第3500号 30.07.31(火)
慮を発すこと憲あり、善良を求むるは、以て小聞するに足るも、以て衆を動かすに足らず。賢に就き遠きを體するは、以て衆を動かすに足れども、未だ以て民を化するに足らず。君子如し民を化し俗を成さんと欲せば、其れ必ず、學に由るか。『礼記』542
ここに、ある君主もしくは為政者があって、その思慮が正当であり、かつ善良の士を求め用いることに熱心であるなら、彼はその美徳により、かなりの名声を得ることであろうが、しかしなお民衆の心を得て、自在に働かせるにはいたらないであろう。次に、みずから賢者について学び、身に近い物ごとについてのみならず、ずっと遠方の物ごとについても事情を好く知って、周到な政治をすることができれば、彼はこの能力により、民衆の心を得て自在に働かせることができるであろうが、しかしなお真に民衆を感化するには至らぬであろう。もし、君主や為政者が真に民衆を感化し、善美の風俗を作り出そうと欲するのであれば、それは必ず学問と教育に頼らねばならぬであろう。
【コメント】人間の一生には、いろいろな問題があるわけですが、遠い将来を展望して周到に運営することができれば、人々の心を得て自由に動かすことが出来るであろうが、真に人々を感化するには至らない。君主や為政者が真に人々を感化し、より良好に組織化しようと欲するのであれば、必ず学問と教育に取り組まなければならないとのことですが、これは全く異論のないことだと思います。何事にしても、真摯に継続的に勤勉でありたいとは、多くの人々が思うことでありましょう。
昨日は台風12号が来襲している中、枕崎の火の神公園に行き昼食をしました。枕崎で育ち、数多い台風にも遭遇ししたが、嵐の中での昼食は初めてでした。
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杜衍(とえん)の教え
宋朝きっての盛世といわれる仁宋の慶歴年間に登用された宰相である。
目立とうとするな
杜衍は門生にこうさとした。
「官途についたならば、清廉にかつ慎重にふるまえ。その存在を知られようとしてはいけない。目立とうとしてふるまえば、同輩のねたみを受けて、さまざまな中傷にあうことになる。上司だとて、人を見抜く能力が鋭いとはかぎらないから、ろくな結果にはならない。ゆったりとかまえて、不言実行を旨とし、自分に忠実であれば、それでよいのだ」
私は子供たちに自らを誇ろうとしてはなりません、と教えています。
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慮を発すこと憲あり、善良を求むるは、以て小聞するに足るも、以て衆を動かすに足らず。賢に就き遠きを體するは、以て衆を動かすに足れども、未だ以て民を化するに足らず。君子如し民を化し俗を成さんと欲せば、其れ必ず、學に由るか。『礼記』542
ここに、ある君主もしくは為政者があって、その思慮が正当であり、かつ善良の士を求め用いることに熱心であるなら、彼はその美徳により、かなりの名声を得ることであろうが、しかしなお民衆の心を得て、自在に働かせるにはいたらないであろう。次に、みずから賢者について学び、身に近い物ごとについてのみならず、ずっと遠方の物ごとについても事情を好く知って、周到な政治をすることができれば、彼はこの能力により、民衆の心を得て自在に働かせることができるであろうが、しかしなお真に民衆を感化するには至らぬであろう。もし、君主や為政者が真に民衆を感化し、善美の風俗を作り出そうと欲するのであれば、それは必ず学問と教育に頼らねばならぬであろう。
【コメント】人間の一生には、いろいろな問題があるわけですが、遠い将来を展望して周到に運営することができれば、人々の心を得て自由に動かすことが出来るであろうが、真に人々を感化するには至らない。君主や為政者が真に人々を感化し、より良好に組織化しようと欲するのであれば、必ず学問と教育に取り組まなければならないとのことですが、これは全く異論のないことだと思います。何事にしても、真摯に継続的に勤勉でありたいとは、多くの人々が思うことでありましょう。
昨日は台風12号が来襲している中、枕崎の火の神公園に行き昼食をしました。枕崎で育ち、数多い台風にも遭遇ししたが、嵐の中での昼食は初めてでした。
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杜衍(とえん)の教え
宋朝きっての盛世といわれる仁宋の慶歴年間に登用された宰相である。
目立とうとするな
杜衍は門生にこうさとした。
「官途についたならば、清廉にかつ慎重にふるまえ。その存在を知られようとしてはいけない。目立とうとしてふるまえば、同輩のねたみを受けて、さまざまな中傷にあうことになる。上司だとて、人を見抜く能力が鋭いとはかぎらないから、ろくな結果にはならない。ゆったりとかまえて、不言実行を旨とし、自分に忠実であれば、それでよいのだ」
私は子供たちに自らを誇ろうとしてはなりません、と教えています。
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