棺の向きが真北から西に15°ほど傾けて安置されているとのことで、私はそこから見渡せるところに奇麗な特徴ある山が見えるはずだとワクワク期待して登りましたが、思いの通りにありました在りました。
「ほら、あそこに奇麗な三角の山があるでしょう。ここに眠る人は、あの山の向こうが故郷だと教えているんです」と私。
上古代の人は、方位や重要な意味ある方角を教える為に、山の上に人工的に山を造りました。
そしてそのような人工的な山々がこの日本列島には沢山たくさん在って、現代の私達を見守り続けています。
岡山は我が国日本の礎を造った御霊が沢山眠っている重要な土地です。
岡山の隠された歴史を表に出すことで、我が国がより良き方向へ向かうと私は思います。
岡山の皆さん、ありがとうございました。
熊山遺跡の意味と造りは、下記の地図を見れば一目瞭然です。
大分県の鶴見岳(1375m)から熊山(507,8m)を見通してその先に卑弥呼の墓(779m)がある八幡山連峰が見通せます。そしてその延長線上には白山(2702m)があります。 鶴見の云われもこのあたりにありそうです。
そして、その意味からすると、熊山の云われは、本当はイヤマと呼ぶのが本来の呼び方かもしれません。 熊山は伊山と書きたかったのかもしれませんが、そう書いてしまえば、秘密がばれてしまいますから・・・。
そして熊山へ、九州の宗像大社から厳島神社、総社宮を通ってきたラインと、鶴見岳から卑弥呼のお墓を教える鶴見ラインとの角度と、馬の山、伊島、糸賀稲荷などと、伊島から生野へ伸びる黄金比率の十字架の交点である高砂市の石ノ宝殿からの十字架の延長ラインに熊山遺跡があるのは偶然ではないでしょう。
鶴見岳から、そして熊山から白山の方をみて朝な夕なに女王卑弥呼の御霊に手を合わせお祈りする人達がいたことでしょう・・ 合掌。
「かごめかごめ」の真相にせまる・・ 素晴らしい解説です。
そしてこの解説の最後にも書かれているように、聖人たちによって安全な場所に移し替えられました。 その通りです!
そのことを当初から空海様は私に教えてくれました。
そして、最初から「時間がない!急げ!!」と、言って、ピンポイントでその場所に連れて行かれて、大雪警報の中で穴掘りをさせられたのが、2年前の1月13日でした。 その二日前1月の11日のPm1:00に地権者である宮司さんのお宅に呼ばれ、私が手で掘る分には許可しますとの了解をいただいて掘りはじめました。 そうすれば・・、数日後にそこの岩の頂上部にライオンの目印があったり、亀であり鶴であり魚の不思議なモニュメントがあることを発見して行きました。
実は、最初の頃、日本とユダヤのハーモニー の筆者 中島尚彦のHPが偶然目に入り、何も知らなかった私の頭に素晴らし情報が記憶されて、それをもとにどんどん現場に行かされ、走らされ続けて今日に至っています。
50代桓武天皇の命を受けて、剣山から兵庫県の中央に位置する生野の山に空海様が移したと私に教えるわけなんですね。
空海様は肉体を持っていないので、私に 「動いてくれ!」と言われるわけです。
今、私は当時の記録をまとめつつありますが、あまりにも不思議な毎日だったことが分かりますし、不思議と言えば、かごめの唄のとおりの場所が山々を使って水平距離で半径4,3kmで籠目紋が造られていたり、そのかごめ紋の中には羽を広げて飛んでいる鳥が2羽造形されていたりと、みごとなほどまでに かごめかごめ の唄通りに造られていることを発見できました。
発見というよりも 教えられているので当然と言えば当然として知らされたようです。
さぁ・・、この事実を世の方々が素直に受け入れることができますでしょうか。
受け入れることで 新たな世が開けるようです。
