味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

慮を発すひと憲あり、

2018-07-31 09:55:47 | ブログ
第3500号 30.07.31(火)

慮を発すこと憲あり、善良を求むるは、以て小聞するに足るも、以て衆を動かすに足らず。賢に就き遠きを體するは、以て衆を動かすに足れども、未だ以て民を化するに足らず。君子如し民を化し俗を成さんと欲せば、其れ必ず、學に由るか。『礼記』542

 ここに、ある君主もしくは為政者があって、その思慮が正当であり、かつ善良の士を求め用いることに熱心であるなら、彼はその美徳により、かなりの名声を得ることであろうが、しかしなお民衆の心を得て、自在に働かせるにはいたらないであろう。次に、みずから賢者について学び、身に近い物ごとについてのみならず、ずっと遠方の物ごとについても事情を好く知って、周到な政治をすることができれば、彼はこの能力により、民衆の心を得て自在に働かせることができるであろうが、しかしなお真に民衆を感化するには至らぬであろう。もし、君主や為政者が真に民衆を感化し、善美の風俗を作り出そうと欲するのであれば、それは必ず学問と教育に頼らねばならぬであろう。

 【コメント】人間の一生には、いろいろな問題があるわけですが、遠い将来を展望して周到に運営することができれば、人々の心を得て自由に動かすことが出来るであろうが、真に人々を感化するには至らない。君主や為政者が真に人々を感化し、より良好に組織化しようと欲するのであれば、必ず学問と教育に取り組まなければならないとのことですが、これは全く異論のないことだと思います。何事にしても、真摯に継続的に勤勉でありたいとは、多くの人々が思うことでありましょう。

 昨日は台風12号が来襲している中、枕崎の火の神公園に行き昼食をしました。枕崎で育ち、数多い台風にも遭遇ししたが、嵐の中での昼食は初めてでした。

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 杜衍(とえん)の教え

  宋朝きっての盛世といわれる仁宋の慶歴年間に登用された宰相である。

  目立とうとするな

 杜衍は門生にこうさとした。
「官途についたならば、清廉にかつ慎重にふるまえ。その存在を知られようとしてはいけない。目立とうとしてふるまえば、同輩のねたみを受けて、さまざまな中傷にあうことになる。上司だとて、人を見抜く能力が鋭いとはかぎらないから、ろくな結果にはならない。ゆったりとかまえて、不言実行を旨とし、自分に忠実であれば、それでよいのだ」


 私は子供たちに自らを誇ろうとしてはなりません、と教えています。
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志士仁人の章を問ふ。

2018-07-29 15:37:02 | ブログ
第3499号 30.07.30(月)

志士仁人の章を問ふ。先生曰く、只だ世上の人の、都(すべ)て生身命子を看来ること太(はなは)だ重く、當に死すべきと、當に死すべからざることを問はず、定(かなら)ず宛轉委曲して保全せんことを要(もと)むるが為に、此を以て天理を卻って丟去(ちゅうきょ)し、心を忍び理を害うこと、何者か為さざらん。若し天理に違はば、便ち生を偸んで世上に在ること千百年なるも、也(また)千百年の禽獣となるに過ぎず。学者は此等の處に於て看ること明白なるを要す。比干(ひかん)・龍逢(りゅうほう)も、只だ他(かれ)の看ること分明なるが為に、所以に能く他の仁を成就し得たり、と。『伝習録』463

 論語の「志士仁人は、生を求めて仁を害すること無し。身を殺して仁を成すこと有り。」の章について質問した。先生曰く、「世間の人がすべて自分の生命を甚だ重く見て、死ぬべきであるか死ぬべきでないかを問わず、ただ上手に逃げ廻って、命ばかりを保とうとするために、天理を軽々しく棄て去って、本心を枉げたり、道理を害うような、どんなことでも平気でしないことはないのである。しかし、人がもし天理に反したことをするなら、禽獣と少しも違わないわけで、たとい生き長らえてこの世に百年千年といたところが、百年千年生きた禽獣であるに過ぎないのである。学問する人は、これらの点を明白に認識しなければならない。昔、賢者で暴君紂王を諌めたために殺された王子比干や、夏の紂王を諌めて殺された関竜逢も、この道理を明白に見たからこそ、あのような身を殺して仁を成すことができたのである。」464

 【コメント】この世に生を得て生き抜きたい人々は、天理を軽々しく棄て去ることなく、本心を枉げずに真摯に生を全うすることが大事であろうと思います。

 ところが自分の欲望を満たしたいために、平気で人を欺いたりする人が存在することは悲しいことです。そういう人が政治の世界にも数多いるようです。思うに、当該その人がいなくなった後でも、人々がその人格と行為を心から評価される人間でありたいものです。

 台風12号のコースが、今までの台風のコースと異なるコースを辿り、先の豪雨災害で被害を受けた人々をまたまた苦しめているみたいです。地球上で生活する人々が、謙虚に謙虚に生活するよう心がければいいのにと思うことしきりです。

