味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

庾信も亦其の此の如きを歎じ、

2020-02-29 09:59:39 | ブログ
第4059号 02.02.29(土)

庾信も亦此の如きを歎じ、哀江南の賦を作るに及びて、乃ち云ふ、宰衡は干戈を以て兒戯と為し、縉紳は清談を以て廟略と為す、と。此の事、亦、鑒誡と為すに足る。『貞観政要』485

庾信は、このようなふがいないありさまを嘆き悲しみ、哀江南の賦を作ったとき、『梁の宰相は兵器・戦争を小児の戯れだとし、高官たちは老荘的な談論を国家の政策だと思っていた〔かようなことでは滅亡しないことがあろうか、まことに悲しむべきことである〕』と詠じていた。このこともまた戒めとすべきものである。485

 【コメント】「兵器・戦争が小児の戯れ」であれば、まだまだ良いとして考えていてもいいのですが、現実は悲壮な決意をしなければならないのです。

 ですから人を殺戮するものは防衛以外には使用してはなりません。ところがそういう兵器を持って外交に使用している国が周辺諸国にはあるのです。

 自分では戦意がなくとも襲い掛かってくることもありますので、その辺は充分警戒しておくべきだと考えます。

----------------------
◎今日のひと言「博く学びて篤く志す」

 孔子の門人・子夏は『論語』〔子張〕で、「博く学び篤く志し、切に問いて近く思う」と言っています。学問をするには、広く学び、自らの志を堅固にし、自分自身に切実なことを問い質し、身近な問題に当てはめて考察することだと思います。このように心掛けて努力していくと、自然に徳がついてくると言われています。人格高潔の風が現われてくるといいます。

 これを詳細に説いたものが『中庸』にあります。「誠は天の道なり」とし、誠を身につける方法として、「博く之を学び、審(つまび)らかに之を問い、慎んで之を思い、明らかに之を弁じ、篤く之を行う」
 と訓戒しています。人は誠を学び天の道を生きていくためには、広く学んで知識を得、その中の理解できないことについては、審らかに詳しく調べて、理解したことを慎重に思索し、実行していくときにいろいろな不安や理解不能なことについて、あきらかにしていきたいものです。

 諸般の事情で大学進学出来なかった私は、漢籍をまとめて購入し、読み、書き写し、録音して再度聴くという作業を重ねてきたものです。

 ですから車の運転の際もテープを聞いているのです。これほど楽しいものはありません。若い子供たちの訳の分らん歌を聞いたり、つまらん野球を見るよりはるかに楽しいと思えるのです。

 皆さんも漢籍の世界を逍遥されませんか。人生に生き甲斐を感じてくること確実です。

----------------
『善の研究』第429回

 またいわゆる世道人心を益するという真に道徳的裨益の意味でいうにらば、その行為が内面的に真の善行でなかったならばそは単に善行を助くる手段であって、善行其者ではない、たとい小であっても真の善行其者とは比較はできないのである。次に第二の場合について考えて見よう。動機が善くとも、必ずしも事実上善とはいわれないことがある。

--------------------

孝元帝、江陵に在り、萬紐・于謹

2020-02-28 09:56:58 | ブログ
第4058号 02.02.28(金)

孝元帝、江陵に在り、萬紐・于謹の圍む所と為る。帝、猶ほ老子を講じて輟(や)めず、百寮皆戎服(じゅうふく)して以て聴く。俄かにして城陥り、君臣俱に囚執せらる。『貞観政要』485

梁の元帝は江陵に居て、西魏の将の万紐と于謹とに攻囲された。そのとき元帝は龍光殿において老子の講釈をしてやめず、百官たちは皆、甲冑を着て講義を聞いた。やがて西魏の軍の攻撃により江陵城は陥落し、元帝も群臣も皆捕らえられた。485

 【コメント】戦には勝と敗があるわけですが、元帝も群臣も皆捕らえられたとありますが、最高に苦痛であり悔しいと思います。

 人間には感情があり、人とのぶつかりあいというのは無くならないもののようです。そうであっても我々は、出来るだけ和やかに共通理解をし、二度とない人生を謳歌したいものです。

 昨夜の空手道教室は、『南洲翁遺訓』発表女王のマサダカナコ様と外山諒哉さんと和やかにおけいこを致しました。

 田上青年は先週も風邪で休みましたが、昨晩も風邪が回復していないとのことでお休みしました。私は身体がフラフラしているのですが、どうにか指導は出来ました。
------------------
◎今日のひと言「教養読書に投資をしよう」

 私の同級生たちも、若い間は体力に任せて暴飲したり、精力を乱費した人たちは五十位までは、まあ元気でしたが、それから先は急に衰えて天に昇った人もいます。若い時は、ともすると摂政することが卑屈だとか、意気地がないように思う向きもあるようですが、長い目で見れば、摂政し、健康を保持することが重要であるのです。

