味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

天下の事、大患は只是れ人の非笑するを

2018-04-30 09:15:05 | ブログ
第3408号 30.04.30(月)

天下の事、大患は只是れ人の非笑するを畏るるのみ。車馬を養はず、麄(そ)を食し、悪しきを衣、貧賤に居れば、皆人の非笑するを恐る。當に生くべくんば則ち生き、當に死すべくんば則ち死し、今日の萬鐘は、明日之を棄て、今日富貴にして、明日飢餓するも、亦卹(うれ)へず、惟義の在る所のみなるを知らざるのみ。『近思録』406

 世の中の事のなかで、ひどく気になるのは、人の嘲笑を恐れることである。車馬を持たず、粗末なものを食い、粗末な着物を着、貧賤な暮らしをすると、誰しも人に嘲笑されることを恐れる。彼らには,生くべきときは生き、死すべきときは死し、今日の高禄も明日は棄て、今日は富貴で明日は餓えても、心にかけず、ただ道のあるところに従っていく、といったことがわからない。

 【コメント】「世の中の事の中で、ひどく気になるのは、人の嘲笑を恐れる」とありますが、その嘲笑する人々」は実害を加えたりはしないと思います。

 ですから、誰が笑おうが、気にぜず日々の自分なりのノルマを着実にこなして行きたいものです。貧乏所帯で育った私は、貧乏のことは気にせず、とにかく働いて働いてを繰り返してきました。

 笑ったりけなしたりする人は、いつの間にかあの世に逝ってしまうのです。私は空手道が好きで稽古をしていましたが、仕事を大概にして空手道をしていると誤解している後輩から文句を言われたことがありました。

 ところがその文句男はあの世に逝ったと伺いました。そういう空手道気違いの私に、大根占局長の愛甲さんは、貴方みたいに死にもの狂いで仕事をした人を始めてみた、恐れいりましたと静坐をしてお辞儀をしてくれたのでした。

 心の病を持つ人が世の中にはいますが、これは天の配剤だとみています。半世紀精神病院に通い続け、そのように思うようになりました。ですから、人に来る不幸は自分にも来るのです。

 ただお隣の国の御殿様だけは信用してはならないと思います。叔父さんと兄さんを粛清する人間を信用してはなりません。

 今先、十時にカナコチャンがご両親とやってきました。小学一年生になったそうです。空手の舞を御稽古したいということでした。やがて荘内にいきましょうネとお話しました。

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『不動心』(第266回)

 冬に無花果を求めることの愚

 「冬に無花果を探し求めるのは狂気の沙汰である。されば、子宝に恵まれる時期を過ぎてもなお子供をほしがるのもまた狂気の沙汰である。」(エピクテトスの言葉より)

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『言志録四』106

 自ら欺かず

 自ら欺かず。之れを天に事うと謂う。

 〔訳文〕自分で自分をあざむかない。これを天に事うるというのだ。

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故に明王の孝を以て天下を治めるや此の如し。

2018-04-29 09:51:51 | ブログ
第3407号 30.04.29(日)

故に明王の孝を以て天下を治むるや此の如し。詩に云ふ、覚たる徳行有り、四國之に順(したが)ふ。『孝経』223

 昔の明徳を備えた王さまが、孝道によって天下を治められたことは、このように立派であられた。そこで思い起されるのは、あの『詩経』の大雅、抑の章にも言っているように、人君に正直高大の徳行があれば、四方の国ぐにが、これを手本に則り順徳することになろうと。

 【コメント】『礼記』檀弓上篇に、「夫の明王興らず、而して天下それ孰れか能く予を宗とせんと。」同じく、楽記篇に、「礼学の情同じ。故に明王以て相沿(よ)るなりと。」同じく、哀公問篇に、「孔子遂に言ふて曰く、昔三代明王の政は、必ず其の妻子を敬するや、道あり、妻なる者は親の主なり。敢て敬せざらんや。子なる者は親の後なり。敢て敬せざらんや。君子敬せざる無きなりと。」同じく、表記篇に、「子之を言ふ。昔三代の明王、皆天地の神明に事ふと。」このように、明王を言うときは、明王の孝を以て天下を治むということと同じく、人の道を言行の基本と考えている。而治世の本は孝道にある、とあります。

