味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

貞観六年、右衛将軍陳萬福、

2020-05-31 10:04:40 | ブログ
第4151号 02.05.31(日)

貞観六年、右衛将軍陳萬福、九成宮より京に赴くとき、法に違ひて、驛家の麩數石を取る。太宗、其の麩を賜ひ、自ら負ひて出でしめ、以て之を恥ぢしむ。『貞観政要』543

貞観六年に、右衛将軍の陳万福が九成宮から都の長安へと行くとき、不法にも宿場のやどの麩を数石奪い取った。太宗はその麩を陳万福に賜い、自分で背に負って出て行かせて恥かしく思わせた。

 【コメント】如何なる事情があるにせよ、麩を奪い取るということは許すことはできないと思います。

 世の中の人々から顰蹙を買われる生きかたは良くないと思います。人が見ていないから、暗いからばれない、と思っても天は観ているのです。人を殴ったりすると、必ず天罰がくるのです。

 円心会八段範士の岩坪清美師範は、金くせも悪くないし、女くせも悪くなかったのでした。しかし喧嘩をするのが好きでした。

 お互いに名乗ってから勝負するのです。そして気が入った時、相手の方へ飛び込んで一発で殴り倒すのでした。その数100人以上とのことでした。それでも相手の人を殴り倒すということはよくないのです。
------------------------
◎今日のひと言「知は力なり」

 今朝は家内と晴美の二人を慈眼寺駅まで送ってきました。家内の姉上である山本令子さん91歳が入院していますが、体調がよくないとのことで見舞方々宮崎へ行くことにしたのでした。

 昨夜の空手道教室は山口3兄弟、傳田2兄弟、森永、外山、山田師範、前田師範、私と十人でおけいこをしました。先先週贈呈する予定であった傳田兄弟にはノートを贈呈しました。お兄さんは、空手道とは程遠い動きをしていますが、お利巧だったとして賞を上げることによって、身近な仲間になってくれるだろうと期待しています。

 今日の配布資料は古典のおしえ『十八史略』『大学』を配布し、大声で2回読み上げました。

 通常、知は力なりと言われますが、私は人格こそが力であると思います。情けのない心、自分勝手な知、思いやりのない心、優しさのない心も力の部分には入ると思われますが、まかり間違って人々への害を与えることになりかねないと思います。

 力としての知は誠実であること、親切であること、優しさがあること、仕事が好きであること、挫けない精神(意志の強さ)を具有していること、勤勉であること等があると思います。

 人生を豊かにするためには、人々と仲良くしながら、前向きな競争もしたいものです。そして余力があったら敵対する相手への援助・助成もしたいものです。

------------------------
百人一首 57

めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に
       雲隠れにし 夜半の月かげ【紫 式部】

めぐりめぐって逢って、見たのはそれ(月)であったかどうかもわからない間に、早くも雲に隠れてしまった夜半の月の光よ。------久しぶりにめぐり逢って、その方(幼な友達)であったかどうかもわからない間に、(月のように)あわただしく姿をお隠しになったあなたですよ。

----------------------------
『善の研究』第496回

 この故に神は反省なく、記憶なく、希望なく、従って特別なる自己の意識はない。凡て自己であって自己の外に物なきが故に自己の意識はないのである。
 次に意志の自由ということにも色々の意味はあるが、真の自由とは自己の内面的性質より働くといういわゆる必然的自由の意味でなければならぬ。

--------------------



今、既に左右の言ふ所を以て是と為す。

2020-05-30 10:53:17 | ブログ
第4150号 02.05.30(土)

今、既に左右の言ふ所を以て是と為す。便ち我が私意を申ぶるを得ず。且つ爾を放ちて帰らしむ、と。乃ち雑物を賜ひて之を遣る。相壽も亦辞し、涕を流して去る『貞観政要』542

今、近臣の言を正しいとしたからには、我の個人的な意向を出すことはできない。とりあえずお前を追放して帰させることにした」と。そこで雑物を賜って行かせた。相寿もまたおいとまごいをし、涙を流して立ち去った。543

 【コメント】人間の一生には感情の差があり、いろいろなことが起ります。であっても、相手の言い分を聞く度量がなければならないと思います。

 81年生きてきたおかげでいろいろの経験をしたことになります。自分の利になることも、また利にならないことも。それでもあたたかく接してあげたいものです。

 隣の国香港では官憲と住民とのトラブルがあるみたいです。一国二制度で香港の人々を自由にさせて、感謝してもらった方がいいのに、周金平は共産党の我を出しているみたいです。

 そこに行くと日本の国民は恵まれていると思います。国は栄えているし平和であるからです。そういった中であっても、もうひと踏ん張りだと言う自覚を持って欲しいものです。官公労の人たちみたいに有頂天になってはいけません。

-----------------------------
古典のおしえ 1ー2

 『大学』は、<富は屋を潤し、徳は身を潤す>とおしえています。「豊かなざいさんがあれば、家を立派にできるが、豊かな徳はおのずからその人格を立派にし、心広く体豊かにする」というのです。
 あの人はすばらしい、といわれるようになりたいものです。

