味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

太宗がある時、侍臣たちに、

2019-10-31 11:16:41 | ブログ
第3941号 01.11.01(金)

太宗嘗て侍臣に問ひて曰く、朕が子弟孰れか賢なる、と。侍中魏徴對えて曰く、臣、愚暗にして、儘くは其の能を知ること能はず。惟だ呉王數々臣と言ふ。臣未だ嘗て自失せずんばあらず、と。上曰く、卿、前代を以て誰にか比す、と。徴曰く、經學文雅は、亦、漢の閒平なり。孝行の如きに至りては、乃ち古の曾閔なり、と。是に由りて、寵遇彌々(いよいよ)厚し。因りて徴の女(むすめ)を妻(めあ)はせしむ。『貞観政要』394

太宗がある時、侍臣たちに、「我の子弟の中で誰が賢であるか」と問われた。侍中の魏徴がお答えして言った、「私は暗愚でございますから、御子弟の能力を残らず知り尽くすことはできません。ただ呉王は度々私とお話いたしました。私はいつも及ばないことに驚きました」と。太宗は重ねて、「公は前代では誰に比較できると思うか」と問うた。魏徴がお答えして言った、「学問文章については、漢の河間の献王と東平の憲王でございましょう。その孝行の点に至りましては、古代の曾子・閔子でございましょう」と。これによって太宗は特に寵愛して厚遇し、魏徴の娘を妻とさせた。

 【コメント】我々場末に生きる人間も学問文章と孝行については、他の誰にも引けをとらない人間になりたいものです。

 今政治の世界では、閣僚が辞任をするなど大変賑やかです。安倍氏は任命した私に責任があります。国民の皆様にお詫び致しますといいながらも、本人は何も悪びれてはいません。これは国民を愚弄しているということです。

 昨日は、NHKの番組に出るという女の子が紹介されましたが、よろしくお願いしまという時の頭の下げ方がなっていませんでした。先輩諸氏は礼儀作法を教えなければならないのです。思い上がってはならないのです。

 吉本興行関係の人々も、ただ笑わせるというよりか、品性よろしきを追求して欲しいものです。

 私は吉永小百合さんがお亡くなりになったかと思ってブログに書いてしまいました。昨晩空手道場から帰宅したら家内に文句を言われました。大変失礼致しました。お詫び申しあげます。

 昨晩も体はフラフラしながら空手道の指導を致しました。無事に帰宅しました。

----------------

韓王元嘉、貞観の初、潞州の

2019-10-30 15:40:55 | ブログ
第3940号 01.10.31(木)

韓王元嘉、貞観の初、潞州(ろしゅう)の刺史と為る。時に年十五。州に在りて、太妃疾有りと聞き、便ち涕泣(ていきゅう)して食せず。京師に至り喪を発するに及びて、哀毀、禮に過ぐ。太宗、其の至性を嗟し、屡々之を慰弁勉す。元嘉、閨門修整にして、寒素の士大夫に類する有り。其の弟の魯王霊虁と、甚だ相友愛す。兄弟集まり見ゆこと、布衣の禮の如し。其の身を修め己を潔くすること當代の諸王、能く及ぶ者莫し。『貞観政要』393

韓王元嘉は、貞観初年に潞州の刺史となった。その時、十五歳であった。州に居て母の太妃が病気だと聞き、泣き悲しんで物も食べなかった。都に至ったとき太妃は既に喪を発するや、元嘉は悲しみのあまり、やせ衰えることが礼の定めよりも過ぎていた。太宗はその極めて孝心深い生まれつきに感嘆し、たびたび慰め励ました。元嘉は家庭の中がよく修まり整い、質素な士大夫の生活に似ていた。弟の魯王霊虁と非常に仲が良かった。兄弟が互いに集まり会うごとに、その礼儀正しいことは庶人のようであった。そのよく身を修め潔白なことは、当代の諸王で及ぶものはなかった。

 【コメント】「家庭の中がよく修まり整い、孝心深い生まれつきに感嘆し、たびたび慰め励まし」たとありますが、お互いそのようにありたいものです。

 人間生きて行く過程では、お互い競争をする訳ですが、その中でもズルイことをしてはなりません。ましてや人を殴るとか、窃盗をする、他人を中傷するようなことがあってはならないのです。

 できれば競争する相手にも良い条件を与えたいものです。そして相手の成功には心の底から悦んであげたいものです。自分だけが特をして嫉妬されるよりか、相手にも特をして欲しいものです。

 政治の世界では自分たちだけは特をしたいと思うでしょうが、少し努力を要する位がいいのです。野党の諸君がいうように満足するやり方では人は育たないのです。満足をしたら贅沢をすることにつながるのです。

