味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

夫れ物有れば必ず則有り。

2018-05-31 13:56:16 | ブログ
第3440号 30.06.01(金)

夫れ物有れば必ず則有り。父は慈に止り、子は孝に止り、君は仁に止り、臣は敬に止る。萬物庶事、各其の所有らざる寞し。其の所を失へば則ち悖る。聖人能く天下をして順治せしむる所以は、能く物の為に則を作るに非ざるなり。惟之を止むるに各其の所に於てするのみ。『近思録』430

 そもそも、物があれば、それについての法則が必ずあるものだ。父は慈に止まり、子は孝に止まり、君は仁に止まり、臣は敬に止まるというように、万物万事、それぞれに止まるべき所を持っているのである。止まるべき所を得れば安らかだし、それを失うと道に外れることになる。聖人がこの世の中を治まった姿にしておけるのは、物に法則を作ってやれるからでなく、物をそれぞれの止まるべき所に止めるだけだからである。430

 【コメント】孔子は、止まるにおいて止まる所を知る、といっているが、それは止まるべき所をいうのである、とあります。これによっても明らかなように、元来は易の解釈でありながらも、詩や大学の内容をからませて、倫理への展開を計っているとあります。

 人は倫理、法則に従うべきであって、それに意図的に作為を加えることは許されないと思います。倫理・法則は倫理・法則として人の恣意とは別に理解すべきだと思います。それがつまり、理ではないでしょうか。理のあるところに、理想的な形で存在すること、それが止であり、聖人の説く道であると、伊川は説いております。

 日大アメフトは反則傷害事件は収束不能な事態になっているようです。新聞に掲載されている週刊誌の見出しによると、日大の田中理事長が内田前監督に辞表を書けと迫った所、内田氏が俺を斬るのですかと言ったとか、泥沼のていを示しているようです。
 
 そして隣の見出しはウソつきの元祖安倍総理とあったようです。とにかく、正直であることほど、強くて正しくて、美しいものはないと思います。

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『荘子』〔譲王〕は、
「志を養う者は形を忘れ、形を養う者は利を忘れ、道を致す者は心を忘れる」
 と言っている。精神の修養に励む者は身体のことなどに心が行かず、身体を養う者は利益のことなどには気を取られず、徳を養い道を行う者は無心である。無心で修養に取組んでこそ、真の修養と言えるのである。
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 昨夜は第二道場での空手道教室でした。人数は少ないですが、内容はよかったと思っています。『南洲翁遺訓』発表女王のナカコさまが前方展開を力強くしていただいた時は、びっくりしました。
 そして空手の舞、空手道型基本型一番も覚えてくれました。

 十級に昇級した本永君・体重60キロにお腹を力一杯うたせましたが、破壊力は小学4年の森永礼弥君の半分程度でした。
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孝子の親に事ふるや、

2018-05-30 17:30:37 | ブログ
第3439号 30.05..31(木)

子曰く、孝子の親に事ふるや、居には則ち其の敬を致し、養いには則ち其の楽しみを致し、疾には則ち其の憂いを致し、喪には則ち其の哀を致し、祭には則ち其の厳を致す。『孝経』263

 孔子が言うには、「よく父母につかえる子が、その親につかえるには、どのようにあるべきか。ふだん家に居るときには、できるだけ心から親を敬い、親を養うときには、できるだけ心から楽しんでするようにし、親が病気のときには、心から心に案じ、もし親が死んで喪に服するというときには、心から哀しみ、親の霊を祀るときには、心からおごそかにする、ということが大切である。263

 【コメント】生を得た人間は必ず生を閉じる時が来るわけですが、親の霊を祀るときは例外なく謹んでお送りするようです。

 でもその後、毎朝夕墓前に手を合わせるでしょうか。私は家屋新築の際、空手道場も同時に併設したお蔭で朝夕の礼拝は欠かしたことがございません。

 特に西郷南洲翁、菅臥牛翁をはじめ荘内の多くの先達の先生方に朝夕ご挨拶が出来るということは有り難く存じています。

 連日、日大アメフト反則事件のことで世の中が喧しい限りです。特に日大の上層部の対応の悪さは人々の顰蹙を買っているようです。フジテレビのアナ氏曰く、政府と似たり寄ったりだというような解説をしました。

 お互いの意思疎通をよくして皆が納得するようなことは出来ないものでしょうか。そういう心になれば世の中上手くいくと信じています。

 少なくとも記者会見では自分に非はないと発言をするような人の真似はすべきではないと思います。

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『菜根譚』二

 世を渉ること浅ければ、点染もまた浅し。事を歴ること深ければ、機械もまた深し。故に君子は、その練達ならんよりは、朴魯なるに若かず。その曲謹ならんよりは、疎狂なるに若かず。

