第4090号 02.03.31(火)
朕、比(このごろ)、直諌の路を開く者は、冤屈を知らんことを庶ひ、規諌を聞かんことを欲す。『貞観政要』505
我かこのごろ直言して諌める道を開いたのは、〔民間の〕無実の罪に苦しむ実情を知ることを願い、〔我の〕過ちを正し諌める言を聞きたいと思うからである。505
【コメント】無実の罪に苦しむ実情があるとすれば、これは助けなければならないと思います。大崎町の原口あや子さんは刑に服したのですが、「あたややっちょらん」として弁護団が地裁にやり直しの陳情書を提出したとのことです。思うに当時の所轄警察署の署長は誰だったのでしょう。
その昔、竹下一雄先生を囲んでの懇親会の時、鹿児島中央警察署の署長もご一緒したことがありました。
その時、ガソリンスタンドの社長が、鹿児島中央警察署の署長を指さして、あいどま、誰でもいいから逮捕しさえすればいいんですよ、と言ったことがありました。
そこで何回かデッチアゲの書類に押印したことがあるのだと言ったことがありました。原口さんを逮捕した時の警察署長は誰だったのでしょう。権力の横暴は無かったのでしょうか。
人間何時、なんどき無実の罪をきせられる羽目になるかもしれません。ですから、アリバイを立証するメモを各自が綿密に記録する必要があると思うのです。
全国的にコロナウイルスの件で外出自粛がされていますが、若者らは俺らには関係ないとタカをくくって町中を歩き廻っていますが、そういう性質悪さでいると天の制裁を受けることになるのです。
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◎今日のひと言「孟母三遷之教」
中国山東省に鄒というところがあります。そこで生まれた孟軻(孟子の名)は、家が墓地に近く、葬式を見て育ったから、葬式の真似をして遊んでいたというのです。孟軻の母はこれを見て、
「ここはわが子を住まわせるところではない」と考え、市場の近くに引っ越したそうです。
すると、孟軻は市場の人々の真似をして商人と客の取引きの遊びをするようになりました。孟軻の母は
「ここで我が子を育てるわけにはいかない」として、学校のそばに引越しました。今度は、孟軻は学校で教えている学問に近づいてその真似をし始めました。母は、「これならば、我が子の将来によいに違いない」と決め、ここで孟軻を育てました。
孟軻は、自然の暮らしの中で学問に親しみ、成長すると六経(易・書・詩・春・秋・礼・楽に関する儒教の経典)に通じる大学者になったとのことです。
「ものを考える力」をどうやってつけていくか。一生かけて、一歩一歩と向上していく中で、心身に力が備わってくるものだと思います。
学問に親しみ、修養に心掛けている人は、数日会わないでいると大変な変貌を遂げるといわれています。教養書等を日々に繙き、能力・人格向上に努めたいものです。
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植松被告の死刑が確定したとのことです。弁護士が上告したのを本人が取り下げたとのことです。あれだけの大殺害をしてのですから、死刑は当然でしょう。弁護士は無罪をと言っていたとのことですが、気が狂っているのでしょう。
罪を感じて死刑を堂々と甘受するというのは、最後に男の姿を見せてくれました。それにしても、傷害者であっても人間に変わりはないのですから、大事にして欲しかったと思う次第です。
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朕、比(このごろ)、直諌の路を開く者は、冤屈を知らんことを庶ひ、規諌を聞かんことを欲す。『貞観政要』505
我かこのごろ直言して諌める道を開いたのは、〔民間の〕無実の罪に苦しむ実情を知ることを願い、〔我の〕過ちを正し諌める言を聞きたいと思うからである。505
【コメント】無実の罪に苦しむ実情があるとすれば、これは助けなければならないと思います。大崎町の原口あや子さんは刑に服したのですが、「あたややっちょらん」として弁護団が地裁にやり直しの陳情書を提出したとのことです。思うに当時の所轄警察署の署長は誰だったのでしょう。
その昔、竹下一雄先生を囲んでの懇親会の時、鹿児島中央警察署の署長もご一緒したことがありました。
その時、ガソリンスタンドの社長が、鹿児島中央警察署の署長を指さして、あいどま、誰でもいいから逮捕しさえすればいいんですよ、と言ったことがありました。
そこで何回かデッチアゲの書類に押印したことがあるのだと言ったことがありました。原口さんを逮捕した時の警察署長は誰だったのでしょう。権力の横暴は無かったのでしょうか。
人間何時、なんどき無実の罪をきせられる羽目になるかもしれません。ですから、アリバイを立証するメモを各自が綿密に記録する必要があると思うのです。
全国的にコロナウイルスの件で外出自粛がされていますが、若者らは俺らには関係ないとタカをくくって町中を歩き廻っていますが、そういう性質悪さでいると天の制裁を受けることになるのです。
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◎今日のひと言「孟母三遷之教」
中国山東省に鄒というところがあります。そこで生まれた孟軻(孟子の名)は、家が墓地に近く、葬式を見て育ったから、葬式の真似をして遊んでいたというのです。孟軻の母はこれを見て、
「ここはわが子を住まわせるところではない」と考え、市場の近くに引っ越したそうです。
すると、孟軻は市場の人々の真似をして商人と客の取引きの遊びをするようになりました。孟軻の母は
「ここで我が子を育てるわけにはいかない」として、学校のそばに引越しました。今度は、孟軻は学校で教えている学問に近づいてその真似をし始めました。母は、「これならば、我が子の将来によいに違いない」と決め、ここで孟軻を育てました。
孟軻は、自然の暮らしの中で学問に親しみ、成長すると六経(易・書・詩・春・秋・礼・楽に関する儒教の経典)に通じる大学者になったとのことです。
「ものを考える力」をどうやってつけていくか。一生かけて、一歩一歩と向上していく中で、心身に力が備わってくるものだと思います。
学問に親しみ、修養に心掛けている人は、数日会わないでいると大変な変貌を遂げるといわれています。教養書等を日々に繙き、能力・人格向上に努めたいものです。
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植松被告の死刑が確定したとのことです。弁護士が上告したのを本人が取り下げたとのことです。あれだけの大殺害をしてのですから、死刑は当然でしょう。弁護士は無罪をと言っていたとのことですが、気が狂っているのでしょう。
罪を感じて死刑を堂々と甘受するというのは、最後に男の姿を見せてくれました。それにしても、傷害者であっても人間に変わりはないのですから、大事にして欲しかったと思う次第です。
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