味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

群公卿士、皆、瞻仰せらる、

2020-01-30 15:24:43 | ブログ
第4032号 02.01.30(金)

群公卿士、皆、瞻仰せらる、何ぞ懼れざるを得ん。此を以て之を思ふに、但だ常に謙し常に懼るるを知れども、猶ほ天心及び百姓の意に稱はざらんことを恐るるなり、と。『貞観政要』471

群公や卿士たちは、皆、私を仰ぎ見ているのであるから、どうして恐れないことができようか。こういう点を思えば、ただ常に謙遜し常に戒め恐れねばならないことを知るけれども、それでもなお天の意と人民の心にかなわないのではないかということを恐れるのである」と。

 【コメント】「天の意と人民の心にかなわないのいではないかということを恐れる」ということは大変よいことです。これは人民に対して傍若無人ではないということです。

 少なくとも安倍総理のやり方とは全く違います。今日の国会でも、野党の諸君の質問攻めにあいましたが、大変稚拙な面もあったとは申していません。

 素直に謝れば人々の信頼を繫ぎ止めることも出来るのですが、誤らない所が人格の非とするところです。

 山口二郎氏という政治学者は、「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」という組織の集会において、大衆を前にしたアジ演説で、一国の総理に向って「お前は人間じゃない。叩き斬ってやる」などと叫んだということをお聞きしたことがあります。

 昨夜は第二道場の空手道教室でした。外山君に指導しながら、身体がフラフラしました。終盤は田上さんと形をいたしました。

 帰りは徹底した安全運転を致しました。2月2日、平川にある鹿児島日赤病院に検査入院するのですが、どういう判定が下されるか、案じています。

 昨夜は嬉しいニュースをお聞きしました。マサダカナコ様のお兄上・宗一郎様は、中学校への進級試験で、ラサール中学校、附属中学校、他二校に合格したとのことです。頭脳明晰なご両親の子供さんだなとお慶びした次第です。

 それと何より大事なことは、精神が清らかであるということです。どんなに優秀であっても性が汚れていてはだめだと思います。

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◎今日のひと言「修身の励行」

 80年生きてきて、勤勉、正直、感謝、親切、勤労を実行すれば、必ず良い結果が得られるということは、大変有難いことです。

 ところが世の中便利すぎて短絡的に事をすすめ、人々が好まない方へ進むきらいがあるように思われます。

 そういう世界へ足を踏み入れたら、暗黒の世界を旅することになると思います。

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朕、一言を出し一事を行ふを思ふ

2020-01-29 17:43:22 | ブログ
第4031号 02.01.30(木)

朕、一言を出し一事を行ふを思ふ毎に、必ず上、皇天を畏れ、下、群臣を懼る。天は高けれども卑きに聴く、何ぞ畏れざるを得ん。『貞観政要』471

我はいつも一言を出し一事を行おうと思うたびに、上は天を恐れ、下は群臣を恐れる。天は高いけれども低いところのこともよく聞いて知るのであるから、どうして恐れないことができようか。471

 【コメント】「上は天を恐れ、下は群臣を恐れる」とあるのは、人間の純粋な生き方なのだと思います。人々がそういう姿勢で人生に臨めば、世の中住みやすくなると思います。

 そういう態度であれば、人様に迷惑をかける「あおり運転」などはなくなるのだと思います。ブログで以前も書きましたが、総理が低姿勢で真実一路であれば、国民は蒙を啓かれ、世の中よくなると思います。
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 ◎今日のひと言「荀に日に新たに----」

 『大学』に「荀(まこと)に日に新たに、日日新たにして、又日に新たなり」とあります。殷の湯王が毎朝使っていた洗面器は青銅でできていたが、その内側に、この一文が彫られていたと伝えられています。湯王が朝目を覚まして顔を洗うとき、必ずこの名文を読んで自分を励ましていたというのです。

 「今日一日はまったく新しい一日だ。一日全力を尽くして徳義ある人生を向上させなくてはならない」
 と心に誓っていたのだから、素晴らしい人物だったに違いないと思います。
 凡人は朝目を覚まして洗面しても、湯王のような心がないから、ただ衛生上、顔を洗っているにすぎない。ここが根本的に異なっています。道元も「洗面」を特に大事な修行と位置づけて、心身のすべてを、朝の冷水すっかり洗い清める作法を細かく説いています。永平寺の修行するお坊さんたちは、この作法を守って「洗面」をしているというのです。