 確かに五十くらいまでは体力も気力もあるのです。だから勢いに任せて仕事も遊びもとことんやるのだが、それがある日、突然ポキンと折れるようにこの世を去って行くのです。

 前途に夢を持ち、素晴らしい能力ある人々が不帰の人になるのは、見ていて堪えられないものです。なぜもっと自分の体に投資をしないのか。貯金もよし、株もよし、ゴルフもよし。しかし、もう少し、体の健康管理に投資をし、教養読書に投資をしたいものです。そしてこういう人生の教科書は手放したら駄目なのです。

 人間は生きている限り、常にボケないで、なるべく有意義なことに興味を持って、道理を尋ね、情熱を懐き続けたいものです。不老長生とはいたずらに年を重ねることではなく、いつまでも生きる限り、ボケないで、人生に興味を持ち、情熱を抱き続けて勉強することだと思います。歳を重ねても愚老にならず、貴老でありたいものです。ですから、日々に徳を養う努力をしていかなくてはならないと肝に銘じています。

 ここ最近、身体がフラフラしている私は、逆療法で空手道修行と読書等々に励んでいるのです。

 昨晩も空手道が終わってから車で帰ってくる時、信号・青ヨシ、歩行者ナシ、スピードヨシと大声を掛けて帰った次第でした。

 兎に角生きることと格闘したいものです。昨夜は荘内南洲会の皆様が城山観光ホテルに来てくださいましたが、私は体のフラフラがありますのでご辞退させて戴きました。

-------------------------

候景が兵を率ゐて厥に向ふに及びて

2020-02-26 16:38:23 | ブログ
第4057号 02.02.27(木)

候景が兵を率ゐて厥に向ふに及びて、尚書郎已下、多く馬に乗るを解せず。狼狽して歩走し、死する者、道路に相継ぐ。武帝及び簡文、卒に候景に幽逼せられて死せり。『貞観政要』484


候景が兵を率いて宮城に攻め寄せて来たとき、尚書郎以下の群臣の多くは、馬に乗ることすらできず、あわてふためいて徒歩で逃げ、死者が道路にいっぱいになっていた。武帝と簡文帝とは、候景に捕らえられおしこめられて死んだ。484

 【コメント】その昔、戦国時代を髣髴とさせる様が思い起こす場景だと思います。

 できればこういう世の中にならないよう、共に協力したいものです。人も天も喜ぶ人間でありたい。

 それにしてもコロナウイルスは怖いですね。世界中の人が習金平らの取り組みが悪くこのようになったと叫んでいるようです。人類の横暴に対する天罰なのでしょうか。

 マイナンバーカードは財布に入っていました。顔写真がある右端上に個人番号と書いている。ウサギの絵もある。

 高齢者は運転免許切り替えに際して、認知症検査をして、更に高齢者講習も受講する必要があるとのこと。免許切り替えは誕生日の一箇月前から出来るとの事。運転免許管理課からハガキがくるとのこと。
 
----------------------
◎今日のひと言「こと細かなテーマを日々に臨む」

 1.小銭に気を配れば金はたまる
 2.名文を見たら書き写す事
 3.苦労は買ってでもせよ
 4.楽をしたければ汗をかけ
 5.人に挨拶をせよ、良い言葉を遣え
 6.囲碁、将棋はしないこと
 7.浮世はがまんと努力次第
 8.借金背負って起きるより、晩めし抜きで寝ろ
 9.人の倍働け
 10.人の悪口を言うより読書せよ
 11.暴飲暴食は貧乏への道
 12.仕事熱心な人と付き合え
 13.人には親切を与えよ
 14.車に乗ったら前をにらみ、安全運転せよ
 15.ハンドルを握り、大声で叫べ
 16.人間の動きは凡て天がみている真面目にせよ

------------------

梁の武帝父子の如きに至りては、

2020-02-25 17:35:51 | ブログ
第4056号 0202.26(水)

梁の武帝父子の如きに至りては、志、浮華を尚び、惟だ釋老の教を崇ぶ。武帝、末年、乃ち頻に同泰寺に幸(みゆき)し、親(みずか)ら佛教を講じ、百寮、皆、大冠高履(こうり)、車に乗りて扈従(こじゅう)し、終日、苦空を談説し、未だ嘗て軍国の典章を以て意と為さず。『貞観政要』484

梁の武帝父子の如きは、うわべの華美を貴び、ただ、仏教・老子の教えを尊崇していた。武帝は老年になってからは、度々同泰寺に出向いて自身で仏書の講義をし、百官たちは皆、大きな冠をかぶり、高い履物をはき、車に乗ってお供をし、一日じゅう仏法の教えを談論し、軍事・国政の制度については少しも心にかけなかった。484

 【コメント】「うわべの華美を貴び、仏教・老子の教えを崇拝していた」とありますが、平和的で大変いいことだと思います。

 世の中、非違行為をしたり、悪事に手を染めている人も数多おりますが、二度とない人生、和やかに語りあい、共通理解をして生きたいものです。

 人の親切が見に沁み、そして後、自分も親切を尽くして喜び合いたいものです。いがみあっても生産的なことは何も残らないと思います。

 今、新型の肺炎が席捲していますが、人類が地球を冒涜しているとして、天が怒っているのかな、と思うこともあります。

 北極の大きな氷が解けて行くということを、天はヨシとしないと思います。人々が便利になるという口実を楯に自動車を生産し、地球上を走り廻るのも天はヨシとしているのでしょうか。