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劉安禮云ふ、王荊公の政を執る

2018-07-28 13:59:36 | ブログ
第3498号 30.07.29日

劉安禮云ふ、王荊公の政を執る、法を議し令を改む。言者之を攻むること甚だ力む。明道先生嘗て旨を被り中堂に赴きて事を議す。荊公方に言者を怒り、色を厲しくして之を待つ。先生徐に曰く、天下の事は、一家の私議に非ず。願はくは公気を平にして以て聽け、と。荊公之が為に媿屈す。『近思録』540

 劉安礼がこういう話をしている。「王荊公は政権を握ると、法令の改変を行った。異見を言うものが力の限りそれを攻撃した。明道先生があるとき勅命を受けて中堂に行き、会議に出た。そのとき荊公は言者を怒っていたので、きびしい顔色で先生に応対した。先生はゆっくりと『天下のことがらは、個人の問題と違います。どうか平らな気持ちでお聞きください。』といわれた。荊公はそういわれて恥じいった。」

 【コメント】参考になるお話・事例です。ややもすると自分だけが正しいと思いこんで力むくせがあります。
 また一見正しいと思いこんで取り組んでも、長い歴史の過程では失敗であったということもあるでしょう。いい例が反戦・平和のとりくみです。
 先の大戦で敗北した日本では、革新系がつよくなり、反戦・平和・人権を推す勢力がつよくなりました。ところが70年経過してどうでしょう。
 子供たちは甘やかされ骨のない魚同然です。ですから反戦・平和と一緒に規律もなくてはならないと思うのです。そしてそういう団体は、仕事をする前から、仕事を減らせ金よこせが先であるのです。労働組合の3役を長年歴任してきた私は、そういう論理に与したくなかったのです。
 家庭的に貧乏で働きながら夜間高校で学んできた私は、仕事はするので賃金あげてくれ、と叫んできたものです。ですから多くの管理者の人たちとはおだやかに話をして協力的に事に臨んできたものです。

 昨夜は天候がいくらか悪かったけれども子供たちは参加してくれました。素晴らしい子供たちと空手道教室でおけいこができることは大変な喜びです。
 子供たちにノートを贈呈しました。終盤に「橋本左内(景岳)についての西郷隆盛の人物論」を全員で二回拝読しました。

 木曜日、第二道場で「---西郷隆盛の人物論」を贈呈しましたら、『南洲翁遺訓』発表女王・正田佳那子譲がノートに書いてきてくれました。書の専門家である内の家内に見せたら、すばらしいといって誉めてくれました。

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渡辺淳一著『瓦礫の中の幸福論』より

 空腹の日々

 アメリカ軍が進駐してきて、
 街の一部の様子は変わったが、
 街全体はむしろ静かで安定していた。
 かつてのように
 空襲警報や警戒警報のサイレンが鳴ることもなく、
 平和とはこういうことなのかと、
 改めて平和の意味がわかってきた。

 5歳の時、終戦を迎えた私は、幼少時代を振り返り、懐かしく思い拝読しています。戦後の日本は平和で有難いのですが、昨日のブログにも書いたとおり、厳しい規律がなければならないと思います。そういう精神を内面に秘めて空手道教室で子供たちを指導しているのです。

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朱熹著『宋名臣言行録』

 ひたすら自己涵養につとめる---蘇洵(蜀(今の四川省)の眉山県に生まれた。)161

 蘇洵は、子どものときから学問が嫌いで、二十歳になってもろくに書物が読めなかった。発憤したかれは、それ以後、遊び仲間と縁をきって家に閉じこもり、学問にはげんだ。一年後、受験資格をえて科挙に臨んだが、失敗した。家に帰ってから、かれは、
「こういう学問のやり方ではだめだ」
 といって、すでにつくってあった文章数百篇を全部焼きすててしまった。
 それからというもの、今まで以上に家に閉じこもって読書にはげんだが、自分で筆をとることはしなかった。こうして筆をたつこと五、六年、その間何度も筆をとる気持ちにかられたが、おさえにおさえて、ひたすら自己涵養につとめた。
 こうして長い年月がたったある日、かれは昂然といってのけた。
「よし、もうよいぞ」
 筆をとって机にむかうや、みるまに数千言を書きあげた。その縦横自在な言いまわし、問題の本質を衝いたするどい論法は、おどろくべきものがあった。
 思うに、蘇洵という人物は、天賦の才能が厚いカラにおおわれていたために、突き出るまでに時間がかかったのであろう。その志はもともと誠実であってたからこそ、それがすぐれた文章となって表れたのだ。
 かれが国都の開封に上ってからというもの、当時の学問を志す人びとは、こぞってかれに師事し、文章を学んだ。蘇氏親子は、ともに名をあげたので、人びとはかれを「老蘇」とよんで、区別した。
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君に事ふる者は量りて后に入る。

2018-07-28 09:24:22 | ブログ
第3497号 30.7.28(土)

君に事(つか)ふる者は量りて后(のち)に入る、入りて后に量らず。凡そ人に乞い假(か)るもの、人の為に事に従ふ者亦然す。然る故に上、怨無くして、下罪に遠ざかるなり。密を窺(うかが)はず、旁(みだり)に狎れず、舊故(きゅうこ)を道(い)はず、戯色(ぎしょく)せず。『礼記』528