空海様は最初から「時間がない、急げ!」と私を動かしましたが、昨今の世界中の不穏な動きを見るとき、本当に時間がないようです。 徳島県の伊島から兵庫県生野に伸びる黄金比の十字架と、その十字架の頭頂部に、八幡山を中心にしてそこから絶峯までの4,3kmを半径として円を描いて、正六角形を描いた各ポイントに、人工的な山や、男性と女性のシンボルなど6ポイントすべてに人の手が加えられていて、籠の中には鳥が二羽、山を使って造形されていました。伊勢神宮から生野、段ヶ峰に伸びる生命の樹の中心ラインには生贄の鹿や人の顔(エジプトの女神ハトホル)、魚、鶴と亀、龍(玄武)など、壮大なスケールで山を使って地上絵が造形され、全ては兵庫県の中央の町、生野、神崎郡神河町へとラインが集まってきています。この正六角形の籠目紋の中心点がが邪馬台国の女王卑弥呼の祈り場であり、ユダヤの二人の大王を祀る山と祈り場である八幡山を引き通した一直線上に、自ら永遠の眠りに着く墓を造り、自ら入定しました。一刻も早く、卑弥呼の墓であることを立証し、人類的神宝であるアークと聖杯を取り出し女王卑弥呼が何を成したのかを世界中に知らしめることにより、世界平和と安定がもたらされます。
「早く取り出して祀れ!」と言ってらっしゃいます。
・・・
1・・八幡山(かごめの中心点) 2・・卑弥呼の墓 3・・男性シンボル 4・・女性シンボル 5・・鳥 6・・鳥 7・・亀 8・・奴婢 9・・大亀
10・・龍(玄武) 11・・
A ・・絶峯御林(イエス・キリストを祀った墓)
B ・・古城山御林(モーゼを祀った墓)
C ・・ユダヤの大王二人と卑弥呼の墓を教える三角形が交わった点
D、E、F ・・ 人工的ポイントの山
3 男性シンボル
4 女性シンボル
生命の樹 (表)
生命の樹 (裏)
2012年12月21日(金)
いつもの場所で、いつもの時間から、今年最後のセミナーです。
今、私の周りで、何かか渦巻いています。
そして、「私は有りてあるもの」というお方が光や雲や風で、その存在を教えています。
そのことを知ってこれから生きる人生と、そうでない人生とでは天と地ほどの開きができます。
こころ豊かに生きる人生を共に過ごせたらどんなに幸せでしょう。
神様は「信じる」人にはその姿を見せ始めたようです
大国主の命はイエスキリスト? = 天皇?? 「エ~~ッ、そんな馬鹿な~!??」
我が国の本当の歴史が語られることは今までありませんでした。・・というより、誰もその真実を明かにすることができませんでした。明かさないことで、日本が現在まで守られてきたところがあります。 でも・・、もう本当の歴史を表に出さないと、これからは日本が守られないところにきています。 本当のことをキッチリと世界に知らしめることこそ、この日本を守ることができますし、そのことにより世界平和が実現可能となります。 急がなくてはなりません。
「かごめかごめ」の唄は、そのことを教えていました。
・・・・ 夜明けの晩に・・・・・ 鶴と亀を 統べらせなさい! と。
鉢伏山の対局の日本海側に物部神社(もののべじんじゃ)がありますが、剣山の南側から鉢伏山の東の太平洋岸へ流れる川が物部川(ものべがわ)といい、物部(ものべ)という地域があるのも不思議な感じがしますが、生命の樹からすればなんとなく分かるような気もしたりします。
2012年12月15日(土)
これまでに生命の樹(カバラ)や沢山の図形を地図上に書かされ、線と線が交わった重要な場所には全て行かされましたが、最近出来上がったイエスの生命の樹の第4のセフィラのケセド(Chesed、慈悲と訳される)にあたる中心の山である鉢伏山へできるだけ早く行かなくてはと気になっていましたが、数日前に高知市に住む知人から数年ぶりに電話があり、その話の流れで一緒に同行してもらうことになりました。
・・・
・・・
朝8:00に神戸の我家を出発し、明石大橋を渡って鳴門大橋を渡り知人のIさんが住む高松市の自宅に着いたのが10:30前でした。それから高知市潮見台3丁目にカーナビを設定し、一路目的地へと積もる話をしながらドライブを楽しみました。着いたのは12:00頃でした。
