味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

侍臣に謂ひて曰く、夫れ人臣の帝王

2020-04-30 13:22:37 | ブログ
第4120号 02.04.30(木)

貞観十八年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、夫れ人臣の帝王に對ふるは、多く意を承け旨に順ひ、甘言して容を取る。朕、今、己の過を聞かんと欲す。卿等、皆、直言す可し、と。『貞観政要』520

貞観十八年に、太宗が左右の侍臣に語って言われた、「そもそも人臣が帝王に答える場合には、その多くは君主の意を迎えてごきげんを取り、おぼしめしに従って逆らわないようにし、へつらいの言葉を並べて気に入られるようにしている。我は、今、自分の過失について聞きたいと思っている。だから、公等は、皆、遠慮なく思うところを言うべきである」と。521
 【コメント】対応する相手の過失を指摘する時は、言葉を選び穏やかに相手の人格を尊び名誉ある言葉をえらぶのが宜しいかと思います。

 言葉を選んだり頭を下げるなどの場合はお金はいらないじゃないか、と私の母は言い続けて私たちを育ててくれたものです。

 そして掃除をしない、手伝いをしない、お使いをしないような時は、厳しく怒られたものです。ところが平和と繁栄に胡坐をかいている多くの家庭では、贅沢な日々に明け暮れている家庭では子育てはそっちのけであるように思われます。

 その証拠に私の後輩たちは独立愚連隊同様だったと思っています。自動車の運転については、夜は一人乗りで遊び呆けるくせに、仕事では二人乗車でないとだめだと言い張るのです。

 それらは顎だけが強い中央の組合幹部が指導援助してくれるのです。これらは怠けの進めだったと思っています。そういうヤクザ指導員が怠けさせてくれたお蔭で国民の反発を買い民営化されたのです。

 仕事は大概にして、金だけは寄越せという論理は、人間界も自然界も許容してくれないと思っています。ここで再度指摘しておきたいと思いますが、贅沢のすすめはよくありません。

 先般、ご紹介しました『地球に住めなくなる日』は人間の無軌道な贅沢を示しているのではないか、と想像しています。

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◎今日のひと言「人生の指針」

 両親の行動は子供の人格に反映すると言われますが、その愛情や規律、勤勉や自制心などは、耳や目から学んだ知識を忘れてからも子供の心に生き続け、その行動を華やかに飾るといわれます。すばらしい両親の生き方を思い出して人生を黄金の道へ誘った人は多いと思います。

 子供の頃、母から教え込まれた誠実さや道徳心という美徳を終生忘れず人生の指針とする人もいるのです。でも、まかり間違っても自粛要請の中、パチンコに行くような人間にだけはならないで欲しいものです。

 パチンコ店に来ている人に理由を聞いたら家に終日自粛してすることがないと言われますが、漢籍を繙けば長い人生では遥かに有益なのですよと教えてあげたいです。

 長年読書をしていますが、これほどの有益はないと確信しています。その中から歴史的偉人にも学べるからです。
 
 大切なことは誠実と名誉を生活の信条として生き抜くことだと思います。嘘を言わない、人を騙さない欺かない、インチキをしない、非違行為をしない等々を順守し、素的な人生としたいものです。

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百人一首 29

心あてに 折らばや折らむ 初霜の
     おきまどはせる 白菊の花【凡河内躬恒(おほし こうちの みつね)】

あて推量にでも、折るとするならば折ってみようかしら。初霜が、霜だか菊だか見分けにくいように、一面におりている中の白菊の花を。

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『善の研究』第470回

 欲求の如きはいうまでもなく、知識の如き最も客観的なる者もこの統一力即ち各人の人格の色を帯びておらぬ者はない。知識も欲望も皆この力に由りて成立するのである。信念とはかくの如く知識を超越せる統一力である。知識や意志に由りて信念が支えられるというよりも、むしろ信念に由りて知識や意志が支えられるのである。信念はかかる意味において神秘的である。

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近代の帝王、遂に漢文の日を

2020-04-29 11:49:00 | ブログ
第4119号 02.04.29(水)