 朝は大事な一日の始まりであります。
 自分の人生は自分の努力向上心によって決まって参ります。

 善良な徳のある人と一緒にいると、言葉も態度も顔つきもすべて自然に改まってくるといいます。学問に親しみ、修養に心掛けている人は、三日も会わないでいて、会ってみると、目を見開くほどの進歩向上をしてくるといいます。自分では気がつかなくても、一日一日、大きく進歩向上しているとがわかるといいます。勉学・読書の効果は極めて大きいものがあるといいます。これを大事にしていかなくてはならないと思います。

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『善の研究』第418回

 今日はなお武装的平和の時代である。
 遠き歴史の初から人類発達の跡をたどって見ると、国家というものは人類最終の目的ではない。人類の発展には一貫の意味目的があって、国家は各その一部の使命を充す為に興亡盛衰する者であるらしい。

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又、周易に云く、人道は盈を悪みて

2020-01-29 09:55:55 | ブログ
第4030号 02.01.29(水)

又、周易に云く、人道は盈を悪みて謙を好む、と。凡そ天子と為りて、若し惟だ自ら尊崇し、謙恭を守らざる者は、身に在りてもし不是の事有りとも、誰か背て顔を犯して諌争せん。『貞観政要』470

 また周易に『人情の常としておごり高ぶる人を憎み、へりくだった謙遜な人を好む』とある。すべて天子となって、もし自身でえらく尊大にかまえて謙遜を守らなければ、たといその身によろしくないことがあったときに、誰が嫌な顔をしているのを、かまわずに強く諌めるものがあろうか。471

 【コメント】『人情の常としておごり高ぶる人を憎み---』とあるように、おごり高ぶる人は、どういう人からも暖かい賛同は得られないだろうと思います。

 今国会では、レンホウ議員が鋭い質問をしていますが、長期政権にアグラをかいていた安倍さんへの厳しい質問だと思います。

 真面目に、正直に対応していれば、野党の諸君も、国民のみなさんも精神的にも協力・賛同してくれると思うのですが、国民を愚弄した政策を続けると、将来を担う子供たちの為にもよろしくないと思います。

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◎今日のひと言「修身を実行したいものです」

 夫婦や親子の仲をよくし、家を整えるにはまず、自分の身を修めなければならないと思います。たとえば子どもは親を鏡で写したようなものであると言われており、良いにつけ悪いにつけ、子どもは親のすることをそっくり真似ると言われています。

 日常の生活においても、人には親切に、自分には厳しく、精一杯働き、勤勉な自分でありたいと思います。そして出来れば日々に漢籍を繙きたいものです。

 長年漢籍を繙いて来たお蔭で、私の空手道教室では門下生の子供たちには、将来へ向けての心のありかたを説明をしています。

 有難いことに私と長年空手道を治めて来た師範たちは、人格者揃いだけだと感謝しています。

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『善の研究』第417回

 国家は今日の処では統一した共同的意識の最も偉大なる発現であるが、我々の人格的発現はここに止まることはできない、なお一層大なる者を要求する。それは即ち人類を打して一団とした人類的社会の団結である。此の如き理想は已にパウロの基督教においてまたストイック学派において現われている。しかしこの理想は容易に実現はできぬ。201

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昔、舜、禹を誡めて曰く、汝惟れ

2020-01-28 09:46:47 | ブログ
第4029号 02.01.28(火)

昔、舜、禹を誡めて曰く、汝惟れ矜(ほこ)らず、天下、汝と能を争ふ莫し。汝惟れ伐らず、天下、汝と功を争ふ莫し、と。『貞観政要』470

昔、舜が禹を戒めて言われた、『汝は自分を賢いとして自慢をしてはならない、天下に汝と能を争う者は無い。汝は自分のてがらを自慢をしてはならない。天下に汝と功を争う者は無い』と。471

 【コメント】「汝は自分を賢いとして自慢をしてはならない」とありますが、大変大事なことであります。

 今、28日、午前10時です。国会で立憲民主の小川氏が安倍氏に質問しています。答弁している安倍氏の答弁は「自分を賢いとして自慢をしている答弁だと断じたい」と思います。

 権力を握っているからとして嘘答弁をし、デタラメをしてはならないと思います。冒頭の文言にある「舜が禹を誡めて、汝惟れ矜らず」とあるように安倍氏にもこの言葉を贈りたいと思っています。

 政治の世界はいろいろあるということは理解しますが、誠実であって欲しいと思います。見ている多くの国民は、不誠実だと観ていると思います。

 こういう状況を見ている国民は、それでも自民党が好きなのです。私自身、労働組合の幹部のうす汚いやり方を見て来て辟易したものです。その組合委員長は、焼酎を盃一杯飲んだだけで、人間が性質悪く豹変する人間でした。