一人では遠いしなぁ~~、と思って今まで躊躇していましたが、お友達に会えるということと、共に行くことで、あっと言う間に着いてしまったと言う感じでした。
団地の奥まった場所に車を止めて、はじめて行く山へと登って行きました。
そこで見たものは・・、不思議な石と掘り起こしたような後とほら穴みたいなものと、何のための溝なのか、その溝の形と・・・。
長い間に、あちらこちらを広い範囲で宝探しでもするように掘り返してるような無残な後に私の目には映りました。 その中にあって、誰かが仏様に見立てたであろう石仏らしきものが私を待ってたように木の下に座っていました。
そこで、家から持ってきたテラファイトの水を頭からかけてあげ、そしてピンクのテラファイトで石仏をさするようにパワーを入れてあげました。 そして私なりに直立不動にして両手を上にあげ、下に下げと、私なりのお祈りを真剣に唱えて山を下りました。
高知市ではどうしても所行かなくてはならない場所がもう一か所ありました。
高知の一の宮で、 土佐神社 でした。
土佐神社では大国主の命を祀っていますが、私が生れた地と、大王崎との中間点に土佐神社があり、そこを90度に上がった先に出雲大社があります。
以前からどうしても行かなくてはならない気になっていた神社へやっと行くことができました。
土佐神社を上空から観ると十字に建物が設計されているのには大きな重要な意味を持たせて設計されているようです。
・・・
一日 575kmのドライブでした。
んん・・ところでいったい 上森君って 何もの・・?
気がつけば、空海様に導かれて兵庫県の中央に位置する生野で昨年の1月13日から大雪警報の中、一人で穴掘りをし、又、仲間の人達も手伝ってくれたり・・、今ふり返ると、どうしてピンポイントでその場所に導かれたのか・・、それはそれは不思議を通り越した世にも不思議なお話です。掘りはじめて4日目だったと思いますが、岩の上部にライオンの顔を私が見つけると、元JリーガーのNさんは、「これ、亀ではないですか!」と亀さんを見つけ、翌日その亀さんの下にお酒とお供え物に紅白の饅頭を置いていたら、小さなネズミさんが現われ、カメラマンの松本さんの足の甲に乗ってくるくると三回まわって、積もった雪の上を「ついて来なさい!」というようなしぐさで山を下るネズミさんに連れられて腰ぐらいまで積もった雪の中を一直線に追いかけて行ったと言います。そしてそのネズミが消えた場所が、実は・・、私が最初にこの山に人を連れて来た時、「あっ、見つかった!」と、小人さんが私を見てビックリして三段跳びで光の速さで消えた岩の場所だったのです。 今年の春には、オーラが見えるという天野先生や不思議な力を持つ人達で、私が穴を掘っている上のほうにある滝壺からさらに上の大きな岩の所まで、実は全くその同じ場所から小人さんが私達を上まで案内して、又下山する時も現われた場所まで小人さんが先導してくれたと言います。その時は、私や他の人達には見えませんでしたが、天野先生にだけは姿をづっと見せてくれたようでした。
私 :「小人さんはどんな姿をしています」
天野先生 :「赤いちゃんちゃんこを着ていますね」
私達 :「そうですかぁ・・」
天野先生 :「ほら、滝壺の上で手を振って、もっと上だよ!って言ってるよ」
・・・と、言われて、皆で細い道を一列に並んで登って行ったものでした。
・・・
又、「神様の言葉を伝えるだけです」、という翼さんや、宇宙語をリーディングするNさんを穴を掘っている場所にお連れしたときには、「よくぞシャンバラの入り口を見つけられましたね」と、リーディングが下りてきました。