 とにかく素晴らしい人生にするためには、それぞれの人が「孝」と「徳」を身に着けて、人生に活かすことが大事であろうと思います。人様に親切にすれば、その気持ちが自分へ返ってくるとは道理であります。

 昨夜の空手道教室では、そういうことも含め子供たちに説明しました。入会して半年くらいの子供が泣きごとばかり言うので、それは止めたほうがいいですよと言い聞かせました。

 先程福岡筑紫野へ引っ越した福元恵士くんの母親さまへ電話しました。引っ越して凡そ一か月幾らか慣れてきたそうです。先般私が恵士くんへお手紙を出したらそれに恵士くんが元気づけられたと伺いました。

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『不動心』(第265回)

 有徳の士の人生を折にふれて思い出せ

 エペソス人の書き残した文書の中に、「今はなき有徳の士の人生を、折にふれて思い出せ」という教えがある。
 読み書きの規則は、覚える前に教えようとしても無理だ。人生の規則はなおさらだ。

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『言志録四』100

 静坐する数刻の後、人に接するに、自ら言語の叙有るを覚ゆ。

 〔訳文〕静坐して数時間後に、人に接すると、自然に話す言葉に筋道が立っていることに気付くものである。

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趙景平問ふ、子は利を言ふこと罕なり。

2018-04-28 09:35:14 | ブログ

第3406号 30.04.28(土)

超景平問ふ、子は利を言ふこと罕なり。謂ふ所の利とは何の利ぞ、と。曰く、獨り財利の利のみならず、凡そ利心有れば、便()すなわち可ならず。一事を作(な)すが如き、須らく自家穏便の處を尋ぬべし、皆利心なり。聖人は義を以て利と為す。義として安らかなる處、便ち利と為す。釋氏の學の如き、皆利に本(もとづ)く、故に便ち是ならず、と。『近思緑』395

 趙景平が「孔子は利をあまり口にされない、と論語にありますが、そこでいう利とは何の利でしょう。」と質問すると、「財利の利とは限らない。凡そ、利を求める心があれば、よくない。例えば、何かをする場合、自身に楽な点を求めるであろうが、それはすべて利を求める心なのだ。聖人は義を利と考えている。義として安らかな点が、つまり利である。仏教などはすべて利に基づくので、間違いになる。」と先生はおっしゃった。

 【コメント】「聖人は義を利と考えている」とありますが、聖人ならずとも義を利と理解する部分だってあると思います。従って世の人々が理解・納得する部分で、義を利、利を義と捉えてもいいのではないかと思います。

 柔軟な思考のもとに捉え、世の人々と共通理解したいものです。

 昨日はお隣の国の代表者が会談し、世界中が見守ったとのことです。特に北朝鮮の考えは義も利もへったくれもないでしょう。自分に都合がよければそれでいいというだけのことでしょう。

 平和、安全を強調するのであれば、拉致をした人々を先に返すべきです。そういった視点から見ても全く信用できないでしょう。
 
 然し天は精確に観ているのです。することなすこと、一朝一夕を固唾をのんでみていると思います。ですから、指導者は後々のことを考え正しい観察・判断をして欲しいものです。

 また別件で、トキオのメンバーが女子高校生を自宅に呼んで酒を飲ませたとして、大いに糾弾されています。40歳の男は焼酎を一本飲んだのことです。妻子がいながら、そういうことをする人間は永久追放をしなければならないでしょう。

 本当に悪いと思ったなら、断酒しなければならないでしょう。そして長々と頭を下げたといいますが、その作法がなっていません。真心からの謝罪ではないと私はみました。

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『不動心』(第264回)

 人生に一定不変の目的をもつこと

 「人生に一定不変の目的がなければ、その人生自体も一定不変ではあり得ない」
 このいい方は、その目的が何であるべきかをつけ加えない限り、はなはだ不十分なものである。ただし、一般に何が善いことかという点について、われわれの意見はあまり一致していない。一致しているのはある種のことがら-----つまり社会の利益に影響があることについてである。したがって、われわれのめざす目標は、われわれの同胞と社会の利益に貢献するものということになる。あらゆる努力をここに向ける人間は首尾一貫した行動がとれるようになり、ひいてはいつまでも、自分を失わないでいられるにちがいない。

