第2770号 28.07.31(日)
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人の詐(いつわ)りを覚るも、言(ことば)に形(あら)わさず、人の侮りを受くるも、色に動かさず。『菜根譚』
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人のいつわりがはっきりわかっても、それを言葉にあらわに出さない。また、人からあなどりを受けても、それを顔色な出さない。
そこに無限の深い意味と作用がある。568
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【コメント】どのような仕打ちをされても、実害がない限り泰然としていたいものです。19人の障害者を殺害したような人は特別だと思います。誠心誠意尽くせば善処すると思います。
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ここまで書いていたら枕崎・キバランカイ事務当局の上釜正勝様が自宅に来てくれました。そして空手道宗家・政田先生も電話がありましたので、ブログ書きを中断致しました。
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『臥牛菅実秀』(第305回)
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(七)
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ワッパ一件が一応、静まると、開墾士は蚕室建設の準備にとりかかった。
蚕室の屋根瓦は、この年、解体された鶴ケ岡城の瓦を用いることにした。武の象徴である城郭の、その瓦が産業に活用されることになったのだ。
最初の蚕室四棟は翌八年の春に竣工したが、その規模は、
桁間二十一間、梁間五間、
高さ五間四尺、排気用の一階とも三階、
というもので、当時の人の開墾にかけた気魄の逞しさを、そのまま物語っているような、がっしりとした構造である。
この四棟の建物に要した瓦は、おびただしい数であったが、それを一人、六枚づつ背負って、二里の道を運んだのである。鶴ケ岡城から開墾場まで鬼継ぎもやってみたが、やはり一人一人、背負う方が早かったという話も残っている。
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『農士道』(第581回)
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よく農家の実際家から「折角やれやれといふからやって見たが、どうも私の家ではうまく行かぬ。こんなことなら却ってやらぬ方がよかった」といふやうな聲を聴くが、蛇は一本も脚が無く、百足(むかで)は数十本の脚を有つ。然も其の歩むや一なりで、それで共に全体なのである。蛇に脚が無いからといふて不具者といふ譯に行かず、百足に数十足有るからというて格別優れてゐるといふ譯でもないのである。指導の任に在る者が蛇にも共に数十足を附けてやらねば多角型経営ではないというやうな考え方は、是非改めねばならぬことであろう。
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人の詐(いつわ)りを覚るも、言(ことば)に形(あら)わさず、人の侮りを受くるも、色に動かさず。『菜根譚』
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人のいつわりがはっきりわかっても、それを言葉にあらわに出さない。また、人からあなどりを受けても、それを顔色な出さない。
そこに無限の深い意味と作用がある。568
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【コメント】どのような仕打ちをされても、実害がない限り泰然としていたいものです。19人の障害者を殺害したような人は特別だと思います。誠心誠意尽くせば善処すると思います。
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ここまで書いていたら枕崎・キバランカイ事務当局の上釜正勝様が自宅に来てくれました。そして空手道宗家・政田先生も電話がありましたので、ブログ書きを中断致しました。
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『臥牛菅実秀』(第305回)
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(七)
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ワッパ一件が一応、静まると、開墾士は蚕室建設の準備にとりかかった。
蚕室の屋根瓦は、この年、解体された鶴ケ岡城の瓦を用いることにした。武の象徴である城郭の、その瓦が産業に活用されることになったのだ。
最初の蚕室四棟は翌八年の春に竣工したが、その規模は、
桁間二十一間、梁間五間、
高さ五間四尺、排気用の一階とも三階、
というもので、当時の人の開墾にかけた気魄の逞しさを、そのまま物語っているような、がっしりとした構造である。
この四棟の建物に要した瓦は、おびただしい数であったが、それを一人、六枚づつ背負って、二里の道を運んだのである。鶴ケ岡城から開墾場まで鬼継ぎもやってみたが、やはり一人一人、背負う方が早かったという話も残っている。
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『農士道』(第581回)
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よく農家の実際家から「折角やれやれといふからやって見たが、どうも私の家ではうまく行かぬ。こんなことなら却ってやらぬ方がよかった」といふやうな聲を聴くが、蛇は一本も脚が無く、百足(むかで)は数十本の脚を有つ。然も其の歩むや一なりで、それで共に全体なのである。蛇に脚が無いからといふて不具者といふ譯に行かず、百足に数十足有るからというて格別優れてゐるといふ譯でもないのである。指導の任に在る者が蛇にも共に数十足を附けてやらねば多角型経営ではないというやうな考え方は、是非改めねばならぬことであろう。
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