 ※どんな暴言を吐かれても、言い返すことをやめ、ぐっと飲み込みましょう。

---------------------------
◎今日のひと言「  」

 教養や能力がなく財産のない人間でも、立派な人格さえ持ち合わせていれば、他人のためになる影響を与えられることもあると思います。それが末端の労働者であろうと、議員のような要職に就いている人であろうと事情は変わらないと思います。

 私どもは人格の陶冶を通じて力を獲得したいものです。それはゆっくりであっても人が満足できる確実な方法だと信じます。

 自らを修め知性あふれる人間となり、仕事を存分にこなし、人が幸せになる援助を行い、意義ある処世に臨みたいものです。そして人格者といわれる指導者になりたいものです。

 ささやかであっても、自分の動きが、誠実な若者たちの心に光明を投げかけお役に立つ存在となりたいものです。そして人々に感化を与えられる存在となりたいものです。

 少なくとも現今の労働者みたいに、仕事は大概にし賃上げだけに奔走する人間であってはならないと思います。

--------------------------
百人一首 56

あらざらむ この世のほかの 思ひ出に
      いまひとたびの 逢ふこともがな【和泉式部】

私はまもなく死んでこの世を去るのでしょうが、あの世への思い出として、せめてもう一度逢ってほしいものです。

-----------------------
『善の研究』第495回

 万物は神の統一に由りて成立し、神においては凡てが現実である。神は神は常に能動的である。神には過去も未来もない、時間、空間は宇宙的意識統一に由りて生ずるのである、神においては凡てが現在である。アウグスチヌスのいったように、時は神に由りて造られ神は時を超越するが故に神は永久の今においてある。

--------------------------

今、天子と為り、四海の為めに主と

2020-05-29 11:46:33 | ブログ
第4149号 02.05.29(金)

今、天子と為り、四海の為めに主と作る。既に四海の主と為れば、偏りて一府に恩澤を與ふ可からず。向に爾をして重任せしめんと欲せしが、左右以為へらく、若し爾、重任せらるるを得ば、必ず善を為す者をして皆、心を用いざらしめん、と。『貞観政要』542

が、今は天子となって天下の主となっている。天下の主となっているからには、偏頗に一府の者だけに恩恵を与えることはできない。さきには、お前に〔刺史を〕重圧させようと思ったが、左右の近臣たちは、もしお前が重圧されれば、必ず善を行おうとする者が皆、善行に励まないようにさせてしまうであろうと思っている。543

 【コメント】組織を運営する人は、お互いが善行に励むようにすることが肝要だと思います。

 自由、繁栄、平和、人権が蔓延している日本社会では、人が幸せになるための善行を各人が率先して行う風土となればいいのですが、私が勤務していた会社では到底望めないことだと思っています。

 それは労働者の人権が先行しているからです。先様よりか、自分が先行するよう労働組合の役員がオルグと称してワルノススメをするからです。

 コロナウイルスの関係で全国的にお店の皆様が困窮していますが、お客様あっての会社なのです。家庭で躾られない青年たちが会社ですぐ素直になるとは考えられないのです。

 特に郵政から天下って来た中年男のワルが怠けのすすめをするのでした。そして私と同年の相撲取りと同体系の焼酎中毒の男がヤクザのすすめをしていたのでした。

 そのワルは10年前あの世へ逝きましたが、会社の所長の外出を見計らって昼に酒屋へ行くのでした。

-----------------------------
古典のおしえ 一

 『十八史略』は、<徳あれば以て興り易く、徳なければ以て亡び易し>とおしえています。「人々に徳があり勤勉であれば国は栄えるし、徳がなければ亡びやすい」ということでしょう。徳というのは良いおこないをすること、人に親切にすることです。そういう人は、やがて偉くなるというのです。

----------------------------
◎今日のひと言「人格の力」

 人格の力は金よりも強いと言われます。それは人生の最も気高い宝でもあります。立派な人格者は社会的な地位がどうであれ、それだけで人々からの尊敬を受けます。

 人格者が人々の称賛を受けても、金だけを追い求める輩のように人々からの顰蹙を買われるということはないと思います。

 立派な人格者は人間の最良の特性でもあると言われます。そこには信義、誠実、節操という美徳を内包しているからだと思います。そういう美徳が処世に亘り人々の享楽への手助けをしてくれ、組織としての栄養剤を発揮して人々の幸せを提供してくれると考えます。

 人間は自分が幸せになりたいと思うように、人々がより幸せになるよう、出来る範囲で協力して上げたいものです。

 その為には自らが率先して学び、修養を積まなくてはならないと思います。

------------------------
百人一首 55

滝の音は 絶えて久しく なりぬれど
     名こそ流れて なほ聞こえけれ【大納言公任】

この滝の音は、絶えてからすっかり長い年月がたってしまったが、その名声は今に流れ伝わって、やはり聞こえわたっていることだ。

------------------------
『善の研究』第494回

 もし神の人格における自覚というならば、この宇宙現象の統一が一々その自覚でなければならぬ。たとえば三角形の総べての角の和は二直角なりというは何人も何の時代にもかく考えねばならぬ。これも神の自覚の一つである。すべて我々の精神を支配いする宇宙統一の念は神の自己同一の意識であるといってよかろう。