この場所に、11月4日に全国から集まった人達を案内して、そして私が落ちていた枝を手に持って、「見えますか!? この枝の先にライオンの顔があるのが分かりますか!?」と、皆さんに説明したその時、東宮司さんの肉眼には光が観えたので、「早く、カメラで撮りなさい!」と近くの人達に声をかけ、そこで皆さんが不思議な光の写真を撮られたということです。
このような不思議な写真や、私が今まで行かされた山や社寺などで撮らされた不思議な光や雲や、何十枚も地図上に書かされた図形や生命の樹など、これまでの不思議な記録とその証拠の品々を展示し、今まで撮った生野や卑弥呼のお墓での映像などを、
2013年1月11日(金)~15日(火)まで、兵庫県民会館 2F大展示室で 展示公開します。
・・・
「どうして、そのようなことをするんですか!? 目的は何ですか!?」と聞こえてきそうですが、
目的は・・
いつの世から歌い継がれてきたのか、童謡 「かごめかごめ 」の唄の中に、日本の隠された本当の歴史、いえいえこのことは、世界の隠された歴史の真実をキッチリと教えているからです。 邪馬台国 と女王卑弥呼の墓の場所や、卑弥呼が八幡山からユダヤの二人の大王の墓守をし、我が国で世界の人類的神宝を守ってきた事実と、その卑弥呼が出雲の国譲りに際して、自ら永遠の眠りにつく場所を決め入定した経緯と、「私が何をし、何を成したかを世界中の人達に伝えてください!」と卑弥呼の御霊が私に語りかけているからです。
その立証は、兵庫県神崎郡神河町にある婀月山という海抜779mに眠る卑弥呼の墓を、山頂にヘリコプターで重機を2台持ち上げ、真上から十数メートル掘削し、その石室を開けることにより私が言ってることが立証されます。 その掘削をする施工計画書は神河町の人達で作成し、神河町の人達の手によって立証を行うことで事はスムーズに行きます。その為の費用が、先ずは1000万円ほど必要と私は思っています。その為の費用の募金集めを呼び掛ける場に、兵庫県庁前にある兵庫県民会館を選びました。 現在私の手元に100万円ほどの募金が集まりました。 私としましては、神河町でこの募金の受け皿を早急に作っていただき、卑弥呼の墓の立証をする為の組織体を作っていただきたいと願っています。 そうすれば、多くの人達の協力も得やすくなり、掘削する費用もそう難しいことではないと思っています。 そうして卑弥呼の墓を立証することにより、その先にこそ、生野が大事な場所であると私が予言していることが現実のものとなって行くでしょう。
その一連の立証こそが、我が日本を守ることであり、世界の平和がもたらされるからです。
空海様は最初から「時間がない、急げ!」と言ってらっしゃいます。
2012年12月22日、23日と岡山へ行くことになりました。
・・・
研究会代表 :「岡山で講演が決まりましたので・・」
私 :「ところで・・、岡山の何処ですか」
立脇代表 :「和気郡です」
私 :「和気ですか!」
・・・
実は、私は昨年の5月24日(火)空海様が修行したという四国の室戸岬の御蔵洞へ行き、その日はそこから平家の落人の里とかずら橋で有名な祖谷に宿泊し、翌日朝早くに剣山に登り、それから最初に書かされた3つの十字架の一番大きな十字架の交点に位置する場所の上島に祀られている法皇に大橋より挨拶し、広島で要件を終えて和気清麻呂を祀る和気神社へ着いたのは、丁度午後8:00で、もう真っ暗でした。
この神社の鳥居から向こうの境内では、それはそれは信じられない不思議な不思議なドラマがありました。 この話は、当日皆さんにお話したいと思っています。
今回、和気に呼ばれているのは、間違いなくこの話の延長線上に居られる王家の御霊に私が呼ばれています。 もうそれを私は感じています。
この我が国の礎を築いた高貴な御霊が私が来るのを待っています。
その場所は・・・
・・・
岡山県和気郡のとても素晴らしい『すみれのお宿』 という古民家を借りて開催されます。
必ずお申込みの上御参加ください!
