第3817号 01.06.30(日)
群臣、宮中暑濕(しょしつ)にして、寝膳(しんぜん)或は乖(そむ)くを以て、徙(うつ)りて高明に御し、一小閣を営まんことを請ふ。遂に家人の産を惜み、竟に子来(しらい)の願を抑へ、陰陽の感ずる所をおしまず、以て卑陋の居に安んず。頃歳霜儉(けいさいそうけん)、普天鐖饉(ききん)、喪亂甫(はじ)めて爾(しか)り、倉廩(そうりん)空虚なり。聖情矜愍(きょうびん)し、勤めて賑恤(しんじゅつ)を加へ、竟に一人の道路に流離するもの無し。猶ほ且つ食は惟れ藜藿(れいかく)、樂は簨簴(しゅんきょ)を徹し、言は必ず悽動(せいどう)し、貌は癯痩(くそう)を成す。『貞観政要』251
群臣が宮中は暑く湿っており、寝食が安らかでないので、高く日当たり良い場所に移って小さい御殿をお造りなされることを願った。しかし陛下はその経費が人民十家の産に相当することを惜しんで、結局、人民たちの願いを押さえ、陰陽の不調和による健康を害することを憂えずに、低く湿ったお住居に安んじておられました。このごろは毎歳が凶作で、天下じゅうは鐖饉で、死喪と禍乱が起こり、穀物倉は空になりました。陛下の御心は人民をかわいそうに思われ、金銭や物を恵むことに努力され、その結果、一人の人民も家を離れて道路に流浪する者がありませんでした。そのうえに、なお食物は極めて粗末な物をお食べになり、音楽の道具を取り払い、お言葉は悲しみに激動し、お顔つきはおやせになっておられました。252
【コメント】長い人生では禍福吉凶いろいろありますが、上の地位にいるからといって自分だけ、安楽な日々を過ごすことは、世の人々の共感は得られないと思います。
そういう場合、歴史的偉人として世の人々の尊敬を受けている西郷さんの生き様も参考になされては如何でしょう。でも本腰を入れて参考にしないと西郷さんの真似は、今時の平和と繁栄に溺れた人々には到底真似はできないと思います。私みたいな貧乏生活を送って来た人間でなければ到底無理だと思います。
今日も各政党の政務調査会長の人々が日曜討論がありましたが、平和・繁栄・人権を恣にしておられる方々だけに、西郷さんが御聞きになられたら、首を傾げることばかりだと思いました。
私のブログ第3756号で書いたように、「一たび平和になりますと、必ず緩み怠る心を持つようになります。」と書きました。これは貞観政要で紹介された言葉なのです。
私が育った昭和の初期頃に比べると、現在は格段の幸せの差があるのです。ところが野党の人々は、自分たちでは出来ないくせに難癖だけをつけているという感想でした。
昨夜の本部、空手道教室も賑わいました。基本動作、空手道形を稽古してから、組手練習もしました。最初は味園禿げ老人の腹部を打つことからでした。
気を抜いて横を向いている時、小学4年の山口賢斗君がいきなり中段突き(腹部)をした時は、大変な衝撃でした。前回形をした森永礼弥君にはチントウ賞を上げました。終った時、渡すのを忘れたため、自宅までお届けしました。前田師範も、山田師範も素晴らしい指導をしてくださいました。
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『善の研究』第263回
先ず我々が普通に信ずる所に由って見れば、誰も自分の意志が自由であると考えぬ者はない。自分が自分の意識について経験する所では、或範囲において或事を為すこともできればまた為さぬこともできる。即ち或範囲内においては自由であると信じている。これが為に責任、無責任、自負、後悔、賞讃、非難等の念が起ってくるのである。しかしこの或範囲内ということを今少しく詳しく考えて見よう。凡て外界の事物に属する者は我々はこれを自由に支配することはできぬ。自己の身体すらもどこまでも自由に取扱うことができるとはいわれない。随意筋肉の運動は自由のようであるが、一旦病気にでもかかればこれを自由に動かすことはできぬ。自由にできるというのは単に自己の意識現象である。139