 〔訳〕処世の経験がまだ浅いと、世俗の悪習に染まることもまた浅いが、経験が深くなるにつれて、世の中のからくりに通じることもまた深くなる。それ故に、君子たる者は、世事に練達になるよりは、むしろ飾り気がなく気が利かない方がよい。そして礼節の末にこだわりていねいすぎるよりは、むしろ粗略で志のある方がよい。

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 日大教職員の声明文

 今回のアメフト事件に鑑み、声明文が発表されたとのことです。それによると、
 内田監督は全ての役職から解任すべしとのことです。そして田中理事長も解任すべしとのことです。日本の大学としての教育機関であるので当然のことだと思います。政府も厳しく迫るべきではないのですか。政府の対応もなければ恥部として永遠に人々の記憶に残ることでしょう。
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是の故に良知は常に覚り常に照らす。

2018-05-30 09:46:02 | ブログ
第3438号 30.05.30(水)

是の故に良知は常に覚り常に照らす。常に覚り常に照らせば、則ち明鏡の懸りて、物の来れば、自ら其の妍媸(けんし)を遁るる能はざるが如し。何となれば欺かずして誠なれば、則ち其の欺を容るる所無く、苟も欺くもの有れば覚る。自ら信にして明かなれば、則ち其の不信を容るる所無く、苟も信ならざるものあれば覚るなり。是を易以て険を知り、簡以て阻を知ると謂ふ。子思の所謂至誠は神の如く、以て前知す可き者なり。『伝習録』338

 良知が常に覚り常に輝いていれば、明鏡が壁にかけられて、そこへ来たものが美醜そのままに映って遁れられないように、万事は良知にその姿を映さざるを得ない。その理由は、自分が欺くことなく誠であれば、人の欺きを受け入れる余地はなく、かりに欺くものがあっても自然に覚れるからである。また自分が自己に信であって心が明らかであれば、人の不信を受け入れる余地はなく、もし人が自分に対し不信であれば、自然に覚れるからである。このことを「平坦にいて険を知り、簡易にいて険阻を知る。」と言うのである。340

 【コメント】人が生まれながらに具有しているという良知を活かし、日々の生活に生かしたいものです。その為には、先ずは人様はもとより自分を欺くことがあってはならないと思います。

 今日話題を呼んでいる大学のアメフト傷害事件については、関東学生連盟が日大内田監督とコーチを除名処分・永久追放にしたとの発表を致しました。

 記者会見で内田氏は自分では反則行為を指示してはいないと弁明しました。昨日の報道では30年前に一緒にプレーをしていた50歳代の人の息子を日大に入学させなかったとして、50歳代の人を人影がない所につれて行き、殴る蹴るの暴行をしたとのことでした。なんて性質の悪いことをするのでしょう。

 そういう事実を総合すると大学という教育機関の常務理事がすることではないと思います。この辺も含め、警視庁は徹底した捜査をし欲しいものです。

 今日の新聞には週刊誌の見出しに、日大ヤクザ集団というような表現がおどっています。この辺は警察も文部科学省も厳しく追及して貰いたいと思います。そして問題なのは日大の理事長が何等の謝罪もしていないことです。
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 『論語』に「命を知らざれば以て君子たること無きなり。礼を知らざれば以て立つこと無きなり。言を知らざれば以て人を知ること無きなり」
 とあります。君子・指導者の心構えを説いたものです。
 監督は自分の天命を自覚し、その天命に安んずるようでなければ、真の君子・監督と言われる資格はないでしょう。社会の制度や習慣である礼・きまりを理解し、それを社会生活の拠りどころとしなければ、他からまどはされず、しっかりと世に立ち、自分はもとより、組織する人々を守っていくことはだきないでしょう。

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且く盗を止むるが如し。

2018-05-28 14:29:28 | ブログ
第3437号 30.05.29(火)

(しばら)く盗を止むるが如し。民には浴心有りて、利を見れば則ち動く。苟も教を知らずして、鐖寒に迫らるれば、刑殺日に施くと雖も、其れ能く億兆利欲の心に勝たんや。聖人は則ち之を止むる所以の道を知る。威刑を尚ばずして、政教を修め、之をして農桑の業有りて、廉恥の道を知らしむれば、之を賞すと雖も竊むまじ、と。『近思録』426

 例えば、盗みを止めさせる場合、民には浴心があって、利を見るとそちらに動く。それで、教えを知らぬままに餓えや寒さに迫られると、刑罰や殺戮が毎日行われるにしても、万民の利欲の心は抑えられるだろうか。聖人には、盗みをやめさせる方法がわかっている。権威や刑罰を貴ばずに、政治や教育をりっばにし、民が農業や養蚕に従い、廉恥の道を心得るようにさせるので、ほめても盗みはしまい。」