 贅沢をすると地球温暖化につながるのです。この度の東北の大雨もその辺が背景にあるという人がいましたが、そうなのかも知れません。

 現職時代、職場では若い青年たちは、出来るだけ楽をしたいのです。どん底の生活で生きて来た私とは天地の差がありました。そして上下の関係のマナーが悪いのです。

 挨拶のし方、言葉遣い、はデタラメといっていいくらいでした。長年、日本舞踊をおけいこし、厳しい師匠に指導されてきた私からみたら、目を背ける場面が多かったように思います。

 時は早い速度で過ぎ去って行くのですが、兎に角人を大事にしなければならないと考えています。人を見下げたりズルイことをしたら、必ず天の制裁があるのです。

 沖縄の首里城が31日、火災で全焼しました。沖縄の知事がデタラメを言うからだと言っている人がいますが、本当かも知れません。国は国家のためを思ってやっているのです。理解したいものです。

-------------------
『善の研究』第347回

 即ち快楽を目的とせざる自然の欲求というのは、つまり快楽を得る手段であったのが、習慣に由って目的其者となったいうのである。(ミルなどはこれについてよく金銭の例を引いている)。成程我々の欲求の中には此の如き心理的作用に由って第二の天性となった者もあるであろう。しかし快楽を目的とせざる欲求は尽くかかる過程に由りて生じたものとはいわれない。我々の精神はその身体と同じく生れなら゛らにして活動的である。種々の本能をもっている。鶏の子が生まれながら水に入るのも同理である。175

-----------------

虞世南、初め隋に仕えて

2019-10-30 09:33:04 | ブログ
第3939号 01.10.30(水)

虞世南、初め隋に仕えて起居舎人を歴(ふ)。宇文化及の弑逆の際、其の兄の世基、時に内史侍郎たり。將に誅せられんとするとき、世南、抱持して號泣し、身を以て死に代はらんと請ふ。化及、竟に納れず。世南、此より哀毀骨立すること數載、時人、稱重す。『貞観政要』392

虞世南は初め隋に仕えて歴官して起居舎人となった。宇文化及が隋の煬帝を殺したとき、世南の兄の世基が内史侍郎であった。世南は兄を抱きかかえて大声で泣き、自分が兄に代わって死にたいと願った。ところが化及はその願いを聞き入れず、兄の世基を殺してしまった。それ以来、世南は兄の死を悲しんでやせ衰えて骨が出るようになること数年で、時の人からほめ重んぜられた。392

 【コメント】「世南は兄の死を悲しんで骨が出るようになる」までになったとのことであります。どのような事情があるにせよ、人を殺すということはよくないと思います。

 それでも連日、新聞テレビでは人を殺害する、窃盗をするなどの情報が掲載されています。また、学園の60代の女性理事長が莫大な金を搾取したとも報道されています。こういう人を度胸のある人間というのでしょうか。いずれにしても、人様の顰蹙をかうことはすべきではないと思います。

 女優の八千草薫さんがお亡くなりになりました。またその前は吉永小百合さんもお亡くなりになりました。普通芸能界のオバサンたちはあばずれ女と言われていますが、八千草、吉永というお二人は人々から慕われていたみたいです。長くもない人生です。後々、人々から慕われる存在でありたいものです。八千草、吉永さんみたいにはできないとしても、品格ある生き方をして欲しいものです。

 政治の世界では、「身の丈発言」「雨男発言」で喧しくなっているようです。思うにこれらは何の問題もないと思うのです。

 寧ろ人々を煽って贅沢のすすめをする野党の方にこそ問題があるのです。今日の日本国の乱れは、野党の先輩たちの影響なのです。

 田舎で農業をし、たまたま電電に入社した先輩らは活字を読むこともなく、そこいらのアンチャンだったと視ています。

 社員ひとりひとりがその会社を背負っているので、日々は責任ある行動をしたいものです。

---------------
『善の研究』第346回

 むしろ凡て人間の欲求を断ち去った方がかえって快楽を求むるの途である。エピクロースが凡ての欲を脱したる状態、即ち心の平静を以て最上の快楽となし、かえって正反対の原理より出立したストイックの理想と一致したのもこの故である。しかし或快楽論者では、我々が今日快楽を目的としない自然の欲求であると思うている者でも、個人の一生または生物進化の経過において、習慣に由りて第二の天性となったので、元は意識的に快楽を求めた者が無意識となっのであると論じている。174

----------------

司空房玄齢、継母に事へて

2019-10-29 09:23:08 | ブログ
第3938号 01.10.29(火)

司空房玄齢、継母に事(つか)へて能く色を以て養ひ、恭謹、人に過ぐ。其の母病み、毉人を請ふ。門に至れば、必ず迎へ拝して泣(なみだ)を垂る。喪に居るに及びて、尤も甚だ柴毀(さいき)す。太宗、散騎常侍劉洎に命じ、就きて寛譬(かんぴ)を加へしめ、寝牀に就き漸く鹽菜(えんさい)を食せしむ。『貞観政要』391