近代の帝王、遂に漢文の日を以て月に易ふるの制を行ひ、甚だ禮典に乖く。朕、昨、徐幹の中論の復三年喪篇を見るに、義理甚だ精審なり。深く恨むらくは早く此の書を見ず、行ふ所太だ疎略なりしを。但だ自ら咎め自ら責むるを知るのみ。追悔するも何ぞ及ばん、と。因って悲泣すること久しうす。『貞観政要』520

〔ところが〕近代の帝王たちは〔親の喪に服する期間が非常に短く〕ついに漢の文帝が日をもって月に代え〔三年を三十六日にし〕た制度を行っているのは、甚だしく礼の定めに違反している。我は先ごろ徐幹の中論の復三年喪篇を読んだが、そこに述べている道理は詳しく明らかである。非常に残念に思うことは、早くこの書を見なかったので、喪を行うことが甚だしく疎略であった。ただ、自分自身を責めとがめることを知るだけである。後悔しても間に合わない」と。ややしばらくの間、悲しみ泣いておられた。520

 【コメント】『論語』陽貨篇に「子生れて三年、然る後に父母の懐を免る。夫れ三年の喪は、天下の通喪なり」とあります。

 このようにありますが、親の喪は大切であります。昨日も書きましたが、毎朝、神前への礼拝、仏前への礼拝は半世紀以上、欠かすことなく続けています。

 そしてに二ケ月前にお亡くなりになりました、宇都伸一師範の名も口づさみ合掌しています。それほど宇都伸一師範は崇めるに足る逸材でした。

 宇都伸一師範のことを、その昔教鞭をとっていた男は良く言わなかったのですが、私から見た宇都伸一師範は見事な人格でした。それは経営者である父親譲りの人間(じんかん)に生く人のあるべき姿を熟知していたからだと確認したからでした。

 先程は、三人組の男が不動産会社の入り口をバールでこじ開け、中にはいり窃盗をするシーンが放映されました。その映像の顔にモザイクをかけていました。思うに、他人の家に押し入る窃盗団の顔を隠す必要はないと思います。

 こういう手合いは顔を映して全国民に知らしめていいと思うのです。昨日のテレビでも、コロナ蔓延に便乗した窃盗が多発しているというのです。

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◎今日のひと言「人生の指標」

 無言で我々に教えをしてくれるのはお手本になります。ことわざ、格言も確かに我々に進むべき道を示してくれることもあります。でも実際に人間を導くのは、もの言わぬ無数の手本であり、生活をとりまく現実の姿だと思います。

 人は誰でも、多かれ少なかれ、耳と目を通して物事を学びます。現実に見たものは、単に読んだり聞いたりしたものよりは、印象が深いと思います。

 学校教育は重要ではありますが、家庭で示される世界は子供の性格形成には大きな影響を与えるといわれます。家庭は社会の結晶であり、国民性の核を成していると言われます。われわれの生活を支配する習慣や信条、主義主張は、家庭の中で培われる場合が多いものです。

 思いやりの心は、世間に広がりやがては世界全体を蓋い尽くすと思います。これは良いと思えるものは他の人へも紹介し導入したいものです。

 何がいいと言って漢籍を繙くことほど良いものはありません、コロナの自粛要請が出ている所にパチンコに来る人に聞いた所、退屈だという意見が大半でした。

 そういう人に教えてあげます。漢籍を繙きなさい、『南洲翁遺訓』を読みなさい、と。これほどいい世界はないのです。

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百人一首 28

山里は 冬ぞさびしさ まさりける
    人目も草も かれぬと思へば【源宗干朝臣】

山里では、都と違って、冬はことにさびしさがまさって感ぜられることよ。人目も遠ざかり(人の来訪もなくなり)、草も枯れてしまと思うと。

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『善の研究』第469回

 ヤコブ・ペーメのいったように、我々は最深なる内生に由りて神に到るのである。我々はこの内面的再生において直に神を見、これを信ずると共に、ここに自己の真生命を見出し無限の力を感ずるのである。信念とは単なる知識ではない、かかる意味における直観であると共に活力であるのである。凡て我々の精神活動の根底には一つの統一力が働いている、これを我々の自己といいまた人格ともいうのである。219

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人情の至痛なるは、親を喪うより

2020-04-28 11:29:39 | ブログ
第4118号 02.04.28(火)