 【コメント】天下の悪を除こうとするとき、一つ一つの現象について方策を施すのではなく、悪を根源から除く方法、つまり悪の起こらない施策が重要なのである。民の経済的安定、倫理的自覚が悪の芽を摘む最良の道だと、思います。まさに儒家の立場にあるものの理想的見解である。ただ、その理想をどのように実現していくか、そこに問題が残されるでしょう。為政者の心得としては理解されながらも、結局は迂遠なりとの批評を受けるのは、具体策が容易に示されないからだといえましょう。426
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「読売新聞」2018.5.20『編集手帳』より「

 文章を紡ぐ苦しみを言い当てた言葉がある。「特別なことは何もない。ただタイプライターの前に座って血を流すだけだ」(ヘミングウエー)◆茫洋と広がる真っ白な原稿用紙の前、一人屹立し、ひたすら身を削る。それが創作の本質なのだろう。◆<私は身心ともに駄目になるでしょう><原稿に追いまくられ、生地獄のような苦しみです>。希代の大作家にして駆け出しの頃は弱気の虫が顔を見せていた。誠に人間くさく何やらほっとする。山崎豊子さんが先輩作家に宛てた書簡の数々が初公開された。デビュー2作目、34歳で直木賞を受賞したおりに「はげ山に一本一本、木を植えていくような、いわば植林小説を書いていきたい」と語った。一方で職を辞し、ペン1本を頼りとする作家人生に不安があったのかもしれない◆その後、50余年、凄絶な取材と執筆への飽くなき執念で初志を貫徹した。ノート980冊、録音テープ5500本、名刺4000枚--。右手がまひすると、人さし指と親指とで鉛筆を挟み、左手を添えて書いた◆この先、何世紀も縁を茂らすだろう大山脈を歩く喜びを今、改めてかみ締める。
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只今、29日、午前10時、書斎のテレビで30年前に録音したテープを聞きながら書いています。東京工業大学教授・芳賀やすし先生のテレビコラムであります。その中に石橋湛山総理の話もありますが、今の総理・安倍氏とは天と地ほどの差があるようです。私は安倍さんは好きなのですが、今話題の主人公日大の経営陣と似ているようです。

 この頃は連日テレビの教育番組、文化講演会等々片っ端から録画録音し、それらを書き写し聞いてきました。こういうテープが1000本位あります。

 多くの人々は歌謡曲を聞く為、わざわざ出向いて、ワーワーいいながら、歌手たちの歌を聞いて狂気して喜んでいるようです。それはそれでその人の価値観だとは思いますが、何と時間の無駄遣いなのでしょう。その歌手たちが勤勉で品性品格が人々の範となるでしょうか。答えは真逆だと思います。

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是を以て其の民畏れて之を愛し、

2018-05-28 09:26:11 | ブログ
第3436号 30.05.28(月)

是を以て其の民畏れて之を愛し、則って之に象(かたど)る。故に能く其の徳教を成して、其の政令を行ふ。詩に云ふ、淑人君子、其の儀忒はず、と。『孝経』260

以上のべたことから、人々は畏れつつしんで上を愛するようになり、上の徳を手本として見倣うようになってくる。だから道徳による教育感化を立派に成し遂げて、その政治的命令を立派に行うことができるのだ。そこで想い起こされるのは、すでに『詩経』にも言っているように、善人君子は、その威儀が法度に違うことがなく、人々の手本となる、と。

 【コメント】『論語』学而篇に、子貢の言として、孔夫子の卓然として人に異なる人柄を称して、「夫子は温良恭倹譲。以て之を得たり。」といい、孔子が五つの美徳を備えていたことから、孔子に接した国君は自然に感動して、夫子を敬信するの念を懐いたと言われている。また、堯曰篇には、孔子の言として、「民の利する所に因りて之を利す。斯れ亦た費さざるにあらずや。労す可きを択びて之を労す。また誰をか怨みん。仁を欲して仁を得たり。また焉んぞ貪らん。君子は衆寡と無く、小大と無く、敢て慢ること無し。斯れ亦た泰にして驕らざるにあらずや。君子は其の衣冠を正し、其の坦視を尊くし、儼然として人望みて之を畏る。斯れ亦た威ありて猛からずやと。」この外に、君子の人として如何にあるべきかの在り方に関しては、六つもの事例を掲げているが、孰れも人たるの手本に成り得る、人類永遠の倫理的指針と云えるものである。この根底にある理念は、孝の道であり、所謂、「君子は本を務む。本立ちて道生ず。孝弟やは、それ仁の本と為すか。」ということに尽きている、とあります。

 解説には<善人君子は、その威儀が法度に違うことがなく>とありますが、我々凡人は、善人君子には遠く及びませんが、その精神は世の人々から疑念を懐かれることがあってはならないと思います。

 話変って、日大のアメフト事件の真相について、喧しい議論が問題になっていますが、これらも政府の真似をしているという人がいますが、物事は正直に処理して戴きたいものです。

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