味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

巨川を済るとせば、汝を用て舟揖と作さん。

2015-12-31 10:13:22 | ブログ
第2560号 27.12.31(木)
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巨川を済(わた)るとせば、汝を用て舟揖(しゅうしゅう)と作(な)さん。『書経』
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 わたしが大きな川を渡るとすれば、そのときにはあなたを船ともたのみ、舵ともたのもう。そのように臣下を重く任用することによって、天下の政治は正しく行なわれる。207
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 【コメント】仲間が寄り合って、組織化した場合には、お互いが信頼しあうことが大切だと思います。一時的な感情のもつれから、自分を小さくしておくことは、大きな損失でありましょう。
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 胸襟を開き、語り合いたいものです。二度とない人生です。前向きに前向きに参りましょう。そうすれば、何事も良い方に行くと思います。人は人との交流によって磨かれていくのです。
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『臥牛菅実秀』(第98回)
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 実秀は忠発の裁断によってはからずも再生し、『乾坤に搏(はばた)かん』と歌ったその羽翼を与えられたのだ。実秀にとって、この事件と、それに対する老公の裁断は、生涯の大きな転機となり、その後の不撓不屈な活躍の出発点となったのである。
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   豈(あに)艱険を憚(はばか)らざらんや 
   深く国土の恩を懐(おも)
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   人生 意気に感ず
   功名 誰か復た論ぜん
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 唐の魏徴の『述懐』の一節であるが、このときの実秀の胸奥にも、これと同じ感懐が強く湧いていたことであろう。

   ※魏徴。中国隋代の末期、のちの唐の高祖、およびその子の太宗をたすけて唐帝国を築いた。
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『論語』(第489)
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 子貢曰はく、紂の不善は是の如く甚だしからざるなり。是を以て君子は下流に居るを悪む。天下の悪皆焉(これ)に帰す。
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 殷の紂王は無類の悪人のようにいわれているけれども、紂の不善はそれ程までに甚だしくはないのである。ただ紂は身を不善の地に置いて天下の下流にいたから、地の下(ひく)い処へ衆流の聚(あつ)まるように紂の身に衆悪が集まったのである。
 故に君子は不善を行わず、下流におることを悪む。下流におれば天下の悪が皆己に帰するからである。紂に鑑みて警(いまし)めねばならぬ。

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『農士道』(第375回)
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 東北地方の凶作---確かに気の毒なことであり、困ったことではあるが、大きく天の立場より見れば、堆肥使用の成績に対する天の品評会とも見得るであろう。
 現にこの地方の如きに於て其の努力の成績に対する天の恩賞を見得たのである。其の由利郡に於て最も堆肥製造に熱心なのがこの小出村なのである。全村を通じて一段歩平均五百貫の堆肥を施用するとのことである。私は其の村を訪ねて此人に会ったのである。私は更に尋ねた。 

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平成27年12月31日、本日をもって今年のブログ投稿を終了致したく存じます。拙いブログでございましたが、主に荘内の先生方もお目どうし戴いたやに伺っています。有り難う存じました。
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 人間の営みは大体同じようなものでございますが、そこに名誉欲、金銭欲等々が入れ交じり、それぞれ葛藤があるやに思われます。
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 有難いことに、荘内南洲会前理事長・小野寺先生からご紹介されて、荘内南洲会にある文献を購入・拝読して参りました。
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 小野寺先生の後任・水野先生もご人格英明なる先生であり、教えられることばかりでございます。来る年も私自身が学ぶという視点に立脚して、この精神を踏襲して参りたいと存じます。
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 世界の出来事もいろいろありましたが、私共にとりましての重大なことは、『南洲翁遺訓』改竄事件に対処するため、「西郷南洲顕彰会の伝統と、西郷南洲翁と菅臥牛翁の徳の交わりを広める会」の人々が結束して、事に臨んだということでございます。
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 『南洲翁遺訓』改竄事件は、良かれと思ってしたことかもしれませんが、結果的に西郷隆盛という歴史的偉人の人格を傷つけることになるのでございます。
 『南洲翁遺訓』と出会って半世紀、日本空手道少林流円心会道場で子供たちに教え、過去の円心会大会には、鮫島志芽太先生、児玉正志先生、竹下一雄先生方のご遺言にも似たお願いを受け、子供たちともども学んでいる次第でございます。
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 味園道場をご訪問された荘内南洲会旅行団は500名を超えています。今後とも、菅臥牛先生方が命に代えて出版・刊行した『南洲翁遺訓』を只管学び続けることを誓って、今年最後のブログ投稿とさせていただきます。