貞観十七年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、人情の至痛なる者は、親を喪ふより過ぎたるは莫きなり。故に孔子曰く、三年の喪は、天下の通喪なり、と。天子より庶人に達するなり。又曰く、何ぞ必ずしも高宗のみならん。古の人皆然り。『貞観政要』519

貞観十七年に、太宗が左右の侍臣たちに語って言われた、「人の心が極めて痛むことは、親を亡くしたことに過ぎるものはない。だから、孔子は『〔親に対する〕三年の喪は、この世の中に共通普遍な服喪の制度である』と言われた。それは、上は天子から下は庶人まで共通であることを言ったものである。520

 【コメント】〔親に対する三年の喪は、この世の中に共通普遍な服喪の制度である〕ことは、人類凡てに共通のことでありましょう。

 ですから、毎朝晩、霊前に額づき合掌礼拝をしたいものです。私はその前に神前に礼拝することにしています。神前の右には西郷隆盛の写真、左側には、安岡正篤先生、竹下一雄先生のお写真を掲げ、慇懃に礼拝しています。

 そして南側に、菅原兵治先生、長谷川信夫先生、小野寺時雄先生、佐藤昭夫先生、他荘内の先生方のお写真を掲げ、45年間、毎朝ご挨拶をしています。

 そして半世紀前、指宿電話局で課長をしていた福島さんが、家の周囲に、神棚に祀っている「塩」を家の周囲にまきなさいと指導されたことがありました、以来、その作業も続けています。

 私には本当によい日々の行事となっています。お塩まきの功徳なのでしょうか、交通事故などの危険があるような時、身を守ってくださるのです。要は、人間、素直な人間にならなければならないと思います。

 テレビでは、コロナウイルスに便乗して、詐偽が横行し、1000万円取られた人がいると報道されました。そういうワルの人に教えます。貴方が、家族が、大変な制裁に会うということを。

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◎今日のひと言「忍耐」

 人間に必要なものは忍耐という性質でありましょう。忍耐という美徳も才能・活動力という範疇にはいると思います。

 私の父は、囲碁・将棋・麻雀・花札等の縛才がありました。そのお蔭で父が経営する鰹節製造工場は倒産したのでした。ですから私は囲碁将棋に全く興味が湧かないのです。博奕をするよりか、勉強をしましょう。漢字を書き写しましょう。本を読みましょう、と申しあげたいです。

 私は『南洲翁遺訓』と出会って半世紀になります。その間、毎日といっていいほど『南洲翁遺訓』を繙いています。

 尤も『南洲翁遺訓』もいいのですが、『南洲翁遺訓』刊行の地・荘内南洲会の先生方の人格美に生きる人間としての美しさを感じているからなのです。

 学生時代には実に優秀とされた生徒が、年を重ねるにつれて平凡な人生に埋もれてしまうということはよくあることです。また対照的に何一つ期待されなかった晩生の人間が、忍耐づよく着実に努力したおかげでやがては人の上に立ち、大偉業を成し遂げる人もいるものです。

 劣等生と言われるような人間は、頭の回転は鈍くても、愚直といえるほど固い意志力を備えている人もいます。そういう人間は成長するにつれ、その長所がしだいに芽を伸ばしていく人もいるものです。

 歩みののろいカメでも、一歩一歩休まず進んで行けば、競争相手に勝つと言われています。忍耐と努力という資質をみがき上げ人格形成という人間の宝庫として構築し人生に活用したいものです。

 そこにはずるさのない人々が認める誠実さがなければならないと思います。

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百人一首 27

みかの原 わきて流るる いづみ川
     いつみきとてか 恋しかるらむ【中納言兼輔】

みかの原を分けて湧き出てくる泉川の、「いづみ」の語のように、いつ見た、といってこのようにあなたが恋しいのだろうか。

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『善の研究』第468回

 かくして我は神において生くというのも単に比喩ではなくして事実であることができる。
 かく最深の宗教は神人同体の上に成立することができ、宗教の真意はこの神人合一の意義を獲得するにあるのである。即ち我々は意識の根底において自己の意識を破りて働く堂々たる宇宙的精神を実験するにあるのである。信念というのは伝説や理論に由りて外から与えらるべき者ではない、内より磨き出さるべき者である。

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祖尚が処分を受けざるは、人臣

2020-04-27 13:14:13 | ブログ
第4117号 02.04.27(月)