司空の房玄齢は、継母に仕えて、顔色を見てその心にかなうように孝養し、継母に対してうやまい慎むことは人なみ以上であった。その母が病気になって、医者を迎えたとき、医者が門に到着すれば、三公の高位にありながらも必ず自身で出迎えて拝礼し、涙を流した、母の喪に服しているときは、非常に悲しんでやせ衰えた。それを聞いて太宗は散騎常侍の劉洎に命じて、玄齢の家に行って、慰めさとして悲しみの気持ちをゆるめさせ、寝台で寝、粥だけでなくしだいに塩菜などを食べるようにさせた。391

 【コメント】「継母に仕えてその心にかなうように孝養し、そして母が病気になった時も自身で医者を出迎え、拝礼し涙を流した。母の喪に服しているときは非常に悲しんだ」とあります。

 私も親孝行をしたと思っていますが、私ごとき者とは天地の差がある孝行息子を知り、歴史には凄い人がいるものだと感嘆しています。

 連日、あおり運転をするとか、他人の店に入り窃盗をするとか、他人を殴るとかの非違行為が報道されていますが、出来れば、人様から悦ばれる行為をしたいものです。

 人を喜ばせる行いは、大変うれしいものです。二度とない人生です。人さまのお役に立ち、自分も他人様も楽しい人生であるよう努力をいたしましょう。

 同級生で柔道を習い、技を覚え、人を投げ飛ばすのを楽しみにしている男がいましたが、今頃はあの世で閻魔様に叱り飛ばされていると思います。

 人間は人に恨まれるために生れて来たのではなく、人のお役に立つために生れて来ているのです。少なくともあおり運転をする人間にはならないように致しましょう。

 今日は、銀行にダンボール箱(からっぽ)を抱え、この中には爆弾が入っている二億円だせと言って44歳の男が強盗未遂で来たとのことです。二度とない人生を自ら何故駄目にするのでしょうか。

-----------------
『善の研究』第345回

 毫釐(ごうり)にても自己の快楽の為にするという考があったならば、決して他愛より来る満足の感情をうることができないのである。啻(ただ)に他愛の欲求ばかりでなく、全く自愛的欲求といわれている者も単に快楽を目的としている者はない。たとえば食色の欲も快楽を目的とするというよりは、かえって一種先天的本能の必然に駆られて起るものである。餓えたる者はかえって食欲のあるを悲しみ、失恋の人はかえって愛情あるを怨むであろう。人間もし快楽が唯一の目的であるならば、人生ほど矛盾に富んだ者はなかろう。174

------------------

太宗、遼東の安市城を攻む。

2019-10-28 09:15:47 | ブログ
第3937号 01.10.28

太宗、遼東の安市城を攻む。高麗の人衆、皆、死戦す。詔して権延壽(けいえんじゅ)・恵眞等をして、降衆(こうしゅう)を領し、其の城下に止まり以て之を招かしむ。城中、堅く守りて動かず。帝の幡旗を見る毎に、必ず城に乗(のぼ)りて鼓噪(こそう)す。帝、怒ること甚だし。江夏王道宗に詔して、土山を築き以て其の城を攻めしむ。竟に剋つ能はず。太宗、將に師を施(かへ)さんとするや、安市城主が堅く城を守るの節を嘉し、絹三百匹を賜ひ、以て君に事ふる者を勵ます。『貞観政要』389

太宗が遼東の安市城を攻めた。その時高麗の人々は皆、必死になって戦った。権延寿・恵真等に詔して、降参した衆を引きつれて、その城下に止まって降伏をするように招かせた。城中は堅く守って少しも動揺しなかった。太宗の旗印を見る度に、必ず城に登って太鼓を打ち鳴らして騒ぎ立てた。太宗は非常に腹を立てて、江夏王の道宗に命じて土山を築いて城を攻めたが、とうとう勝つことができなかった。太宗は軍を引き返そうとしたとき、安市城主が堅く城を守った忠節をほめて、絹三百匹を賜い、君に仕えるものは、このようにあるべきものと勧め励ました。390

 【コメント】東北での大雨が去って後、人々が後片付けをしていますが、その作業は大変を極めてすます。

 上の貞観政要の解説を書こうとしたとき、東北の方々の苦労・大変さと同様だろうかと思った次第です。

 大雨は人々の自然に対する冒涜が原因だという人がいますが、人間への忠告なんだということを聞き、事実の程はどうであれ、お互い節約に努めたいものです。

 それと次元は異なりますが、吉本興行のお笑い芸人が20年の長期間納税をしていなかったとのことですが、使用者側はそういう事実をどのように思うのでしょうか。

 何もかもお笑いで吹き飛ばそうとしているのでしょうか。世の中の多くの人は真面目だと思っています。そういう真面目な人々を愚弄するようなことは良くないと思います。

 関東甲信越方面では、大雨洪水で被害を受けた人々を警察関係者が懸命の捜査をしています。とにかくまじめにしたいと思います。

---------------