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居は気を移し、養は体を移す。

2015-12-30 11:19:39 | ブログ
第2559号 27.12.30(水)
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居は気を移し、養は体を移す。『孟子』
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 滋養物がからだを丈夫にするように、人の地位居住はその人の品格を変える。まして仁道という天下の広居にいれば、当然立派な気品がついてくるはずだ。137
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 【コメント】この言葉に該当する人は、西郷南洲翁、菅臥牛翁、菅原兵治先生他、荘内南洲会の先生方であろうと思います。
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 今年もあと一日を残すのみとなりました。連日、雑用に追われ、必死に生きているだけでございます。でも、元気で素晴らしい多くの子供たちと出会えたから果報者だと思っています。私の周囲にいる子供たちは本当に素晴らしいです。『南洲翁遺訓』のお蔭で子供たちが見違えるように成長してくれます。
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 新聞広告によると、ある人が「道徳」に関する事に言及した本を出版したとのこと。思うに道徳は菅原先生の右に出る人はいないと思います。出版したその作家氏のことを、或る自動車会社の社長様は、することなすことが何もわからん、と私に言ったことがありました。雲の上の人なので私ごときが論評できる人ではないようです。
 とにかく菅原兵治先生のご著書をお読みになられるようお薦め致します。

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『臥牛菅実秀』(第97回)
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 三郎兵衛は、すぐに老公の裁断を伝えた。
 床の上に座りなおした実秀は、ふかぶかと頭を下げた。
「三郎兵エはん、済まぬ、かたじけない----」
胸の奥底から、こみあげてくるもののために言葉はつまった。三郎兵エも何もいえなくなっていた。
-----実秀の頬には熱いものが伝わっていた。
 豪情な実秀が、その生涯で涙を見せたのは、このときだけであったという。

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『論語』(第488)
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 孟氏陽膚をして士師たらしむ。曾子に問ふ。曾子曰はく、上其の道を失ひ、民散ずること久し。如(も)し其の情を得ば、則ち哀矜して喜ぶこと勿れ。
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 魯の大夫孟氏が曾子の門人の陽膚を裁判官に任用した。そこで陽膚が曾子に裁判官としての心得方をたずねた。曾子が言うには、「今や上たる政府が政道の宜しきを失ひ、下々の人民が生活難に陥り、民心離散し道義頽廃せること久しい以前からである。犯罪の起こるのも畢竟其人の罪ではなく、悪政が民をそそのかして悪事をなさしめるのである。故にもし獄を治め、罪をさばいて、嫌疑者が、恐れ入りましたと、事実を告白したときは、哀れみの情を起して気の毒にと思いなさい、ゆめゆめ罪状を摘発し得た功名手柄などを悦んではならない」と。
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『農士道』(第374回)
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 一体今年の東北地方の稲作は、其の豊凶の度が個人的に非常に異なっていて、或者は稲丈が一尺四五寸しかない様なものもあれば、或者は殆ど平年と異ならぬものもあるといふ有様である。而して其の原因は何か。勿論一にして足らずと雖も、其の最大原因の一つは堆肥使用量の多少といふことにあるやうである。或一人の御百姓がしみじみ言っていた。
「私の家の田はお恥しい程悪う御座います。まあ堆肥を造ることをなまけた天罰と思ってあきらめています。」