祖尚が処分を受けざるは、人臣の禮を失すと雖も、朕即ち之を殺す可けんや。大いに是れ急なるを傷む。一たび死せば再び生く可からず。悔ゆとも及ぶ所無し。宜く其の故官蔭を復すべし、と。『貞観政要』518

盧祖尚が〔任官の〕取計いを受けなかったのは、人臣としての礼にはずれるけれども、我が即座に殺すべきものではなかった。はなはだこれは、急ぎ過ぎたと心を傷めている。一度死ねば生き返ることはできない。後悔しても間に合わないことである。子孫にその官職を継がせるがよろしい」と。519

 【コメント】罰であっても人を殺害する時は、慎重に慎重を期さねばなりません。執行してしまってからでは元に復すことはできないからです。

 世の中には、即座に殺害したい人間もいると思いますが、これでも事を急いてはいけません。

 できれば、人に恨みを抱かせるうなことをすべきではないと考えます。

 人生に処し自分だけのことを思ってしだしたら、行き違いが生じトラブルになりかねませんので、自分同様人様の事も慎重に考慮対応したいものです。

 世の中はコロナウイルスの蔓延に怯えているのに、外出の自粛をするのは俺ではない、お前たちだと言わんばかりに町に、海に、パチンコ店に出かけている人がいます。

 これは自粛の要請ですから、個人の自由を強制的に制約するものではないと思いますが、万一死ぬことがあってからでは取り返しがつかないのです。

 昨日はパチンコ店の開業に合わせ多くの人が並んで入店するのを待っている行列が放映されました。自粛要請に文句を言う人も見受けられましたが、皆さんの安全を守りたいとして要請しているのです。あなたがコロナに感染し、死に直面しても何も思いませんか、と聞いてみたいです。

 パチンコ店で遊戯していた人たちがウイルスに感染したらどうするのでしょう。そしてコロッとして死んでも目が覚めないのでしょうか。

 先般も書きましたが、38歳の兄さんが、ナイトクラブで深夜まで歌と踊りに興じてコロナに感染し入院しているのが新聞で大きく報道されました。この男は死ぬのを承知でまた遊び呆けるのでしうか。
 
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◎今日のひと言「謙虚さ、素直さ」

 「温暖化で感染症はグローバル化する。未知のウイルスとの闘いも待っているだろう。」

 昨日の新聞広告に「地球に住めなくなる日」という書籍の案内がありました。添え書きに「2050年頃、地球温暖化は相当に進み、世界人口の減少も始まる。この二つによるダメージは新型コロナウイルスどころではない。本書を読むと、戦慄が走る。
 と紹介されています。


 連日、ブログを書いていますが、お互い健康で長生きをしたいものです。私は一年前、意識不明になり救急車で鹿児島日赤病院へ運ばれました。20日間、入院し「肺炎」との診断がなされました。

 その後は有難いことに元気でございます。70年続けて来た空手道は木曜日、土曜日に門下生に指導しています。

 全国には2000の流・会派がありますが、空手道の技術向上も大切なのですが、健康で長生きをすることと合わせ、世の人々と仲良く交流して品性豊かな人格者を目指して欲しいものです、として指導しています。

 そのためには『南洲翁遺訓』とか漢籍を繙き、歴史的英傑に學ぶことだと思います。
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百人一首 26

小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば
    いまひとたびの みゆき待たなむ【貞信公】

小倉山の峰のもみじ葉よ、お前にもし心があるならば、もう一度天皇の行幸があるはずだから、散らないでいてほしいものだ。

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『善の研究』第467回

 勿論神と人とは同一なる精神の根底を有するも、同一なる思想を有する二人の精神が互に独立するが如く独立すると考えることもできるであろう。しかしこは肉体より見て時間および空間的に精神を区別したのである。精神においては同一の根底を有する者は同一の精神である。我々の日々に変ずる意識が同一の統一を有するが故に同一の精神と見られるが如くに、我々の精神は神と同一体でなければならぬ。

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太宗曰く、往者盧祖尚、官を受くる

2020-04-26 14:48:04 | ブログ
第4116号 02.04.26(日)