 ですから、自分を失うことがないようにとして空手道を続けて来たのです、と先般の御稽古の際、門下生に説明をしたのでした。

 要は人間に誠実性がなければならないと思います。ロシアのプーチンの真似をしてはいけません。ロシアの外交官のコソドロみたいな情報買収をしてはいけないと思います。これらはプーチンがしてはならないと厳命すれば正常化すると思います。

 日本国民は昔から世界に例を見ない、純朴にして美しい精神性を秘めている国民だと自負しています。

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◎今日のひと言「日本における交渉の基本」

 日本人は、生まれつき正直というよい特性をもっていると思います。正直な人間は人々の信頼を得ることができると思います。この正直と信頼こそ、日本の倫理の基本をなすものだと思います。

 それは、日本における交渉ごとに如実に表われています。日本における交渉の根底には、私はあなたを信用します、という誠実性があります。

 これは西郷隆盛と勝海舟との江戸明け渡し交渉にも見られるとおりです。明治元年三月に、西郷隆盛を大将とした江戸城総せめの官軍が江戸に迫り、総ぜめは三月十五日に予定されていたのでした。

 その時、慶喜の身柄について交渉が成立し、江戸城総ぜめは中止されたのでした。

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『善の研究』第416回

 国家は統一した一の人格であって、国家の制度法律はかくの如き共同意識の意志の発現である。我々が国家の為に尽すのは偉大なる人格の発展完成の為である。また国家が人を罰するのは復讐の為でもない、また社会安寧の為でもない、人格に犯すべからざる威厳がある為である。

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太宗、侍臣に謂ひて曰く、人言ふ、

2020-01-27 10:06:22 | ブログ
第4028号 02.01.27(月)

貞観二年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、人言ふ、天子と作(な)れば、則ち自ら尊崇するを得、畏懼する所無し、と。朕は則ち以為(おも)へらく、正に合(まさ)に自ら謙恭して、常に畏懼を懐くべし、と。『貞観政要』470

貞観二年に、太宗が左右の侍臣に語って言われた、「人は皆、天子となっては、自身であがめ尊ぶとができ、少しも恐れはばかるところは無いと言っている。しかし、我は真に自ら卑下して慎み、常に恐れ戒めるべきであると思っている。470

 【コメント】「自ら卑下して慎み、常に恐れ戒めるべきである」とありますが、その態度も、人々が嫌らしく思うようなふるまいであってはならず、さりげなくするようにしたいものです。

 今朝も大阪であおり運転と、ノロノロ運転が放映されました。そして二人組がトラックを盗んで持ち出す映像も放映されました。そのとき車のナンバーにモザイク処理をしていましたが、そういうワルのナンバーは世に知らしめていいと思います。

 20才代の青年が悪事に手を染めていますが、そういう人は遠からず天罰がくるのです。そういうワルを数多く見てきたものです。

 ですから空手道指導の際は、ワルをするなと戒めのお話をしています。同じ歳で金持ちの子供がワルをするのを楽しんでいたのを見てきたものです。その母親は、そういう子供の遊戯を聞きながらケラケラ笑っていたものです。

 もし私がそういうワルをしたら、母親は拷問をしただろうと思っていたものです。とにかく怖い母親でした。

 箒で掃除をしなさい、拭き掃除をしなさい、人に挨拶をしなさい、良い言葉を遣いなさい、働きなさい、とそれはそれはやかましい母でした。

 大相撲初場所で優勝した徳勝龍が、自分なんかが優勝していいんでしょうか、と言葉を発しました。純粋さのある顔は最高の雄姿でした。

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◎今日のひと言「幸福や幸運をよび寄せましょう」

 本当に自分の人生を価値高く活かそうと思ったならば、他力本願でなく、自分のたゆみない努力で構築したいものです。

 心の弱い人間になると、「自分には運命が向いていない」とか、「世の人々が本当に認めてくれない」とか、「仲間が手伝ってくれない」とか、自分以外のもののせいにするが、とんでもない了見だといいます。

 とにかく、幸福も健康も成功も、当該本人の生き方にあるといいます。運が、むこうから、くるのではなく、自分が呼び寄せなければ来ないのだということです。自分が積極的になり、そういう幸運を呼び寄せたいものです。
 
 ですから、自分の心はどんな運命に対しても、積極的かどうか、自分の心は、ほんとうに尊いか、強いか、正しいか、清いか、自分自身おごそかに考えなさい、と天風先生は教えています。

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『善の研究』第415回

 我々の個人はかえって一社会の細胞として発達し来ったものである。国家の大体は我々の精神の根底である共同的意識の発現である。我々は国家において人格の大なる発展を遂げることができるのである。

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