 突飛な考えですが、自動車会社の会長・社長を天が裁判し、直ちに天へ昇っていただくとしたら許してくれるものでしょうか。

 自宅の上には市営ビルが建っていますが、ここに住む若いお姉さんたちが、朝は車を飛ばして出勤しているみたいです。この方々は、事故の経験がないものですから、多くが速度違反をしていると観察されます。

 お互いが自らを律して地球自然を考慮してくれればいいのですが、人間は自分に都合のいい理窟を考え出すのです。

-------------------------
◎今日のひと言「日々に生きるに正直か、否か」

 人生に処するには人柄の善し悪しがきびしく問われると思います。そこでは、正直かどうか、自己犠牲の精神にあふれているかどうか、公正かつ誠実に行動できるかどうか、などが厳格に観察されると思っています。

 このように世の厳しい試練にパスした人々は、戦火の危険をくぐり抜けて自らの勇気を証明した兵士と同様、高い尊敬に値すると思います。このように立派な人々が数多くいることを、われわれは誇りにしていいと思います。

 昨日も書きましたが、正直な人がいる半面、暴行・窃盗など非違行為に手を染める人も散見されます。だがこのような非違行為に手を染める心のさもしい欲張りをする人々は、長い生涯において心の喜びは味わえないと思います。正直という人格を捨てた人々には、心の平安が訪れるということは決してないのです。「悪事を働く人は、人を欺くのではなく、自分自身の良心を欺いていることになる」と思います。

 私の母は欲しいものがあったら自分で真面目に働いてから手に入れなさい」と何時も言っていたものです。10人の子供を産んだ母は元気あふれる女でした。

--------------------

方圓は器に在り、水に在らず、と。

2020-02-24 16:52:48 | ブログ
第4055号 02.02.25(火)

方圓は器に在り、水に在らず、と。故に堯舜、天下を率いるに仁を以てして、人、之に従ふ。桀紂、天下を率いるに暴を以てして、人、之に従ふ。下の行ふ所は、皆、上の好む所に従ふ。『貞観政要』483

方形と円形とは器物によるものであって、水によるものではない』と言っている。それゆえ、大学に『堯舜が仁愛によって天下を率いて人民はこれに従った。桀紂が暴虐によって天下を率いて人民はこれに従った』とある。このように下民の行うところは、皆、君上の好むところに従うものである。483

 【コメント】人々が君上の好むところに従うといっても、その内容が人々を大事にすることでなければなりません。

 今朝のテレビを見て、人々がワル化してきたなと思い唖然としています。鉢に植えているお花を盗む、他人の家に侵入し金を盗む、と枚挙にいとまがないようです。

 人が見ていないからと思っても、天は見ているのです。必ずバレてしまうのです。非違行為をした場合は心が晴れ晴れとしないと思います。ということは健康上もよくないのです。

-----------------------
◎今日のひと言「日々を充実させるために」

 毎日毎日を充実した生き方とするためには、規則正しく物事に対処することが大事だと思います。それは、注意力、勤勉、正確性、手際のよさ、時間厳守、迅速さが、真摯さ等であると思います。

 この事柄は、一見つまらないことのように思えるでしょうが、実際は、人々が世の役に立ち幸福や繁栄を得るにはきわめて大切な、要素をもっているといっていいでしょう。

 このようなちょっとした行動の繰り返しによって、人間の全人格は形成され、国家の性格も決定されると思います。堕落した人間や、衰退した国家には、必ずといってよいほど、ささいな事柄を無視した形跡が見られるようです。

 われわれはこれまで、産業や芸術、学問の分野ですぐれた仕事を成し遂げた人たちの例を多く見てきました。ですから、いかなる職業でもねばり強さと勤勉が重要だという点については、認識を共有できると思います。日々の努力が証明するように、ささいなことがらでも、不断の注意を払う事は人間の進歩の前提だと思います。

 正確さも大切なことであります。対応する人間が十分に修養や訓練を積んできたかどうかを判断する決め手ともなります。ものごとを観察したり、事務を処理したりする際には、正確さと真摯さが何よりも肝心だと思います。

 しかしながら現実には、正確さという重要な資質に対してはほとんど注意が払われていない向きがあるように思われます。

------------------------
『善の研究』第428回

 道徳の点より見れば、かかる行為はたとい愚であっても己が至誠を尽した者に劣っている。或は一個人が己自身を潔うする一人の善行よりも、たとい純粋なる善動機より出でずとするも、多数の人を利する行為の方が勝っているというのであろう。しかし人を益するというにも色々の意味があって、単に物質上の利益を与うるというならば、その利益が善い目的に用いらるれば善となるが、悪い目的に用いらればかえって悪を助けるようにもなる。204
---------------------
テレビでは神戸のいじめ事件を報道しています。これは刑事事件だとおもいます。することなすことがなっていません。傷害事件として立件して刑務所にブチコンデ欲しいものです。

-----------------