第3612号 30.11.30(金)
子曰く、禹立ちて三年、百姓仁を以て遂ぐ。豈必ずしも儘(ことごと)く仁ならんや。詩に云ふ、赫赫たる師尹(しいん)、民具(たみとも)に爾を瞻(み)ると。甫刑に曰く、一人慶有れば、兆民之に頼(よ)ると。大雅に曰く、王の孚(まこと)を成す、下土の式(のり)なりと。『礼記』838
孔子が言った。----禹が天子になると、三年で人びとは仁を理解し、その実行に努めるようになった。人びとはみな仁者になったわけではないが、みな仁に志すようになったのである。詩経に、「輝かしい師尹よ、人びとはみな師尹を見る」とあり、甫刑篇には、「天下ただひとりの天子に、慶(めでた)い行いがあれば、万民みなこれに頼り倣う」とあり、また大雅には、「武王は誠実の行為を積み、天下に模範を示した」とある。
【コメント】我々平民も天子同様、仁を理解し、世の人々と協調し、意義ある人生とすべく日々に挑みたいものです。
十年以上、漢籍を繙いていると、漢籍を学んだ南洲翁同様天子様と同じように仁の世界を逍遥したくなります。『南洲翁遺訓』発刊の地、荘内の菅先生方も日々このような姿勢になり、更なる漢籍の世界を生きたのだろうと推測しています。『南洲翁遺訓』の刊行は歴史的偉業だと思います。文献として残すということは、南洲翁と同程度の存在であったからだと思います。
話変って、今朝のテレビ報道で、31歳の青年が交通量の少ない田舎の山道みたいなところで、安全確認もせず軽トラックをドリフト走行という暴走行為をさせている動画をインターネットに投稿したとして映像が公開されました。その映像は軽トラに同乗させていた小学2年の子供さんに撮影させたとのことです。
この暴走行為は対向車が来たら必ず大事故に繋がります。映像を見た人々が、そういう行為を止めさせようとして妨害するようなことがあったら徹底抗戦をすると言っていました。
万一事故発生の時、相手の方に保証をすることが出来るのでしょうか。こういう青年をして無鉄砲男と言うのです。それだけやる気の情熱があるのでしたら、漢籍を繙くことをお勧めしたいと思います。こういう無鉄砲男は普通の道路でも暴走行為めいたことをすると思われますので、警察当局は徹底した取り締まりをして戴きたいものです。
---------------
『善の研究』第89回
それで古人も終日なして而も行せずといったが、もしこの直覚より見れば動中に静あり、為して而も為さずということができる。またかく知と意とを超越し、而もこの二者の根本となる直覚において、知と意との合一を見出すこともできる。
真の宗教的覚悟とは思惟に基づける抽象的知識でもない、また単に盲目的感情でもない、知識および意志の根底に横われる深遠なる統一を自得するのである、即ち一種の知的直観である、深き生命の捕捉である。故にいかなる論理の刃もこれに向かうことはできず、いかなる欲求もこれを動かすことはできぬ、凡ての真理および満足の根本となるのである。その形は種々あるべけれど、凡ての宗教の本にはこの根本的直覚がなければならぬと思う。学問道徳の本には宗教がなければならぬ、学問道徳はこれに由りて成立するのである。
---------------
『菜根譚』97
此の心常に看得て円満ならば、天下自ら欠陥の世界なし。此の心常に放ち得て寛平ならば、天下自ら険側の人情なし。
〔訳〕自分の心を常に円満にしておけば、世の中に自然に不満なものがないようになる。また、自分の心を常に広く平らかにしておけば、世の中に自然にとげとげしいねじけ心がないようになる。
大事な言葉だと思います。そういう中で、自分の精神は溌剌として目的に向かって邁進したいものです。
---------------
昨夜の空手道教室も人数は少ないでしたが、熱気あふれる稽古ができました。
二部では空手道五段だと豪語する田上青年に終盤腹部を打たせました。20年前入門した頃は、手を握り締めることも難解だったのです。ただ甘えがあるのをどうやって取り除いたらいいか、指導者として工夫を重ねています。
-----------
飲酒して事故を起こし、轢き逃げをしたとして、元モーニング娘が執行猶予5年の刑が確定しました。メディアに載せられ舞い上がっていたのだと思われます。二度とハンドルを握らないと自覚しているとのことです。
先に書いたドリフト走行を続けるという無鉄砲男もこういう羽目になるだろうと思います。