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断に当たって断ぜざれば、反って其の乱を受く。

2015-12-29 10:04:49 | ブログ
第2558号 27.12.29(火)
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断に当たって断ぜられば、反って其の乱を受く。『史記』
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 処断すべきときに躊躇して処断しなければ、後にかえってその災害を招くに至る。642
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 【コメント】その「断」も大小さまざまであると思いますが、組織にしても自分にしても、今までの知識経験を活かして事に臨むのが良いと思います。
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 30歳になったばかりの亭主が晩酌をして酔っ払い、妻にクダを巻き、脅迫して誓約書を書かせ、気に食わないとして殴るようなことがあってはならないと思います。そういう理不尽な亭主に、妻は包丁を握りしめ、殺すといいだしたのでした。
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 自らの修養も出来ていない人間が、人様の子供に、人格を養成する空手道を教えることは出来ないと思います。人間、道を踏み外さない人はいないと思います。そういう局面に遭遇したら、罵倒されようが、殴られようが、自分を磨くという視点に立って腰を据え、聞くべきは聞くという謙虚さがなくては、伸びないと思います。
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 その昔15年位前、薩摩詩吟会でのこと。長老で詩吟がうまい先生がいました。酒癖が悪く、誰彼となく、当たり散らすのです。私は、酒を飲んでも謙虚さは失わない性格なのですが、何かと文句を言われたのでした。
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 そこで翌朝、正装して自宅へ乗り込んだことがありました。「どういう礼を失することがあったのでしようか」、と。ところが、酔いが覚めた本人は、何を言いましたかねと、しどろもどろでした。
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 この種の性格は直らないのですが、誰かが教えてあげなければならないのです。

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『臥牛菅実秀』(第96回)
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 それに対して老公忠発はつぎの裁断を下した。
「国家多難の際に、あたら有為の人材を、常法にこだわって処置すべきではない。」
 そしてその過失を許し、職は従前のままとしたのである。
 忠発の側用人山口三郎兵衛(将順)は、忠発のこの裁断と、それにそえた懇篤な言葉を実秀に伝えるために急ぎ江戸に上った。実秀の収容されているお長屋につくと、従僕を見つけたので、早速、実秀の安否を聞いた。従僕は、
「主人は今、お部屋で眠っております。」
といったのでホッとした。三郎兵エは実秀の気性から考えて再び自決をはかるのではないかと、ひそかに心配していたのである。
 づかづかと座敷に入った三郎兵エは実秀の枕頭に座った。
「おう、三郎兵エはん----」
思いもかけない長老の出現に実秀は驚いた。

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『論語』(第487)
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 曾子曰はく、吾諸(これ)を夫子に聞く、孟荘子の孝や、其の他は能くすべし、其の父の臣と父の政(まつりごと)とを改めざる、是れ能くし難し。
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 曾子が言うには、『私が孔子先生から伺ったことだが、孟荘子の親孝行も、外の事は未だ真似もできるが、父の死後其の旧臣をそのまま召使ひ、其の政治ぶりも改めずにそのまま受け継いだことは余人にはまねの出来ないことだ。』
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『農士道』(第373回)
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 どうしても何とか答へねばならぬことになった。
「母親というものは、其子を産み育ててあらゆる苦労をして、それで何等の報酬を要求しません。其処が金で雇われて、金だけにしか働かぬ雇人と違う處です。士は正しく自然の母でしょうね。」
 沈黙が続く。
 「明治天皇の御製にかういふ御歌があります。
   産みなさぬものなしといふあらがねの
       士はこの世の母にぞありける
この御歌こそ、あなたの疑問に対する最もよき教でありませう。」
 此処は秋田県由利郡小出村東畑といふ一山村である。
 私は凶作といはるる東北地方の農村の様子を視て秋田の由利郡に行ったのだが、此の郡は他地方に比して凶作だとは思われぬほどの出来栄えである。

