味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

朕、比、直諌の路を開く者は、

2020-03-30 16:08:22 | ブログ
第4090号 02.03.31(火)

朕、比(このごろ)、直諌の路を開く者は、冤屈を知らんことを庶ひ、規諌を聞かんことを欲す。『貞観政要』505

我かこのごろ直言して諌める道を開いたのは、〔民間の〕無実の罪に苦しむ実情を知ることを願い、〔我の〕過ちを正し諌める言を聞きたいと思うからである。505

 【コメント】無実の罪に苦しむ実情があるとすれば、これは助けなければならないと思います。大崎町の原口あや子さんは刑に服したのですが、「あたややっちょらん」として弁護団が地裁にやり直しの陳情書を提出したとのことです。思うに当時の所轄警察署の署長は誰だったのでしょう。

 その昔、竹下一雄先生を囲んでの懇親会の時、鹿児島中央警察署の署長もご一緒したことがありました。

 その時、ガソリンスタンドの社長が、鹿児島中央警察署の署長を指さして、あいどま、誰でもいいから逮捕しさえすればいいんですよ、と言ったことがありました。

 そこで何回かデッチアゲの書類に押印したことがあるのだと言ったことがありました。原口さんを逮捕した時の警察署長は誰だったのでしょう。権力の横暴は無かったのでしょうか。

 人間何時、なんどき無実の罪をきせられる羽目になるかもしれません。ですから、アリバイを立証するメモを各自が綿密に記録する必要があると思うのです。

 全国的にコロナウイルスの件で外出自粛がされていますが、若者らは俺らには関係ないとタカをくくって町中を歩き廻っていますが、そういう性質悪さでいると天の制裁を受けることになるのです。

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◎今日のひと言「孟母三遷之教」

 中国山東省に鄒というところがあります。そこで生まれた孟軻(孟子の名)は、家が墓地に近く、葬式を見て育ったから、葬式の真似をして遊んでいたというのです。孟軻の母はこれを見て、
「ここはわが子を住まわせるところではない」と考え、市場の近くに引っ越したそうです。
 すると、孟軻は市場の人々の真似をして商人と客の取引きの遊びをするようになりました。孟軻の母は
「ここで我が子を育てるわけにはいかない」として、学校のそばに引越しました。今度は、孟軻は学校で教えている学問に近づいてその真似をし始めました。母は、「これならば、我が子の将来によいに違いない」と決め、ここで孟軻を育てました。

 孟軻は、自然の暮らしの中で学問に親しみ、成長すると六経(易・書・詩・春・秋・礼・楽に関する儒教の経典)に通じる大学者になったとのことです。
「ものを考える力」をどうやってつけていくか。一生かけて、一歩一歩と向上していく中で、心身に力が備わってくるものだと思います。

 学問に親しみ、修養に心掛けている人は、数日会わないでいると大変な変貌を遂げるといわれています。教養書等を日々に繙き、能力・人格向上に努めたいものです。
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 植松被告の死刑が確定したとのことです。弁護士が上告したのを本人が取り下げたとのことです。あれだけの大殺害をしてのですから、死刑は当然でしょう。弁護士は無罪をと言っていたとのことですが、気が狂っているのでしょう。
 罪を感じて死刑を堂々と甘受するというのは、最後に男の姿を見せてくれました。それにしても、傷害者であっても人間に変わりはないのですから、大事にして欲しかったと思う次第です。

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貞観中、太宗、玄齢・如晦等に

2020-03-29 17:27:22 | ブログ
第4089号 02.03.30(月)