-----------------
子曰く、禹立ちて三年、百姓仁を以て遂ぐ。豈必ずしも儘(ことごと)く仁ならんや。詩に云ふ、赫赫たる師尹(しいん)、民具(たみとも)に爾を瞻(み)ると。甫刑に曰く、一人慶有れば、兆民之に頼(よ)ると。大雅に曰く、王の孚(まこと)を成す、下土の式(のり)なりと。『礼記』838
孔子が言った。----禹が天子になると、三年で人びとは仁を理解し、その実行に努めるようになった。人びとはみな仁者になったわけではないが、みな仁に志すようになったのである。詩経に、「輝かしい師尹よ、人びとはみな師尹を見る」とあり、甫刑篇には、「天下ただひとりの天子に、慶(めでた)い行いがあれば、万民みなこれに頼り倣う」とあり、また大雅には、「武王は誠実の行為を積み、天下に模範を示した」とある。
【コメント】我々平民も天子同様、仁を理解し、世の人々と協調し、意義ある人生とすべく日々に挑みたいものです。
十年以上、漢籍を繙いていると、漢籍を学んだ南洲翁同様天子様と同じように仁の世界を逍遥したくなります。『南洲翁遺訓』発刊の地、荘内の菅先生方も日々このような姿勢になり、更なる漢籍の世界を生きたのだろうと推測しています。『南洲翁遺訓』の刊行は歴史的偉業だと思います。文献として残すということは、南洲翁と同程度の存在であったからだと思います。
話変って、今朝のテレビ報道で、31歳の青年が交通量の少ない田舎の山道みたいなところで、安全確認もせず軽トラックをドリフト走行という暴走行為をさせている動画をインターネットに投稿したとして映像が公開されました。その映像は軽トラに同乗させていた小学2年の子供さんに撮影させたとのことです。
この暴走行為は対向車が来たら必ず大事故に繋がります。映像を見た人々が、そういう行為を止めさせようとして妨害するようなことがあったら徹底抗戦をすると言っていました。
万一事故発生の時、相手の方に保証をすることが出来るのでしょうか。こういう青年をして無鉄砲男と言うのです。それだけやる気の情熱があるのでしたら、漢籍を繙くことをお勧めしたいと思います。こういう無鉄砲男は普通の道路でも暴走行為めいたことをすると思われますので、警察当局は徹底した取り締まりをして戴きたいものです。
---------------
『善の研究』第89回
それで古人も終日なして而も行せずといったが、もしこの直覚より見れば動中に静あり、為して而も為さずということができる。またかく知と意とを超越し、而もこの二者の根本となる直覚において、知と意との合一を見出すこともできる。
真の宗教的覚悟とは思惟に基づける抽象的知識でもない、また単に盲目的感情でもない、知識および意志の根底に横われる深遠なる統一を自得するのである、即ち一種の知的直観である、深き生命の捕捉である。故にいかなる論理の刃もこれに向かうことはできず、いかなる欲求もこれを動かすことはできぬ、凡ての真理および満足の根本となるのである。その形は種々あるべけれど、凡ての宗教の本にはこの根本的直覚がなければならぬと思う。学問道徳の本には宗教がなければならぬ、学問道徳はこれに由りて成立するのである。
---------------
『菜根譚』97
此の心常に看得て円満ならば、天下自ら欠陥の世界なし。此の心常に放ち得て寛平ならば、天下自ら険側の人情なし。
〔訳〕自分の心を常に円満にしておけば、世の中に自然に不満なものがないようになる。また、自分の心を常に広く平らかにしておけば、世の中に自然にとげとげしいねじけ心がないようになる。
大事な言葉だと思います。そういう中で、自分の精神は溌剌として目的に向かって邁進したいものです。
---------------
昨夜の空手道教室も人数は少ないでしたが、熱気あふれる稽古ができました。
二部では空手道五段だと豪語する田上青年に終盤腹部を打たせました。20年前入門した頃は、手を握り締めることも難解だったのです。ただ甘えがあるのをどうやって取り除いたらいいか、指導者として工夫を重ねています。
-----------
飲酒して事故を起こし、轢き逃げをしたとして、元モーニング娘が執行猶予5年の刑が確定しました。メディアに載せられ舞い上がっていたのだと思われます。二度とハンドルを握らないと自覚しているとのことです。
先に書いたドリフト走行を続けるという無鉄砲男もこういう羽目になるだろうと思います。
-----------------