 人に仕えようとする者は、その人を好く見定めてから仕えるべきであり、仕えてから見定めるのではない。およそ人に物を頼むとか、借りるとか、あるいは人に頼まれて仕事をするとか、そうした場合にも、事前に相手の人物を好く見て、そのようにすべきである。こうすればこそ君臣主従の間で、上が下に腹を立てるような事も起こらず、下は罰にかかることが無い。
 目上に侍るときは、何か秘密を探ろうとするかのような言動を慎み、みだりに狎れなれしくせず、軽率に昔の事を言い出さず、また相手を軽んじ侮るような顔つきをしない。


 【コメント】ここでは君臣主従の対応の在り方を論じていますが、我々凡人間であっても、基本的にはそうありたいものです。男女同権、平等もいいのですが、そこには相手を重んじた精神的おくゆかしさもあっていいんではないかと思います。

 今朝の読売テレビで地球温暖化の関係で2000年には大変な気温になるとの報道がありました。私はかねがね思っていたことでした。まさしく、人類の思い上がりに対する天の警告ではないだろうか、と思っています。

 それは人間の生活が快適で、いい思いをして、したいことをしたいようにするのだ、という思い上がりの何物でもないと思うのです。そういう思い上がりが、地球温暖化、あるいは地球破壊への道をたどっているとしたら、一考を要すべきではないでしょうか。

 人間は、一見賢明そうに見えるのですが、自然に逆行した場合、厳しい天の制裁が待ち受けているように思われるのです。

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渡辺淳一著『瓦礫の中の幸福論』より

 さまざまな噂

 戦争が終わるとともに、
 一気にあふれ出したのが、
 さまさせまな噂である。
 それまでも、
 いろいろな噂がなかったわけではないが、
 すべての情報は軍に管理されていて、
 みだりにおかしな情報を流すと、
 直ちに逮捕されて取り調べを受けた。

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逝く者は斯の如し、とは、

2018-07-27 09:35:59 | ブログ
第3496号 30.7.27(金)

逝く者は斯の如し、とは、是れ自家の心性の活発発地なるを説くや否や、と。先生曰く、然り。須要(かなら)ず時時良知を致すの功夫を用ふれば、方に才(わずか)に他(か)の川水と一般なり。若し須臾(しゅゆ)も間断せば、便ち天地と相似ず。此は是れ学問の極至の處にして、聖人も也(また)只だ此の如し、と。『伝習録』462

 黄勉之問う、「論語に、孔子が川の流れを見て、『過ぎ行くものはこの川の水の、昼夜を別たず流れるようなものであろう。』と言われた言葉は、自己の心性の生き生きした姿を、説明したものでしょうか、どうでしょう。」先生曰く、「そうである。人が必ず常に良知を致す修行を行なって怠らないなら、その時の心性はまさしく生き生きとしており、また、かの川の流れと同じ姿になるが、もし少しでも中断するようなことがあると、天地の自然の姿とは全く似もつかないものになってしまうであろう。これこそ学問の最も重要なところで、聖人とは、このようなものであったのである。

 【コメント】凡人の我々の心性も生き生きとして躍動的でありたいものです。そしてそれを世の人々と共有すべく、おだやかに前向きに話し合い善処したいものです。

 昨夜の空手道教室は正田宗一郎君もやってきました。塾へ行くため木曜日は都合が悪かったのですが、昨夜は塾がお休みだったとかで二か月ぶりのおけいこでした。セイサンの形をして貰いましたが全く落ちていなくて上手くできました。
 そして子供たちにノートを贈呈しました。橋本左内のことを書いていたのを本永歩希君に読んで貰ったら上手にできました。二部のおけいこは田上青年と、上山君とじゃれあいながらおけいこしてくれました。

 組手の基本稽古はこのようにするのです、と森永礼弥君、外山諒哉君に指導しました。

 昨日は東京でビル建築工事現場で火災が発生しました。5人が死亡したとのことです。安全作業優先で工事をしなければならないのですが、大火災、死亡事故を起しては本も子もないのです。

 オーム真理教の信者で死刑が確定していた13人が処刑されました。若くて優秀な大学の学生であった青年たちが麻原代表の餌食になったと思っています。
 多くの人を殺害したのだから、しかたありませんが、上に立つ人はウソを言わず真面目に人々を導かなければならないのです。安倍総理もです。

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橋本左内(景岳)についての西郷隆盛の人物論

 第一に、西郷隆盛、少壮にして江戸に在り、四方の賢人豪傑と交わったが、常に曰く、吾れ先輩においては藤田東湖に服し、同輩においては橋本景岳(左内)を推す、この両人はその才器といい、学問といい、また識見といい、吾輩のまねようとしても、まねられるものできない、と言って感嘆していたとあります。

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母の訓戒より------

 11.山に薪をとりに行くこと。
 12.困っている人には手を貸してあげなさい。
 13.無駄遣いをしないこと。
 14.節約をすること。
 15.人に手伝いを頼まれたら、悦んで貰えるようにすること。
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