味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

令和3年6月30日(水) 貞観政要・頁652 叡聖の

2021-06-30 14:29:02 | ブログ
叡聖の聡明を以て、幽微として燭さざるは無し。頁652

(訳)陛下のすぐれて聖なる聡明は、どんな幽微な所も明らかに照らさないことはございません。頁653
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  『生きよう今日も喜んで』平澤與語録

  平澤先生は神経解剖学、特に運動神経の研究では世界的権威であり、且つ偉大なる教育者でありました。私が初めて先生の謦咳に接したのは昭和四十年、先生が住友生命の審議員になられた時でした。
 私はその翌年社長なったのですが、数年後先生に監査役をお願いし、次いで取締役になっていただきました。
 先生がわが社の役員になられた時、ある新聞記者が「京都大学の総長までやられた方が、どうして一民間会社の重役を引き受けられたのですか」と質問しました。先生はこれに対し「生命保険事業は世のため、人のためになり、社会的に重要な仕事だと思っていますし、この会社には話のわかる男がいるからです」と答えられました。
 この言葉は私どもには非常に印象的であり、大変感激したものでした。

令和3年6月29日(日) 貞観政要・頁652 況んや人君の

2021-06-29 14:10:54 | ブログ
況んや人君の高下するは、将た何を以て其の手足を措かんや。頁652

(訳)まして人君が刑を高下したならば、人民はどうして安心してその手足を措くことができましょうや。頁653
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  『論語の活学』安岡正篤

 論語をみると、われわれが日常遭遇する現象や

令和3年6月28日(月) 貞観政要・頁652 張湯、其の心を

2021-06-28 10:21:07 | ブログ
張湯、其の心を軽重して、漢朝の刑以てやぶる。人臣の頗僻なるを以てすら、猶ほ能く其の欺罔を申ぶる莫し。頁652

(訳)臣下の不公平でさえ、そのごまかしを伸ばすことができません。まして人君が刑刑を高下したならば、人民はどうして安心してその手足を置くことができましょうや。頁653
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 『古今に学ぶ』安岡正篤講録

 親 と 師

 ーーー道を聞くといふことーー

 この時世をどう救ふかといふことになると、根本的にやはり昔から言ひつくされてきてをる通り人心を正すこと、道徳を振興することです。然し言ふは易く、行ふは難しで、これはその實政治や経済などより最もむづかしいことかも知れません。おそらく何事についても、多くの人々が意見を言へば、議論の花が咲くだけで、つきることはありますまい。道徳についても、躾をどうしたらよいかとか、それにはまづ家庭だとか、學校だとか、或は環境をどうせねば、新聞をどうしたら、憲法を改正せよ。いやいけない。これがよい、それはいかぬといふやうに、世論はつきません。物事は一利あれば一害あり、あれも一理、これも一理で止まるところがありません。そこで昔から賢者の言ふ通り務本立大で、まづ根本を立てねばなりません。何事によらず、本立って道生ずと論語にもありますが、すべて困難な問題、紛糾した問題ほど、始めに返り本に帰って考え行ってゆくことが大切です。


令和3年6月27日(日) 貞観政要・頁652 昔、州澪、

2021-06-27 10:27:27 | ブログ
昔、州澪、其の手を上下して、楚国の法遂に差ふ。頁652

(訳)昔、州澪はその手を上下して楚国の法が違背し、張湯はその心を軽重したために漢朝の刑法はやぶれました。頁652
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  『福沢諭吉』小泉信三著

 福沢諭吉は、天保五年甲午十二月十二日(一八三五年一月十日)、大阪に生まれ、明治三十四(一九〇一)年二月三日、東京に死んだ。生まれた場所は、現在の大阪市を東から西へ貫いて流れる河の中島と相対する北岸の地で、生まれた家(堂島五丁目玉江橋北詰、中津藩邸内、表門を入りて右手の長屋)は、すでに取りこわされて、その場所は、大阪大学医学部の大きな建物によって占められているが、そこに福沢が生まれたという小記念碑が路傍に立っている。

令和3年6月26日(土) 貞観政要・頁652 人競いて

2021-06-26 10:28:34 | ブログ
人競ひて時におもむけば、則ち憲章、一なず。之を王度に稽ふるに、實に君道をかく。頁652

(訳)そして人々が争って時代の風潮を追いますれば、国の法律の不統一ということになります。これを昔の王者の徳に比較いたしますれば、実に君主たるの道に欠けるものがあると存じます。頁652
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  『人生最高の「果報」を手にする帝王学』安岡正篤著

 この生き方こそ「わが人生最大の財産」と誇っていい!!

  世の中が進むにつれて、何を拠り所に生きたらいいのかわからない人が多くなった。昨日の常識が今日は非常識になっているのである。こんな例は身近にいくらでもある。
「難しい世の中になりましたね。どう生きたらよいのか、さっぱりわからなくなりました。これからどうなっていくのでしょうか。富士山に登りつめて、あとは降りる一方の世の中になるのではないですかね」
 と、ある企業のトップが話している。
 確かに、敗戦の焼土の中から五十年かけて必死に今日の繁栄をみんなでつくりあげてきた。経済成長と生産性向上が至上命題のように、夢中になって働いてきた。ところが、その繁栄がピークを過ぎて急にしぼんでしまった。社会のあらゆるところで「活断層」が目立ち始める。その「活断層」がそれまでの常識を非常識に変え、人々から生きていく自信、勇気を奪ってしまっている。