-------------------------

太宗、欣然として之を納れ、相寿を

2020-05-28 14:54:55 | ブログ
第4148号 02.05.28(木)

太宗、欣然として之を納れ、相壽を前に引かしめ、親しく之に謂ひて曰く、我、昔、王と為り、一府の為めに主と作る。『貞観政要』542

〔魏徴の諫言を〕太宗は喜んで受け納れ、相寿を御前に引き入れさせ、御自身語って言われた、「我は昔は秦王であり、一つの府の主であった。542

 【コメント】只今28日、午後3時丁度、昨日ブログを書いて後、今日のこの部分を書こうとしてもどうしてもうまく行きませんでした。

 これならブログ書きを諦めるかなと思っていた処に、晴美嬢が来たので、ブログを書けなくなったといったら、キ-ボードに手をやって一分間、新規投稿のところを出してくれました。

 昨夕から只今まで、必死にキーボードを叩いても上手くいかなかったのが、晴美嬢が対処してくれて手品を見ているようでした。まもなくしたら空手道第二教室へ向かいます。


魏徴、進みて言ひて曰く、相壽

2020-05-27 12:06:11 | ブログ
第4147号 02.05.27(水)

魏徴、進みて言ひて曰く、相壽の貪濁なるは、遠近の知る所なり。今、故舊の私情を以て、其の貪濁の罪を赦し、加ふるに厚賞を以てし、還して任に復らしむ。相壽の性識は、未だ愧恥を知らず。幕府の左右は、其の數甚だ多し。人人、皆、恩私を恃まば、善を為す者をして懼れしむるに足る、と。『貞観政要』541

魏徴が進み出てお諫めして言った、「應相寿が欲張りで心がきたないことは、遠近の人々が皆知っております。今、〔幕府の旧臣という〕古なじみの個人的同情によって、彼の貪濁の罪をお許しになり、その上に厚い褒美をお与えになり、帰ってもとの〔刺史の〕任に復せられます。相寿の性質は少しも恥じるということを知りません。秦王府のおそばに仕えた旧臣は、非常に多数でございます。〔その旧臣たちが〕だれも彼も個人的な恩愛の情をあてにするようになりますれば、善を行う者を疑い恐れさせるようになりましょう」と。542

 【コメント】人間の性は人それぞれ異なります。どういう人であっても温かく接して、出来る面倒は見てあげたいものです。

 何回も何回も情愛をかければ、人は変わっていくと思います。そのようにして導いてあげましょう。

 那覇ではお店に行った40歳の男が40代の女性の首を刺して殺害したとのことです。突然に何故こういう理不尽なことをするのでしょう。

 人間は皆、人から危害をくわえられるのを好む人はないでしょう。ですから他人様に危害を加えるようなことはしないように致しましょう。

 ジャニーズ事務所の手越という32歳の男が、自粛期間中に女の子たちと賑やかな飲み会をしたとして、事務所は処分を込めた処分を発表しました。

 この手越青年は気にくわないとして退所するとのこと、自分の非は認めず、開き直った感が感じられます。ステージの男の子を見まして、分けのわからんガキだなと感じました。

 世の人々の制裁を受けて活眼して欲しいものです。これらも吉本興業の低俗な芸を学んだ結果なのでしょうか。

--------------------------
◎今日のひと言「   」

 人間は皆といっていいほど、出来れは偉くなりたいという願望があると思います。偉くなりたいという思いは、世の人々からそのように見られたいということです。

 その為には、学問を修め、人間的な魅力がなければならないと考えます。それは他人様以上に修養をしなければならないと思うのです。『南洲翁遺訓』を繙き、漢籍を繙くことが有益だと思います。

 勤勉の習慣を身に付け、価値ある人間として努力を惜しまない人間となりたいものです。こういう日々の研鑽が、自己修養には欠かせないと思います。

 真の教育に見合う大切な知力を高め、有意義な人生を送れるよう誠心誠意努力をすることが求められると思います。

 歌唱力があるからといって、スタージの上で世界は自分のものだというような馬鹿げたパフォーマンスをするような人間にはならない方がいいでしょう。

------------------------
百人一首 54

忘れじの 行末までは かたければ
     今日を限りの 命ともがな【儀同三司母】

いつまでも忘れまい、とおっしゃるそのお言葉が、末長く変わらないことはむずかしいので(きっと変わると思いますので)、そうおっしゃってくださる今日を最後とする命であってほしいものです。

-------------------------
『善の研究』第493号

 かくの如き意識あってこの統一が行われるのではなく、この統一あってかくの如き意識を生ずるのである。この統一其者は知識の対象となることはできぬ、我々は此者となって働くことはできるが、これを知ることはできぬ。真の自覚はむしろ意志活動の上にあって知的反省の上にないのである。

------------------------------
 32