貞観中、太宗、玄齢・如晦等に謂ひて曰く、古より帝王、上、天心に合して、以て太平を致す者は、皆、股肱の力なり。『貞観政要』504

貞観年中に、太宗が房玄齢・杜如晦等に語って言われた、「古来から帝王が天命にかなって太平の世を作り出したのは、皆、手足と頼む臣下の力によるものである。504

 【コメント】物事を解決するためには、一人責任者だけでなく、組織全員で対処した方がよろしいかと存じます。

 過去に購入した月刊誌文芸春秋を20冊廃棄しました。その中には総理安倍氏の言動に厳しく言及した内容が数多くありました。やはり長期政権にあぐらをかいているのを知識人は観ているのだな、と思いました。

 私は好きなタイプなのですが、嘘をいう所がいけないと思います。そして昭江バーサンは森友学園の校長就任以来について、本人が「有難い話でございますが、私はその任ではございません」と上手に辞退する人間性が欲しかったな、と思った次第でした。

 飲み屋を経営するなど、総理夫人の資質には遠く及ばないと思っています。いろいろ文献を拝読し、人間性の資質の愚かさに驚嘆した次第です。そして友達が悪いです。

 金はあるわけですから、皇后陛下みたいな上品さが欲しいと思っています。元総理の娘・マキコと同レベルでは人々は首を傾げるでしょう。

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◎今日のひと言「徳操の高さの構築」

 人間は、誘惑されたり、強迫されたりすると心ならぬことをすることがあります。そういう所から、脱線や堕落が始まるのです。ですから学問に志し、道を学び、何ものをもってしてもヨシとしないことに感化されない常識的な不動の人間像を構築したいものです。

 後漢の崔寔は、「道を曲げ以て時に媚びず、行をたがえ以て名を徼(もと)めず」と訓えています。自分の信念を曲げてまで時流におもねるのはまともな人間のすることではない。節操のないことをしてはいけないと言うのです。

 人間の節操を、強力に日本の歴史に刻印し名を馳せをている明治維新の志士たちを見習い、精神の修養を重ねたいものです。その代表者が坂本龍馬でもあると思います。

 明治天皇は「朕幼弱をもってにわかに大統をつぎ」天皇となったが、「天下億兆一人もその所を得ざるときは、みな朕が罪なり」と述べておられるのです。この一文を認め宣言された明治天皇の徳操の高さは人々が仰ぎ見るに足る存在だと思います。

 このことは明治国家の建設の理想・徳行の国家建設を市井の庶民にまで知らしめようとした大理想だと思います。

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『善の研究』第444回

 然るに我々は個人的欲求を中心として凡てを統一することができるであろうか。即ち、個人的欲求を中心として凡てを統一することができるであろうか。即ち、個人的生命はどこまでも維持発展することのできるものであろうか。世界は個人の為に造られたる者ではなく、また個人的欲求が人生最大の欲求でもない。個人的生命は必ず外は世界と衝突し内は自ら矛盾に陥らねばならぬ。210

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臣嘗て古より國を有ち家を有つ

2020-03-28 16:08:24 | ブログ
第4088号 0203.29(日)

臣嘗て古より國を有ち家を有つ者を觀るに、若し曲げて讒譖を受け、妄りに忠良を害すれば、必ず宗廟丘墟、市朝霜露たらん。願はくば陛下深く之を慎まんことを、と。『貞観政要』502

私が古来よりの国家を保有する者を見まするに、道理にはずれて、讒言を聞き入れて、やたらに忠良の人を害するときは〔国家が滅亡して〕宗廟は荒れ果てた丘となり、朝廷も市場も草が深く生い茂って霜や露ばかりとなってしまいます。どうか陛下はこのことについて深く戒め慎んでいただきたいものでございます。502く

 【コメント】どういう人であっても、忠良の人を害することはいけません。人間の社会は生存競争の世界ですが、そこに譲り合いの精神もなくてはならないと思います。

 悪事をしてはならないということは、各自が自覚していることですが、それでも悪事に手を染める人の何と多いことか、ニュースを見る度に愕然とします。先ずは総理大臣が虚偽答弁をしないことだと思います。