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天、我が材を生ずる、必ず用あり。

2015-12-28 14:59:50 | ブログ
第2557号 27.12.28(月)
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天、我が材を生ずる、必ず用あり。(李太白「将進酒」)
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 天がわたしに才能を授けてくれた以上、必ずこれをなにかに用いる使命があるはずである。546 
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 【コメント】只今午後三時六分です。枕崎にお墓参りに行き、今帰り着きました。『南洲翁遺訓』を子供に教えることは、私の特別の才能なのでしょうか。たまたま、鹿児島の先生方に『南洲翁遺訓』を教え広めてください、とお願いされたことと、私自身が興味を抱いて始めたことでした。
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 何回も書き皆様に訴えていますが、今の日本国を見渡した時、救いようのない部分が数多、あるような気が致します。だから、皆様にご紹介方々、幸せと健康と長生きをして欲しいからこうして書いているのです。
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 昨日、17;41、中澤先生から、荘内南洲会の忘年会で『南洲翁遺訓』序文を理事長・水野先生方と発表したとのメールコメントがございましした。おめでとうございました。お賑やかに執り行われたことと存じます。

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『臥牛菅実秀』(第95回)
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 しかし、それは表面に現れないことだけに、藩内の多くの人たちは相変らず、むやみに大言壮語をする男とか、駻馬(かんば)のような男という批判にとらわれて実秀を見ていたのである。
 灼熱して燃えているものは炎が見えないように、実秀の活躍は余り目立なかったし、それに実秀は小才を用いたり、『おれが、おれが』と自分を誇示することは絶対にしない人であった。
 こうしたことが、真に実秀を知る少数の人と、実秀の本質を知らない多くの人たちの間に、実秀の処分をめぐって議論が紛糾した理由であった。

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『論語』(第486)
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 曾子曰はく、吾諸を夫子に聞く、人未だ自ら致す者あらず、必ずや親の喪か。
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 曾子が言うには、『私が先生から伺ったことだが、人間が特に自発的に其真情の限りをあらわすということは、中々有り得ない。有るとすれば、先ず親の葬式ぐらいのものか。』
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『農士道』(第372回)
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 「一寸お尋ね致したう御座いますが-----」真剣そのもののやうな態度で語り出したのが、五十を二つ三つ越したと思わるるお百姓である。敬虔な面持ちで更に語をついで、
「士といふものについてですが、毎年七圓か八圓の肥料しかやらないのに、七十圓か八十圓の収穫を得るのです。一体毎年毎年かう取られるのはどういうわけでしょうか。」
 集って居た数人の人々は一寸呆気に取られた形である。お百姓は愈々真剣である。
「私は不思議でなりません。七圓か八圓しかやらずに、毎年その十倍もの収穫があるじゃありませんか。よくも毎年毎年かう取れるものですよ。ほんたうに勿体ないと思ひます。