先週、東京へと行ってましたが、沢山の方々とのご縁をいただきました。 皆様には大変お世話になりました。この場を借りまして御礼申し上げます。
良き思い出をいただき 本当にありがとうございました。 感謝しています。
これからもよろしくお願い致します。
そうそう、昨日は、博多からM間さんが事務所へと訪ねてくれましたが、じっくりとかごめかごめの話を聞いていただきまして、有難うございました。 又、お越しくださいね! 博多へ行くことがありましたら、よろしくお願い致します。
東京では、Nさんと会うなり、久々に大きな地震の揺れにも遭遇しましたが、無事神戸に帰りまして、やっと今日から仕事モードとなりました。 早速特許事務所の先生と打ち合わせをしていると、「白いカラスが見つかった の知っていますか」と先生。 「エッ!白いカラスですか!」と私。
「その白いカラスどこで見つかったのですか」と尋ねると、「島根県です」と先生。
「エエ~~~ッ! それ本当ですかぁ。実はですね・・」
・・・
私は、朝から空海様が愛した思い出の場所へと行ってきました。
「姫にも会いたいな~」と空海様。 ああ・・なにか胸騒ぎがします。 何かが起きようとしているようです。
そして事務所へ帰るなり、又すぐ電車に飛び乗り・・
兵庫県立考古博物館へ。
特別展 卑弥呼がいた時代
学芸員 :「779mのようなところには古墳はありませんよ・・」
私 :「では、この葺き石はどういうことでしょう。表土20cmほどを取り除くと必ず葺き石がでてきます。古墳の全長は150mほどで・・」
学芸員 :「どこに行ってもこのような話は・・、無理でしょうね。779mに古墳が・・と言っただけで、誰もそれ以上話は聞こうとしませんよ。だって、白いカラスがいるかもしれませんと言っても、白いカラスを見た人は誰もいないでしょう。カラスは黒にきまってるでしょう。ですからあなたが779mの山頂に卑弥呼の墓があると言っても誰~~~れもその話には見向きもしませんよ。古墳は、山の裾野の小高い丘か平地に決まっているんです。」
私 :「そうですかぁ・・、白いカラスがいたら良いんですね」
・・・と、このような会話をして学芸員の方と分かれたんですが、どうも空海様はその話を聞いていたような感じに思えてなりません。 しかも・・、島根県大田市 で発見されたところに大きな意味があるようです。
出雲の大国主の命の血を引いた女王卑弥呼の墓であることは間違いないですよ! と、空海様が教えています。
「時間がない、急げ!」と空海様は、光で教えたり、白いカラスまで飛ばしました。
そろそろ、世間の人達は 神様の存在に真剣に目を向け耳をかたむけ、そして行動に移さなければなりません。 そうしないと・・・、取り返しのつかないことになります。
8日(土)の日本サイ科学会での体験発表の会場に一般の方々の入場がokとのことでしたが、現在で満杯になっているとの連絡がありました。まことに申し訳ございません。当日会場へ行かれましても席がないとのことです。
本当に申し訳ございません。
お詫び申し上げます。 ごめんなさい。
・・・
「私は行く予定をしていたのに・・」・・と、言われる方、
私は今、東京に滞在しています。
東京の人で、「どうしても話を聞きたかったのに・・」、と言われる方は電話してください。
電話又はCメールでも結構です。
2010年9月13日(月)~17日(金)
東京出張を終えてこの週に入ると、なぜかもうこの頃から何かにとりつかれたように、A3大の赤い表紙の本を開いては眺め、眺めては近畿、中国、四国地方の地図を広げて、三角定規とペンシルを動かしていました。最初は仕事に差し支えるので朝と夕方から夜にかけてやっていましたが、昼間も熱中してやりだすのにそれほど時間はかからなかったようでした。
「ああ~、これでは仕事が手に付かない~!誰か、何とかして~!!」というような、自分の体が自分の体でないような、でも・・、ワクワクして次へ次へと線を早く引きたいと逸る気持ちを押さえきれなくて、完全にのめり込んで行きました.