太宗曰く、往者盧祖尚、官を受くるを肯ぜず、朕遂に之を殺す。文宣帝、復た癲教狂なりと雖も、尚ほ能く容認す。此の一事、朕の如かざる所なり。『貞観政要』518

太宗が言われた、「以前に盧祖尚が官を受けることを承知しなかったので、我はとうとう盧祖尚を殺した。斉の文宣帝はひどく気が狂っていたけれども、なお〔魏愷を〕許してがまんした。この一事は我が〔文宣帝に〕及ばないところである。519

 【コメント】人間には窮極の所で我慢できる人と、我慢が出来ない人もいるものです。それは人間の度量の問題でもあるので、出来れば問題が、後々良い方向へ行くよう努力したいものです。

 折角この世で生きているのですから、組織・対応する人々が容認できる方を選択したいものです。今、テレビではコロナウイルスで入院している患者を医師の方々が完全防護した姿で、運ぶのが放映されています。

 この医師たちの姿を見たならば、自粛要請が出ている今日サーフィンに行くなどというふざけた輩は
厳罰に処して欲しいものです。台湾の大統領なら銃殺するだろうと思います。私が勤めていた電電の若者たちも同類でした。

 81歳の私も体調は良い方ではないのですが、どうにか生きながら得ています。あと一時間したら子供たちが空手道教室に来るだろうと思います。

 二日前の木曜日は北麓公民館でのおけいこの予定でしたが23年ぶりにお休みしました。今日は本部・自宅道場ですので、死なない限り対応したいと思っています。

 昨晩は指導者3人、門下生6人がおけいこに来てくれました。子供たちには健康で長生きをしてくださいとお話しました。そのためには、人を殴らない事、人の物を盗まないことを言い聞かせました。

 おけいこにきた優李くんは自粛自粛で、遠足も中止になり、ストレスがたまって大変機嫌が悪かったようです。隣に座った前田先生にいじわるをしました。

 円心会の重鎮だった岩坪清美師範は金銭には恬淡としておりました。そして女癖も悪くありませんでした。でも喧嘩が好きであり、一対一で対峙し、相手を殴り倒したとのことです。その数100人を超すとのことでした。

 私と空手を稽古してた男は岡田以蔵よろしく、卑怯空手以蔵でした。そして若くして亡くなったとのことです。本を読まない、字を書かない男でした。世間知は全く無能でした。その男の父には、名前の前にバカをつけて、バカいぞう(仮)と呼んでいたそうです。

 これは鹿児島県警剣道八段・中村 保先生が私に話したことでした。

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◎今日のひと言「   」

 世の人々を動かし指導的地位に立つのは、天分に恵まれた人だけではなく、目標に向かってひたすら努力し続ける人間だと思います。偉大なる天才と言われる人が、幼少時代にいくら賢こかったからといって、大人になってからの人間の到達点を示すものではないと思います。

 かつて驚くほど優秀だった子供たち、クラスではトップに位置し、何かにつけて表彰された少年たちの、卒業後の人生はどうなっているのでしょう。子供の頃、成績もふるわずノロマだった子供のほえうが、優等生を追い抜いている例が多いと言われます。

 優秀だった生徒は学校では高く評価されますが、他の子供より理解が早く才能があるため、獲得した栄誉が実生活で役立つとは限らないといいます。

 要は謙虚にして素直な人間のほうが、ひたすら努力して優秀の位置にいるといいます。生まれながらの能力の優秀性は大事ですが、それよりも真面目な人間がいいとされます。

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百人一首 25

名にし負はば 逢坂山の さねかづら
       人に知られで くるよしもがな【三条右大臣】

逢坂山のさねかずらが、そのように、「逢って寝る」という名をもっているならば、そのさねかずらが手繰ればくるように、人に知られないで来る(行く)方法があればよしがなあ。

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『善の研究』第466回

 愛というのは二つの人格が合して一となるの謂であり、敬とは部分的人格が全人格に対して起す感情である。敬愛の本には必ず人格の統一ということがなければならぬ。故に敬愛の念は人と人との間に起るばかりでなく、自己の意識中においても現われるのである。我々のきのう、きょうと相異なれる意識が同一なる意識中心を有するが故に自敬自愛の念を以て充たされると同じように、我々が神を敬し神を愛するのは神と同一の根底を有するが故でなければならぬ、我々の精神が神の部分的意識なる故でなければならぬ。

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