タイトル----無為にして尊き者は天道なり。第1828号 25.12.27(金)
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無為にして尊き者は天道なり。有為にして累(わずら)わしき者は人道なり。『荘子』
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無為自然のままでありながら、それでいて非常に尊い働きをするものは、天道である。
いろいろと作為をし仕事をしていながら、その結果がただわずらわしさ、紛雑さだけを招くのが、人間のいままでやってきた営みである。
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【コメント】
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今年もあと四日を残すのみとなりました。人がそれぞれ幸せを求めて生きていく過程においては、考え方の相違、行き違い等々があるものです。それでも相手を認めながら、双方立つという思考は大切ではないでしょうか。
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政治の世界では靖国神社参拝で、世論が喧しくなっていますが、それは専門家に任せるとして、今朝の読売新聞「編集手帳」の一部をご紹介します。
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「-------普天間問題がようやく動きだそうというときに、無二の親友である米国の期待を裏切る。〈正〉に酔よって〈止〉を忘れた手痛い誤算だろう◆横棒1本の有る無しで意味が変わる漢字の組み合わせは、ほかにもある。首相の誤算が国益の〈幸〉を〈辛〉に変えなければいい。」
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漢字の妙味を紹介しました。
社会面では、餃子チェーン店の会長が射殺された事件で、警察の事情聴取を受けた息子が、人に恨まれるようなことはしていない、と証言したやに報道されています。不幸な事件を負った人は、人にも挨拶し、お掃除などもされていたと報道されています。
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思うに、全国にチェーン店を展開するということは、お客様にも大変なメリットがあることは容易に想像されます。
反面、競争相手の同業者からは、憎しみにも似た感情があったやに思われます。世の中、一人のものではないのですから、他の人にもいい思いをさせていいのではないかと思うのです。そういった意味で「人に恨まれることをしてい」たと言える一面もあるかも知れません。
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私は『南洲翁遺訓』を青少年に教えていますが、ある長老が、全国的な組織にしようと躍起になっていますが、私は与しないことにしています。私のところに来てくれる青少年とのお付き合いだけでいいと思っています。
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短歌の紹介
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忠篤が洋上で作詩す詩が届き 開墾士らは奮い立つなり
6331 『臥牛 菅実秀』
開墾士なれない仕事負けそうに
なれば中殿中殿と呼び 6332 『臥牛 菅実秀』
二十二軒旗竿中黒大旗を
高くす掲げて士気を軒昂 6333 『臥牛 菅実秀』
忠発と夫人もたびたび開墾の
現地廻って労苦ねぎらう 6334 『臥牛 菅実秀』
忠発は働く人の戦場に
思はず気魄感嘆すなり 6335 『臥牛 菅実秀』
組長を集めて労謝し筆をとり
「松ケ岡」書き標札丘に 6336 『臥牛 菅実秀』
開墾士同じ股引半纏に
蓑笠姿鍬をかついで 6337 『臥牛 菅実秀』
松檜巨木多くが根を張るも
開墾士らは活気で斧張る 6338 『臥牛 菅実秀』
風林に烟りは満ちて霜葉は
深くも吟歩す縫河のほとり 6339 『臥牛 菅実秀』
忠篤に伐木の音聴こえよと
山口将順詩をばドイツへ 6340 『臥牛 菅実秀』
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『臥牛 菅実秀』を連日筆写し、追っかけて稚拙ながら短歌を綴っています。そして『名君忠徳公 天保おすわり事件』他、荘内南洲会様よりご贈呈賜りました書籍を毎日拝読しています。
そこに、大和の国の世界に誇る精神文化と学問があるからです。西郷隆盛を学びたければ、先ずは荘内学を学ばなければならないのです。