そして、このころからまたもや不思議な声と言いますか、波動と言いますか、私に語りかけてくるものがありました。
? :「早く契約しなさい!」
・・・
? :「ハヤク、ケイヤクシナサイ!」
・・・
最初は、何かの聞き違いだと思って無視していると、だんだんきつくなるような感じで、「白紙委任状にサインなんかできないでしょう!」と、私も頭の中で言い返すようになっていました。
・・・
その誰か、何者か分からない主は、きまって朝10:00前後頃に、私の左頭頂部の斜め45度のライン上から語りかけてきました。そして
? :「いい加減にせんか!私をナメとんのか!お前の命、取ったろか!」
と言うので、私は即座にそして冷静に・・
私 :「どうぞ取って(命を)ください。人並みに結婚もし、人並みの幸せも味わいました。・・でも、これだけお金お金と苦労をするのであれば、いっそのこと、即座に命を取ってもらったほうが楽です。どうぞ・・」
と言うと相手は、
? :「チェッ、脅しにもならんな」
と、帰って行きました。
・・・
でも翌日、また同じ時間帯に同じ方角からやってきて今度は
? :「嫁さんと子供を捨て!」
と言うので、私は冷静に・・
私 :「それはできません」
と、・・そういうだろうと相手は予測していたかのように
? :「じゃ~嫁さんと子供たちはどうなってもいいのか」
と、いうので
私 :「それだけは勘弁してください」
? :「じゃ~契約しなさい。サインしなさい・・」
と言って勝ち誇ったように相手は帰っていきました。
・・・ そして数日後またまた決まった時間帯の決まった方角から現れ
? :「どうしてサインしない! ・・お金か!?」
私 :「お金ではありません」
? :「じゃ~何だ!」
私 :「もう、あなたににらまれたら逃げられないぐらいは十分分かっています。 でも正直に言います」
? :「・・・」
私 :「私は正直サインする自信がないんです」
? :「どうしてだ」
私 :「はい、実は我が家にも大神様が居られます。サインしてあなたの言われるままに私が動けば、どうなるかぐらいは予測できます。私は結婚してこの方、一週間に一回は我が家の大神様と買い物に行ったり、時々二人で映画を観て食事をしたり、カラオケに行ったりと仲良くもしています。でもあなたの言うとおり動けば、・・「毎日毎晩、こんなに遅くまでいったい何処で何をしてるのよ!外で女でもできたの!!」と、大神様が怒り出すことは観えています。ですら・・、サインする自信がないんです。どうしてもあなたが、契約を要求するのであれば、私が家に帰って、いつもニッコリしてとは言いませんが、せめて角が生えたり、牙がむき出しにならないようにあなたが責任を持ってくれるのであれば、いつでもサインします」
と言ったら、相手は「う~~んん・・」と腕組みをしながら消えて行きました。
・・・そのようなやりとりをしながら、最初は何気なく伊勢神宮から千ヶ峰に直線を引かされました。そしてその線に直角に高砂神社、籠神社を結ぶ線を引かせました。最初はTの字的でしたが、「何だろう?何なんだろう??」と思っていましたが、何気なしに、「か~ごめ♪かごめ♪」とかごめの唄を口ずさむようになっていました。
籠神社、高砂神社、私は全く行ったこともないどころか神社の存在さえもしりませんでした。
そして・・「千ヶ峰が王様の下(南)を守護するガド族のお墓なら、千ヶ峰から伊勢神宮の方を向いて歌った時、後ろの正面は、誰?ユダヤの大王??・・・仮に大王だとしたら、頭(北)を守護する部族の名が付いた地名があるのでは・・??」と思って、伊勢神宮から千ヶ峰の先へと線を伸ばすと・・、なんと段ヶ峰、ダン族のミウネ(お墓)で、ダンガミネってピッタリとあるではないですか。
段ヶ峰と千ヶ峰のちょうど中間点に生野があり、昔は生野は死野と呼ばれていたとの生野の史実もあって、シノン・・・・そうヘブライ語で後ろの正面は聖地であると言って教えていました。
こうやって最初の十字架が17日に完成しました。
東宮司さんが私が穴を掘っている亀石の前で撮られた光の玉の不思議な写真を詳しく解説をされているようです。フェイスブックをなされる方は、見て下さい!