 世は新型コロナの蔓延で大変なことになっています。お互い体調には万全を期したいものです。

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◎今日のひと言「心の緻密さが必要」

 人生は常に先のことを考えて事前に対応措置を検討しておかなくてはならないと思います。一見困難であると思い後回しにしておくと、さらに大きな困難に見舞われることになりますので、先のことを予想して、用心深く解決しておいた方がいいと思います。

 人生で充分に用心するということは臆病のように思われますが、それは違うと思います。知恵が豊かに備わっていて、先見性があり、決断力があり、実行力があるからできることだと思います。

 このような措置は心の緻密さと用心と、勇気がなくてはならないと考えます。用心深さに欠けると、とんでもないトラブルに巻き込まれて、取り返しのつかないことになることがあるものです。

 用心深く、どういう事態になるかを見極める先見性を読む能力が必要だと思います。
 朱子は、「陽気発する処、金石も亦透る、精神一到、何事か成らざらん」
 と言っています。陽気とはまさに万物が動き出そうとする気力充実と解してもいいと思います。その陽気がひとたび動けば、固い金石でも貫くことができるというのです。精神を一点に集中し、どんなことでも成し遂げる逞しさを培養したいものです。

 かねがね心の緻密さを集中して、勇気を出して、自分の生き方を根本から構築して行きたいものです。徳行の人間像をつくりあげ、日々に挑みたいものです。

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『善の研究』第443回

 主意説の心理学者のいうように、意志は精神の根本的作用であって、凡ての精神現象が意志の形をなしていねとすれば、我々の精神は欲求の体系であって、この体系の中心となる最も有力なる欲求が我々の自己であるということになる。而してこの中心より凡てを統一して行くこと即ち自己を維持発展することが我々の精神的生命である。この統一の進行する間は我々は生きているのであるが、もしこの統一が破れたときには、たとい肉体において生きているにもせよ、精神においては死せるも同然となるのである。211

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魏徴曰く、禮に云ふ、其の観ざる

2020-03-28 09:37:15 | ブログ
第4087号 02.03.28(土)

魏徴曰く、禮に云ふ、其の観ざる所を誡慎し、其の聞かざる所を恐懼す、と。詩に云ふ、愷悌の君子、讒言を信ずる無れ。讒言は極り罔く、交交四国を亂る、と。又、孔子、利口の邦家を覆すを悪む、と。蓋し此が為めなり。『貞観政要』502

魏徴が〔お答えして〕言うには、「礼記に『〔君子は〕定かには見えないところも戒め慎み、聞き知れないところから恐れ慎む』とあり、詩経に『和らぎ楽しめる君子は、讒言を信ずるなかれ。讒言はとめどの無いもので、四隣の国までも乱すものである』とあり、また、孔子が『口先のうまい人間が国家を顚覆しようとしているのが憎い』と言っておりますのは、つまり、このためであります。502

 【コメント】人間が生きて行くにあたり、口先がうまいのは好感が持てないというのは、時代が変わっても同じであるのは同じであるというのです。
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◎今日のひと言「心中の賊を退治しよう」

 「山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し」(『陽明全書』)にあります。我々も心中の賊を破るべく、日夜、修養に努めなくてはならないと思います。人間は生涯、点に努力を集中していかなければならないと思うのです。では、どういうところに努力をしていけば心中の賊をやぶることができるのでしょう。

 朱子は『近志録』の中に程伊川の言葉として、
「名に近づくに意有らば、則ち偽りと為すなり」と言っています。学問をする人は名利を求めるために努力するのではない。名声を得ようとして学問をするようになると、それは偽りのものになってしまうのです、と教えています。

 徳を学び、徳を身につけ、徳を実行していく。名誉や利欲のために知識を蓄えているのではないのです。名声や利欲に振り回されてしまっては折角の人生が駄目になると思うのです。
 とにかく強く、正しく、清く、愛らしく、ありたいものです。

