第2923号 28.12.31(土)
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怨み豈明らかなるに在らんや。見えざるを是れ図れ。『左伝』
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他人の怨みは、決してあらわに出てくるものだけではない。むしろ目に見えないところにも積み重ねられている。だから、その見えない怨みをよく注意していかなければならない。(『書経』五子之歌)256
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【コメント】日々多忙な中で、人は一寸した間違いを起しやすいものです。でも基本的には、西郷南洲翁の漢詩「子弟に示す」にあるように、「過ちは自分に」、そして「利は他人様へ」という気持ちでいれば間違いは少しでも減少すると思います。
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早いもので今年も今日が最後となりました。
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昨日は、鹿児島史談会会長・伊牟田先生が私に会いたいとのことをご夫人より承り、入院している病院へ行ってきました。高齢でもあり、1月22日の講演は出来ないと申していました。大変悪いなと観察した次第でした。
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伊牟田先生は鹿児島県教育長を歴任した有名な方で、西郷南洲顕彰館の専門委員をしていることもあり、ご高名は存じ上げていました。所が数年前、南洲翁遺訓改竄事件が発生し、このままでは、西郷先生、菅先生に申し訳ないと思って、その阻止運動を企画したのでした。
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そこで荘内の先生方と交流している私に一肌抜いてくれと説得したのでした。「西郷南洲顕彰館の伝統及び、西郷南洲翁と菅臥牛翁の徳の交わりを広める会」の会長をして欲しいと懇願され、その仕事をしたのでした。
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結果的に鹿児島市議会で議員が質問し、鹿児島市長、教育長の答弁を引き出し、今の所、『南洲翁遺訓』改竄はないことになっています。『南洲翁遺訓』は西郷隆盛と直接会っていろいろ訓戒を賜わった荘内藩の藩士たちの記録の結晶であり、何人といえども、その原文に手を加えてはならないとされているのです。
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それをあろうことか、ある男の職業的に汚染された人間の独断で事を勧めようとしたものなのです。『教養のすすめ』では、<マスコミの一時の毀誉褒貶がいかに無意味なものか>(頁88)と論じていますが、そういう仕事に携わる人の思い上がりを戒めています。同感です。
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『臥牛菅実秀』(第457回)
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この人には、つぎのような逸話がのこっている。
いつかの選挙のとき、松ヶ岡開墾場の若い人たちが、隊を組んで戸別訪問をして歩いた。このころは、戸別訪問は法的に認められていたが、大勢が隊を組み、肩をいからして依頼して歩いたことが脅迫とみられ、選挙法にひっかかってしまった。
このとき、責任者として出頭したのが地主常松である。地主は冒頭から取調べの検事に向って
「依頼と脅迫の境界を示してくれ。」
と迫った。
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高木先生、中澤先生はじめ、このブログを御覧戴いた皆様、この一年、本当に有り難う存じました。私が主宰する日本空手道少林流円心会は初期の目的のとおり、今後も真摯に『南洲翁遺訓』と荘内精神を学んで行くことをお誓い申上げます。
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それは南洲神社で勉強していた南洲会の先生方の総意として、私に遺言的に頼まれた為でもあります。ですから、邪な団体の誘いには絶対与しない決意です。
『孟子』に云う「千万人と雖も」私は正義を貫きます。この一年、本当に有り難う存じました。
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怨み豈明らかなるに在らんや。見えざるを是れ図れ。『左伝』
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他人の怨みは、決してあらわに出てくるものだけではない。むしろ目に見えないところにも積み重ねられている。だから、その見えない怨みをよく注意していかなければならない。(『書経』五子之歌)256
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【コメント】日々多忙な中で、人は一寸した間違いを起しやすいものです。でも基本的には、西郷南洲翁の漢詩「子弟に示す」にあるように、「過ちは自分に」、そして「利は他人様へ」という気持ちでいれば間違いは少しでも減少すると思います。
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早いもので今年も今日が最後となりました。
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昨日は、鹿児島史談会会長・伊牟田先生が私に会いたいとのことをご夫人より承り、入院している病院へ行ってきました。高齢でもあり、1月22日の講演は出来ないと申していました。大変悪いなと観察した次第でした。
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伊牟田先生は鹿児島県教育長を歴任した有名な方で、西郷南洲顕彰館の専門委員をしていることもあり、ご高名は存じ上げていました。所が数年前、南洲翁遺訓改竄事件が発生し、このままでは、西郷先生、菅先生に申し訳ないと思って、その阻止運動を企画したのでした。
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そこで荘内の先生方と交流している私に一肌抜いてくれと説得したのでした。「西郷南洲顕彰館の伝統及び、西郷南洲翁と菅臥牛翁の徳の交わりを広める会」の会長をして欲しいと懇願され、その仕事をしたのでした。
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結果的に鹿児島市議会で議員が質問し、鹿児島市長、教育長の答弁を引き出し、今の所、『南洲翁遺訓』改竄はないことになっています。『南洲翁遺訓』は西郷隆盛と直接会っていろいろ訓戒を賜わった荘内藩の藩士たちの記録の結晶であり、何人といえども、その原文に手を加えてはならないとされているのです。
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それをあろうことか、ある男の職業的に汚染された人間の独断で事を勧めようとしたものなのです。『教養のすすめ』では、<マスコミの一時の毀誉褒貶がいかに無意味なものか>(頁88)と論じていますが、そういう仕事に携わる人の思い上がりを戒めています。同感です。
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『臥牛菅実秀』(第457回)
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この人には、つぎのような逸話がのこっている。
いつかの選挙のとき、松ヶ岡開墾場の若い人たちが、隊を組んで戸別訪問をして歩いた。このころは、戸別訪問は法的に認められていたが、大勢が隊を組み、肩をいからして依頼して歩いたことが脅迫とみられ、選挙法にひっかかってしまった。
このとき、責任者として出頭したのが地主常松である。地主は冒頭から取調べの検事に向って
「依頼と脅迫の境界を示してくれ。」
と迫った。
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高木先生、中澤先生はじめ、このブログを御覧戴いた皆様、この一年、本当に有り難う存じました。私が主宰する日本空手道少林流円心会は初期の目的のとおり、今後も真摯に『南洲翁遺訓』と荘内精神を学んで行くことをお誓い申上げます。
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それは南洲神社で勉強していた南洲会の先生方の総意として、私に遺言的に頼まれた為でもあります。ですから、邪な団体の誘いには絶対与しない決意です。
『孟子』に云う「千万人と雖も」私は正義を貫きます。この一年、本当に有り難う存じました。
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