今名張から帰ってきた。書きなさい書きなさいとせっつくものがあるので、晩御飯の前に書いておこう。
かごめかごめを研究する会不思議の旅9日と(大阪)本日名張に参加した。どちらも30分ぐらい時間を頂いておもい当たるところを語った。旅に行き帰ってきてから私の意識が確実に変化している。
この世に生れてきた使命をミッションといい、古神道ではミコトモチという。この両者について語ると大変時間がかかるので本日はやめにしておこう。
二回のセミナーにおいて私が語ったことは、写真10枚以上に撮れた大きな大きな神様の円盤、各写真それぞれ色合いに特質があり円盤の数も10個から15個である。これに対応して三十八神社の石段で取れた約30個から40個のオーブの光の小さな玉とはその意味合いが全然違う。この写真も本日見て頂く。さらに上森さんとの対応シンクロさらには本日語れなかったことも少し書いておこう。明日は故郷の徳島に帰るから今日しか書けない。
1.どちらも家の家紋は抱みょうがである。しかも実母のお寺の家紋は菊の御紋である。ここは嵯峨天皇の阿波国の離宮のお寺であるからさらに空海上人との結びつきが強い。但しお寺の初代は、奈良長谷寺の祈心上人である。彼は空海上人死後、無茶苦茶になった高野山を復興させたその本人である。
2.実父は阿波の国椿どまり伊島である。伊島の和歌山県沿いに神島・友が島があるが若い時はその海に入って海の行も4人でした。
3.昨日は護王神社のセミナーであった。祭神は上森セミナーに登場する和気清麻呂公である。陰陽師の後5人で白雲神社にて行をする。その一人が私が祝詞をあげていると磐座から白い煙のようなものが全体的に出てきたという。いよいよ発動だ。昭和天皇の軍師・三上神龍師が若い時ここで修行をし、龍神さんを操るユダヤ景教の体得だ。その三上神龍師の前世は源義経であると本人は語る。
4.真ん中の光の輪を中心とする光の玉は、10個以上もあり古代ユダヤの12部族を治める各長の光である。さらに光の曼荼羅であり、異次元におけるユダヤ景教の完成図でもある。
5.旅に参加した35名はすべて古代ユダヤの血統の持ち主だ。しかしその御先祖の時間軸は本人から数えて10代目までである。35人の中檀族は4人おられる。だから段が峯から立ち登る行く筋もの白い神気の光の筋がそれを証明する。
6.各地上絵は、エネルギーの柱で日本列島を守る柱となる。この日本列島を守る柱を立てる行を二千年前にやられたのが、ヤマト姫とトヨスキイリ姫である。御杖代二代約40年に渡り、光の三角形50個を日本列島に建立された。これを伊勢五十鈴フトマニクシロという。上森さんは約二年で日本列島地図上に生命の樹の古代ユダヤのフトマニクシロの地上絵を完成させた。本来は天皇家が命がけでやられる行である。
7.ここ一週間でいろんな事が解ってきている。10月11月の陰陽師は九字の切り方、十字の切り方の講義だ。古神道の十字切りの行法、修験道密教の九字行法の本質は自己のエネルギー体の中に生命の樹を創ることにある。今回初めてこれに気が付いた。これはユダヤの行法である。ここで私が教えられた。始めての宣言だ。
8.京都新聞現代の言葉オスプレイについて池内 了氏が語る。
(アメリカ軍は、このようなドリームマシンを第二次世界大戦直後から構想し開発を進めてきた。(中略事故が起こる前にオスプレイを撤退させなければならない。平成24年11月6日京都新聞夕刊より
これは総合研究大学院大教授の池内 了さんの言葉でる。最もだ。何故アメリカは自国の砂漠、グランドキャニオン等で実験飛行をしないのであろうか。何故日本国の中央構造線等で飛行訓練をするのであろうか。真にそれは軍事訓練が目的であろうか???
9、光の曼荼羅、金剛界の曼荼羅、、生命の樹の12個光と地上界がつながった。それは古代ユダヤ民族が日本に根をおろし、そこで生活し神となった大いなるミタマ達のエネルギーと二年間ご苦労された上森さんの神行とそれを支えた事務局のTさん達、さらに35人のユダヤの血統を持つ人々のエネルギーの結晶の賜物である。この意味を真のユダヤの民アブラハム・イサク・ヤコブの子孫は知らなければならない。
10.昭和60年代に奈良香芝市におられるひふみ会のS先生のお宅に1年ばかり通ったことがある。そこでは2、30人の方にそれぞれ違った言霊をだし導かれていた。その時代が懐かしい。私の先生から出される言霊の中に(空海の修行をしなさいという言葉がよく出された。当時は実母の爺さんの東禅城(密教辞典)がいたことも知らないし、お寺のお坊さんではなかったのでその意味が全く解らなかった。いよいよこれからか。