第4151号 02.05.31(日)
貞観六年、右衛将軍陳萬福、九成宮より京に赴くとき、法に違ひて、驛家の麩數石を取る。太宗、其の麩を賜ひ、自ら負ひて出でしめ、以て之を恥ぢしむ。『貞観政要』543
貞観六年に、右衛将軍の陳万福が九成宮から都の長安へと行くとき、不法にも宿場のやどの麩を数石奪い取った。太宗はその麩を陳万福に賜い、自分で背に負って出て行かせて恥かしく思わせた。
【コメント】如何なる事情があるにせよ、麩を奪い取るということは許すことはできないと思います。
世の中の人々から顰蹙を買われる生きかたは良くないと思います。人が見ていないから、暗いからばれない、と思っても天は観ているのです。人を殴ったりすると、必ず天罰がくるのです。
円心会八段範士の岩坪清美師範は、金くせも悪くないし、女くせも悪くなかったのでした。しかし喧嘩をするのが好きでした。
お互いに名乗ってから勝負するのです。そして気が入った時、相手の方へ飛び込んで一発で殴り倒すのでした。その数100人以上とのことでした。それでも相手の人を殴り倒すということはよくないのです。
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◎今日のひと言「知は力なり」
今朝は家内と晴美の二人を慈眼寺駅まで送ってきました。家内の姉上である山本令子さん91歳が入院していますが、体調がよくないとのことで見舞方々宮崎へ行くことにしたのでした。
昨夜の空手道教室は山口3兄弟、傳田2兄弟、森永、外山、山田師範、前田師範、私と十人でおけいこをしました。先先週贈呈する予定であった傳田兄弟にはノートを贈呈しました。お兄さんは、空手道とは程遠い動きをしていますが、お利巧だったとして賞を上げることによって、身近な仲間になってくれるだろうと期待しています。
今日の配布資料は古典のおしえ『十八史略』『大学』を配布し、大声で2回読み上げました。
通常、知は力なりと言われますが、私は人格こそが力であると思います。情けのない心、自分勝手な知、思いやりのない心、優しさのない心も力の部分には入ると思われますが、まかり間違って人々への害を与えることになりかねないと思います。
力としての知は誠実であること、親切であること、優しさがあること、仕事が好きであること、挫けない精神(意志の強さ)を具有していること、勤勉であること等があると思います。
人生を豊かにするためには、人々と仲良くしながら、前向きな競争もしたいものです。そして余力があったら敵対する相手への援助・助成もしたいものです。
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百人一首 57
めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に
雲隠れにし 夜半の月かげ【紫 式部】
めぐりめぐって逢って、見たのはそれ(月)であったかどうかもわからない間に、早くも雲に隠れてしまった夜半の月の光よ。------久しぶりにめぐり逢って、その方(幼な友達)であったかどうかもわからない間に、(月のように)あわただしく姿をお隠しになったあなたですよ。
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『善の研究』第496回
この故に神は反省なく、記憶なく、希望なく、従って特別なる自己の意識はない。凡て自己であって自己の外に物なきが故に自己の意識はないのである。
次に意志の自由ということにも色々の意味はあるが、真の自由とは自己の内面的性質より働くといういわゆる必然的自由の意味でなければならぬ。
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貞観六年、右衛将軍陳萬福、九成宮より京に赴くとき、法に違ひて、驛家の麩數石を取る。太宗、其の麩を賜ひ、自ら負ひて出でしめ、以て之を恥ぢしむ。『貞観政要』543
貞観六年に、右衛将軍の陳万福が九成宮から都の長安へと行くとき、不法にも宿場のやどの麩を数石奪い取った。太宗はその麩を陳万福に賜い、自分で背に負って出て行かせて恥かしく思わせた。
【コメント】如何なる事情があるにせよ、麩を奪い取るということは許すことはできないと思います。
世の中の人々から顰蹙を買われる生きかたは良くないと思います。人が見ていないから、暗いからばれない、と思っても天は観ているのです。人を殴ったりすると、必ず天罰がくるのです。
円心会八段範士の岩坪清美師範は、金くせも悪くないし、女くせも悪くなかったのでした。しかし喧嘩をするのが好きでした。
お互いに名乗ってから勝負するのです。そして気が入った時、相手の方へ飛び込んで一発で殴り倒すのでした。その数100人以上とのことでした。それでも相手の人を殴り倒すということはよくないのです。
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◎今日のひと言「知は力なり」
今朝は家内と晴美の二人を慈眼寺駅まで送ってきました。家内の姉上である山本令子さん91歳が入院していますが、体調がよくないとのことで見舞方々宮崎へ行くことにしたのでした。
昨夜の空手道教室は山口3兄弟、傳田2兄弟、森永、外山、山田師範、前田師範、私と十人でおけいこをしました。先先週贈呈する予定であった傳田兄弟にはノートを贈呈しました。お兄さんは、空手道とは程遠い動きをしていますが、お利巧だったとして賞を上げることによって、身近な仲間になってくれるだろうと期待しています。
今日の配布資料は古典のおしえ『十八史略』『大学』を配布し、大声で2回読み上げました。
通常、知は力なりと言われますが、私は人格こそが力であると思います。情けのない心、自分勝手な知、思いやりのない心、優しさのない心も力の部分には入ると思われますが、まかり間違って人々への害を与えることになりかねないと思います。
力としての知は誠実であること、親切であること、優しさがあること、仕事が好きであること、挫けない精神(意志の強さ)を具有していること、勤勉であること等があると思います。
人生を豊かにするためには、人々と仲良くしながら、前向きな競争もしたいものです。そして余力があったら敵対する相手への援助・助成もしたいものです。
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百人一首 57
めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に
雲隠れにし 夜半の月かげ【紫 式部】
めぐりめぐって逢って、見たのはそれ(月)であったかどうかもわからない間に、早くも雲に隠れてしまった夜半の月の光よ。------久しぶりにめぐり逢って、その方(幼な友達)であったかどうかもわからない間に、(月のように)あわただしく姿をお隠しになったあなたですよ。
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『善の研究』第496回
この故に神は反省なく、記憶なく、希望なく、従って特別なる自己の意識はない。凡て自己であって自己の外に物なきが故に自己の意識はないのである。
次に意志の自由ということにも色々の意味はあるが、真の自由とは自己の内面的性質より働くといういわゆる必然的自由の意味でなければならぬ。
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