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群臣、宮中暑濕(しょしつ)にして、寝膳(しんぜん)或は乖(そむ)くを以て、徙(うつ)りて高明に御し、一小閣を営まんことを請ふ。遂に家人の産を惜み、竟に子来(しらい)の願を抑へ、陰陽の感ずる所をおしまず、以て卑陋の居に安んず。頃歳霜儉(けいさいそうけん)、普天鐖饉(ききん)、喪亂甫(はじ)めて爾(しか)り、倉廩(そうりん)空虚なり。聖情矜愍(きょうびん)し、勤めて賑恤(しんじゅつ)を加へ、竟に一人の道路に流離するもの無し。猶ほ且つ食は惟れ藜藿(れいかく)、樂は簨簴(しゅんきょ)を徹し、言は必ず悽動(せいどう)し、貌は癯痩(くそう)を成す。『貞観政要』251
群臣が宮中は暑く湿っており、寝食が安らかでないので、高く日当たり良い場所に移って小さい御殿をお造りなされることを願った。しかし陛下はその経費が人民十家の産に相当することを惜しんで、結局、人民たちの願いを押さえ、陰陽の不調和による健康を害することを憂えずに、低く湿ったお住居に安んじておられました。このごろは毎歳が凶作で、天下じゅうは鐖饉で、死喪と禍乱が起こり、穀物倉は空になりました。陛下の御心は人民をかわいそうに思われ、金銭や物を恵むことに努力され、その結果、一人の人民も家を離れて道路に流浪する者がありませんでした。そのうえに、なお食物は極めて粗末な物をお食べになり、音楽の道具を取り払い、お言葉は悲しみに激動し、お顔つきはおやせになっておられました。252
【コメント】長い人生では禍福吉凶いろいろありますが、上の地位にいるからといって自分だけ、安楽な日々を過ごすことは、世の人々の共感は得られないと思います。
そういう場合、歴史的偉人として世の人々の尊敬を受けている西郷さんの生き様も参考になされては如何でしょう。でも本腰を入れて参考にしないと西郷さんの真似は、今時の平和と繁栄に溺れた人々には到底真似はできないと思います。私みたいな貧乏生活を送って来た人間でなければ到底無理だと思います。
今日も各政党の政務調査会長の人々が日曜討論がありましたが、平和・繁栄・人権を恣にしておられる方々だけに、西郷さんが御聞きになられたら、首を傾げることばかりだと思いました。
私のブログ第3756号で書いたように、「一たび平和になりますと、必ず緩み怠る心を持つようになります。」と書きました。これは貞観政要で紹介された言葉なのです。
私が育った昭和の初期頃に比べると、現在は格段の幸せの差があるのです。ところが野党の人々は、自分たちでは出来ないくせに難癖だけをつけているという感想でした。
昨夜の本部、空手道教室も賑わいました。基本動作、空手道形を稽古してから、組手練習もしました。最初は味園禿げ老人の腹部を打つことからでした。
気を抜いて横を向いている時、小学4年の山口賢斗君がいきなり中段突き(腹部)をした時は、大変な衝撃でした。前回形をした森永礼弥君にはチントウ賞を上げました。終った時、渡すのを忘れたため、自宅までお届けしました。前田師範も、山田師範も素晴らしい指導をしてくださいました。
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『善の研究』第263回
先ず我々が普通に信ずる所に由って見れば、誰も自分の意志が自由であると考えぬ者はない。自分が自分の意識について経験する所では、或範囲において或事を為すこともできればまた為さぬこともできる。即ち或範囲内においては自由であると信じている。これが為に責任、無責任、自負、後悔、賞讃、非難等の念が起ってくるのである。しかしこの或範囲内ということを今少しく詳しく考えて見よう。凡て外界の事物に属する者は我々はこれを自由に支配することはできぬ。自己の身体すらもどこまでも自由に取扱うことができるとはいわれない。随意筋肉の運動は自由のようであるが、一旦病気にでもかかればこれを自由に動かすことはできぬ。自由にできるというのは単に自己の意識現象である。139
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