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『善の研究』第442回

 かかる考えをもっているから、進取活動の気象を滅却して少欲無憂の消極的生活を以て宗教の真意を得たと心得るようにもなるのである。我々は自己の安心の為に宗教を求めるのではない、安心は宗教より来る結果にすぎない。宗教的要求は我々の已まんと欲して已む能わざる大なる生命の要求である、厳粛なる意志の要求である。宗教は人間の目的其者であって、決して他の手段とすべき者ではないのである。210

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前史に云ふ猛獣、山林に處れば、

2020-03-26 15:05:56 | ブログ
第4086号 02.03.27(金)

前史に云ふ猛獣、山林に處れば、藜藿、之が為めに、採らず。直臣、朝廷に在れば、姦邪、之が為めに謀を寝む、と。此れ實に朕が群公に望む所なり、と。『貞観政要』501

前代史書に『猛獣が山林に居るときは、黎藿はそのために採ることがなく、正直の臣が朝廷に居るときは、不正なやからが、悪い謀をとりやめる』とあるが、これこそ実に、我が公に期待するところである」と。

 【コメント】史実には通常思いもよらないことがあるものです。それでも人々は真摯に物事に取り組まなければなりません。

 いいかげんにしておくと、白鵬同様、史実を汚すことになるのです。野球選手だった男が先に亡くなってからいろいろ取沙汰されていますが、私は自分が最高だとベラベラ喋る人間に好感は持てません。衣笠さんみたいな謙虚な人間がいいのです。多くの人もそうだと思います。

 世界中を震撼させいているコロナウイルスにお互い気をつけましょう。アメリカでは若者たちが外出するなとは何事だ、と大騒ぎしているのが報道されました。一旦感染したら大変なことになるのです。

 インドでは外出している若者たちを警官が警防で殴るなど厳しく対応しているのが放映されました。兎に角コロナに感染してはならないとの配慮からですので、政府の言うことを慎んで聞いて欲しいものです。

 昨夜の空手道教室はマサダカナコ嬢と外山諒哉さんが御稽古に来てくれました。

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◎今日のひと言「人格を養う」

 『大学』の中に、「心焉(ここ)に在らざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず、食らえども其の味を知らず」
 とあります。徳を養おうとしないで、儲かることばかり思っている人には正しい心が働かないと思います。心が正しく物事を見ていないからです。ですから、見ているつもりでも、物事の本質を見ることはできないのだと思います。

 耳をそばだてているつもりでも、心が利に走っているから、本当の音が聞こえないのだとのことです。食事になって物を食べても、利に傾いているから、本当の味がわからないとのことです。

 こういう時だからこそ、何が正しいか、何が誤っているかを、はっきり視なければならないし、聴かなければならないし、味わわなければならないと思います。

 コロナウイルスなど世の逆風に弱くなりがちな心を徳風がすっかり洗い落してくれるのです。徳風とは、徳が人を教化していくさまを風にたとえたものですが、徳風に淋浴することは素晴らしいことだと思います。徳風をもって精神を磨くことは人を生き生きとしてくれると信じます。

 世には数多の古典がありますが、それらを繙くことによって新しい血肉が形成されると私は信じています。多忙極まる日々ですが、良書を繙き、血肉化し人間らしい生き方をしていきたいものです。

 自らの人生を自らの人格で生き抜いていきたいものです。学力乏しい私は、年中、良書を手放さないことにしています。

「果報は寝て待て」という言葉もありますが、寝て待つのではなく、自らが飛び込んで行かなければならないと考えます。

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『善の研究』第441回

 されば『歎異抄』にも「わが心に往生の業をはげみて申すところの念仏も自行にな4すなり」といっている。また基督教においてもかの単に神助を頼み、神罰を恐れるという如きは真の基督教ではない。これらは凡て利己心の変形にすぎないのである。しかのみならず、余は現時多くの人のいう如き宗教は自己の安心の為であるということすら誤っているのではないかと思う。210
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