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学びて時に之れを習う、亦た説ばしからずや。

2015-12-27 10:13:04 | ブログ
第2556号 27.12.27(日)
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学びて時に之れを習う、亦た説ばしからずや。『論語』
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 一度学べば、それでわかったような気がする。しかし、実際には、よくわかっていないものである。ところが、学んだことを折りにふれて復習・練習してみると真の意味がわかってくる。体得するわけである。その体得のよろこびこそ、学ぶことの、まことのよろこびなのだ。20
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 【コメント】『論語』は毎日のブログで、各章ごとにご紹介していますので、それぞれの言葉としては頻繁にとりあげてはきませんでした。
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 でもそれぞれの解釈がありますので、これからは少しずつ取り上げて行きたいと思っています。
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 日本空手道少林流円心会の今年の空手道指導は、昨夜で終了しました。素晴らしい子供たちが集って来てくださるので、大変有難いと思っています。
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 今朝のテレビ報道では、今年一年を振り返って、更に今後を踏まえて種々議論されました。今年、一番の大事件は、フランスのISによる無差別殺人事件であるとして一致しました。それは裕福な人と、貧しい人との二極分化の影響するところも大であるということです。
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 然し、それらを享受するのは一人一人の人間です。そこで時代がどういうふうに進化しても、人間の心をしっかり持って生き抜かなければならないと思います。
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 その教科書が、連日私がご紹介している菅原兵治先生の思想と教科書ではないかと考えます。15年前、小野寺先生が、日本一の教育者だと私に教えてくださいました。
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 その際、『大学味講』『農士道』等々を購入しました。そして拝読してきました。『論語』は10種類、『大学』は5種類本棚に整理されています。
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 『大学味講』は他の『大学』と併読してきましたので、少しは理解したつもりでした。ところが『農士道』は購入後すぐ読みましたが、難解であり、その後読むことを躊躇ってきました。
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 しかしながら平成26年12月14日、『農士道』第一回をブログでご紹介し、平成27年12月14日で『農士道』第358回を数えるに至りました。『農士道』のご紹介が終わるのは来年末ぐらいになるだろうと思っています。
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 この難解な『農士道』をご紹介してきて、大変有益なことを教わりました。今日のブログ冒頭、テレビ対談で今後の地球について、大半が悲観的な予想をしています。戦争によって地球の人類は絶滅するであろうという学者もいます。
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 思うに、菅原兵治先生の説く、「日の本」文化、没我と奉仕の精神で臨めば、これに反対する人はいないであろうと思います。そこで、今こそ、『南洲翁遺訓』そして『農士道』『臥牛菅実秀』をこそ学ばなければならないと考えるのですが、如何でしょうか。荘内南洲会の先生方、如何ですか。
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 『南洲翁遺訓』も大変素晴らしい歴史的遺訓・文献なのですが、一所懸命学んでいるのは、荘内南洲会と味園道場だけだと思います。でも荘内の方々で『南洲翁遺訓』を知らない人たちがたくさんいるということを中澤今日子先生のお手紙で存じあげました。
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 これでは折角の歴史的財産が埋没することになりかねません。そこで私は、味園方式として、『南洲翁遺訓』の原文を拝読・暗誦した後、子供たちが理解しやすいように、それぞれの章に「私の誓い」として紹介するようにしています。
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 荘内南洲会理事長・水野先生、常務理事・阿曾先生、このご提案を一笑に付しますか、如何ですか。私共が元気でやる気がある時に、真剣に議論・対処しなければならない事項だと考えるのですが、如何でしょう。
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 私が提案する「私の誓い」を子供たちが覚えても、長ずるにつれて『南洲翁遺訓』の原文でないと満足できなくなる筈です。これは『南洲翁遺訓』を改竄するとした男の思考とは全く違うということをご理解して戴きたいと存じます。 
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 昨夜の荘内南洲会の忘年会の賑わいが少しく聞こえてまいりました。会場においでの先生方に聞こえる様にと、『南洲翁遺訓』を発表した次第でした。

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『臥牛菅実秀』(第94回)
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 そのとき吉之丞は思わず涙を流していった。
「秀三郎殿あっての御家老です。」
 この当時の実秀は----この当時だけでなく、その翌年に起った戊辰戦争でも、また明治五年の開墾事業においても一貫したことであるが----深い師恩を受けた親敏の子であり、そして中老である松平親懐を、あくまでも正面に立て、自分はその後にひかえて、表面に現れない苦心を傾けていた。そして松平親懐が江戸ツ子から『江戸の団十郎、荘内の権十郎』と謳歌されるに至った見えない原動力となっていたのである。  

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『論語』(第4855)
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 曾子曰はく、堂々たるかな張や、与に並びて仁を為し難し。
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 曾子の言うには、「堂々たる大人物なるかな、子張君は。しかしどうも調和的でないので、一緒に助け合って仁を為すことがむつかしい。

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『農士道』(第371回)
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  畏くも明治天皇の御製に、
    産みなさぬものなしといふあらがねの
         土はこの世の母にぞありける
といふを拝するが、「土」こそは實に萬物を産みなす此の世の母であって、まことに吾等瑞穂国の大御田族(おおみたから)に対する此の上もなく辱き聖訓である。農業的勤労は要するにこの「母」への孝道-----愛敬の道なのである。此事に就いて嘗つて私の感動止む能はざりし一事があったから左にその時のことを載することとする。

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