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『言志録四』99

 立誠と居敬

 立誠は柱礎に似たり。是れ竪の工夫なり。居敬は棟梁に似たり。是れ横の工夫なり。

 〔訳文〕修養する場合、誠を立てるということは、丁度建築をする時土台をしっかり据えると同じく、根本を確立することで、これは竪の工夫である。また、敬にいるということは、棟や梁を置くようなもので、これは横の工夫である。このように立誠と居敬によって立派な人物が築き上げられるのである。

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是を以て天下和平にして、

2018-04-27 09:44:02 | ブログ
第3405号 340.04.27(金)

是を以て天下和平にして、災害生ぜず、禍福作(おこ)らず。『孝経』222

 このように、天子が孝道に本づいて天下を治められると、天人感応の原理から、天下は平和がたもたれて、自然界の天災地変も起らず、人間社会の乱臣賊子も現れない。

 【コメント】解説に「天子が孝道に本づいて天下を治められると、----天下は平和がたもたれて--」とあることは大変すばらしいことだと思います。

 天災と人災の不測の事故に備えて、天下の和平と人道の順とに深い関係あるものとして、孝の徳を両者の接点に位置づけてある。理想として孝治による道徳が政治の基本を為すものとみている。諸家の解説と見解においても、この点が力説してある。

 孝道が治国平天下の根源を為すものとして、その背景に宇宙や自然の摂理のあることを洞見した論である、とあります。とにかく物事は、いい方へいい方へ行くよう考えたいものです。

 今国会では自民党の進め方に野党が反発して、審議拒否として欠席していますが、そういうことをすると国民の不信感を懐くことになると思います。

 今日は韓国と北朝鮮のトップ会談が行われていますが、北の非核化は望めないと私はみています。過去、歴史的にウソをついてきたわけですから、すぐ信用してしまうということは、よくないと思います。

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『不動心』(第263回)

 行動の二原則

 第一に、人に危害を与える坑道無意味な行動をことごとく避けること。第二に、あらゆる行動の目的を公共の利益という一点に向けなさい。

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『言志録四』94

 敬六則

 敬稍弛めば、則ち経営心起る。経営心起れば、則ち名利心之れに従う。敬は弛む可からざるなり。

 〔訳文〕つつしみの心が弛んでくると、たくらみの心が起こってくる。たくらみの心が起こってくると、名利に走ろうとする心が起こってくる。こうなると道徳を害う危険があるから、敬の心を弛めてはいけない。

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或るひと科挙の事業は、

2018-04-25 17:22:32 | ブログ
第3404号 30.04.26(木)

或るひと科挙の事業は、人の功を奪ふと謂ふも、是れ然らず。且つ一月の中、十日挙業を為さば、余日は學を為す可きに足る。然れども人此れに志さざれば、必ず彼に志す。故に科挙の事は、功を妨ぐるを患へず。惟志を奪ふを患ふるのみ。『近思録』403

 科挙の勉強は、人の本来の学問をだめにする、という人もいるが、それは違う。まず、一箇月のうち、十日間受験勉強をすると、残りの日は本来の学問をするのに充分である。しかし、人はこちらに心を向けないと、あちらに心を向けるものだ。それで、科挙の勉強は、本来の学問を妨げる恐れがあるというよりも、心を奪う恐れがあるのである。 

 【コメント】科挙の試験は大変難しいと聞いたことがありますが、我々凡人は、出来る範囲でボツボツ諦めることなく、取り組みたいものです。

 どんな優秀であっても、人様と共に生きる世界ですから、人々の共鳴もなければならないと思います。昨日は元プロ野球選手・衣笠さんのことを書きましたが、おだやかに語りかける姿をわすれることができません。

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『不動心』(第262回)

 全体から部分への考察

 ものごとは常に全体を眺めるようにしなさい。そのものごとの何があなたの気をそそるのかを見つけ出しなさい。その後で、ものごとを分析して原因、素材、目的、寿命に分けて考察することだ。

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『言志録四』75

 真の楽しみ

 人は須らく快楽なるを要すべし。快楽は心に在りて事にあらず。

 〔訳文〕人は誰でも心に楽しみをもたねばならない。楽しみは自分の心の持ち方にあって自分の外にあるのではない。

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