風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

人生

2017-10-27 | 読書
「読書」カテゴリーにしたけれど
実は(仕事の関係で)まだ読んでいない本の話題。



昨年、ご縁をいただいて私も出版に携わることができた
作家 盛田隆二さんの傑作ノンフィクション
「父よ、ロンググッドバイ」。
そこに描かれた
盛田さんのお父様とお母様の最後の日々の記憶も新しいが、
そのお2人の若い日々を描いた新刊小説「焼け跡のハイヒール」が
(岩手版では)昨日の毎日新聞文芸時評に取り上げられていた。



言ってみれば
激動の昭和という時代を生きた2人の人間の青春と終焉が
2冊の本に収められたことになる。

子どもにとって、親は生まれた時から親であり、
亡くなってしまえば、最も新しい思い出に残るのは老いた姿だが、
どんな人間だって子どもの頃もあれば青春時代もある。
まして夫婦ともなれば、子どもすら知らない
2人だけの思い出もたくさんあるはずだ。
片方が亡くなっても、もう片方が残っていれば
その思い出は生き残った側の胸の中にいつまでも残っているが、
2人ともこの世から姿を消してしまえば
その思い出は誰も知らないところに葬られてしまう。
2人で交わした会話。一緒に行った場所、
辛く苦しい時代、楽しかったエピソード・・・。
「世界は、ひとりの複数形でできている」というCMがあるけれど、
その瞬間、瞬間を懸命に生きた人たちの人生は
決して「その他大勢」の人生ではない。

数日前、古い写真の必要があって家探ししたのだが
その時に出てきた私の子どもの頃の写真にしばし見入ってしまった。
当時の両親は今の私よりずっと若い。
戦時中に抑圧された青春時代を過ごしたのち
戦後それぞれに職を得(父は病気で療養の日々も長かったようだが)
出会い、結婚し、子どもを得た、そんな幸せの笑顔が見える。
盛田さんのご両親と同じぐらいか、少し下の年代だろうが
同じように激動の昭和を生き抜いてきた人生だ。
タイミングよくそんなことがあったので
より興味深く新聞書評を(実際の本より先に)読んだ。

時代を考える時、あるいはこれからの社会を考える時
マクロ視点で見るのは間違いだろう。
なぜならこの社会は「ひとりの複数形」でできているのだから。
その時代を生きたひとりひとりの人生から時代を知り、
それをこれからの時代に生かしていくこと。
そんなことをこの新聞書評は言っているのだと私は受け取った。

未読のままで言うのもどうかと思うが
新刊小説「焼け跡のハイヒール」を読んだ方は
ぜひその後で「父よ、ロンググッドバイ」のページをめくって欲しい。
その2冊合わせて、人の人生や時代など、
さまざま知り、考えることができる。
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