タイトル---『南洲翁遺訓』一日一言。第1198号 24.03.31(土)
寺田一清先生の学道に勤しまれる姿に触発され、味園博之編『南洲翁遺訓一日一言』を書き始めました。ブログをご覧になられた方、厳しい評を提供してくださるようお願い致します。
解説は基本的に普通に書きますが、【略解】は、極端に異なり、道場で解説するような文言も出て参ります。政治経験のない空手指導者が、分けの分からぬ幼児たちに、如何に南洲翁遺訓を理解させるか、精神に食い込ませるか、浸透させるか、ということの種明かしともなります。ただし、原文は一言一句たりとも、替えるものではありません。思い上がった男が原文を改竄したりして全国的に話題になっていますが、そういうことをしてはならないのです。
一月一日 廟堂に立ちて
廟堂に立ちて大政を為すは天道を行うものなれば、些とも私を挟みては済まぬもの也。(第一章)
「政府の中にあって、国のまつりごを行うということは、天の道即ち天地自然の道を行うことである。したがって、いささかなりとも私心をさしはさんではならない。」
【略解】 廟堂とは、今いるところが廟堂である。家庭も学校も、そうである。そこでずいことをしてはいけない。人は、天道に則っている生き方をしているかどうかで、禍福が分かれるのです。
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〔コメント〕 初めて味園博之編『南洲翁遺訓一日一言』を書いてみました。賛否両論お待ちしています。何故、幼児期から『南洲翁遺訓』を教えるか、ということです。今の政治家は、国家国民のためにしているのではなく、自分のためにしかやっていないと断ぜさぜるを得ないと思います。
現政権は、以前、解散しろ解散しろと吼えづけていました。今日、世論を気にして自分らに都合がよい結果が゜出てくるのをまっています。それは国民のためではなく、自分らの利害のみが先行しているて言われても仕方ないでしょう。外国語の前に国語が先なのです。『南洲翁遺訓』こそが一番いいでしょう。
この戒めは、特定の政党だけでなく、すべての政党に共通することだと思っています。ただし、橋下市長率いる維新の会は別です。