味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

令和3年4月30日(金) 貞観政要・頁638 内は色に荒む

2021-04-30 10:28:49 | ブログ
内は色に荒む勿れ、外は禽に荒む勿れ。得難きの貨を貴ぶ勿れ、亡国の音を聴く勿れ。頁638

(訳)後宮において女色にふけり溺れてはならない。野外において狩猟に遊びふけってはならない。得難い宝物をと貴んではならない。国を亡ぼすみだらな音楽を聴いてはならない。頁639

 25歳の若妻に殺された紀州のドンは離婚話を持ち出しことがきっかけだったようです。25歳のお姉ちゃん若妻は、金欲しさに肉体を売ったのでしょう。この姉ちゃんはこういう人生を歩く人だったのでしょう。
 昨夜の空手道教室は正田佳那子嬢と外山さんの二人でした。
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  書籍の紹介

  『国民の油断』西尾幹二・藤岡信勝著

 これで分かるか!    明治維新と日本の近代化

 来年(一九九七年)の春から中学校で使われる七社の「歴史」教科書のうち、「近現代史」の部分の記述を読んでみましたが、驚きを禁じえません。
 七社に共通していえることは、近代日本史の前提ともいうべき基本的な歴史認識を欠いていることです。近代日本史は、当時の国際情勢と密接不可分の状況に置かれ、本来ならば、以下に述べる三つの大きなポイントを前提としてふまえていなければ、叙述できません。
 まず一つは、当時の世界は、まさに夜盗が走り、狼の群れが動き回り、塀も柵もない荒れ果てた原野にぽつんぽつんと文明が存在し、国境は名ばかりで無力だったという点です。ことにそれまでアジアは平和であって、各国は互いに孤立を守る形で自存自衛を保持し得ていました。東アジアでは、中国、朝鮮半島の鎖国は、日本以上に国を閉ざすものであっただけに、日本はその状況に安んじて身を任せ、平和を維持していたのです。その平和を破ったのは、ほかならぬ欧米列強だったので、明治の日本人がどんなに心細かったかが、歴史のすべての話の基本でなくてはなりません。
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 この書籍を購入したのが、30年前の事です。当時はむさぼり読んだものでした。後期高齢者になった今、冷静にゆっくりと拝読したいと思っています。


  


令和3年4月29日(木) 貞観政要・頁637 惟れ狂にして

2021-04-29 10:02:20 | ブログ
惟れ狂にして念ふ向きは、其の糟を丘にして其の酒を池にす。頁637

(訳)ただ心の狂った君は道理を思うことがなく、酒糟を積んで丘にし、酒を池となし宴遊にふけって天下を失った。頁638

 紀州のドンという金持ちが殺害されたとして元妻の25歳の女が逮捕されました。25歳のやり手女の去就に人々は唖然としているようです。それにしてもやり手女です。
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 書籍の紹介

 『切腹』黒瀬曻次郎著

  「島原・天草の乱」始末

 島原城主松倉家のキリシタン弾圧は、ひれがこの世のものか、と思われるほどの無残さであった。
 キリシタンを転ばない者は、代官所の仕置場にひき出され、みせしめのために狩り出された村人の前で、両手を後ろ手にくくられたあと、首輪のついた蓑を着せられ、火をつけられた。
 火だるまになり、灼熱のあつさに耐えかねて、悲鳴をあげ、走り回り、ころがり回る親兄弟、親類の姿を見ると、人々は泣き叫んだ。気を失って倒れる者もいた。拳を握りしめ涙をしたたらせる者もいた。
 役人たちは柵内を走り回っていた信者が、やがて地に倒れ、もがきがやんで、息絶えるのを見とどけると、立ち上がって冷然と言った。
「皆のもの、このようにならぬよう、キリシタン邪宗の教えにまどわされるな」
「蓑踊り」といわれるこの極刑を目にした村人は、柵から遠のくと、
「人殺しっ。そこまでせんでもよかじゃないか。今に罰があたるぞ。おどれたち、いつかきっと呪い殺してやるっ」
 口々に叫ぶと、蜘蛛の子を散らすように逃げた。
 苛政も目をおおうほどであった。
 年貢の取立てには、いかなる事情も斟酌されなかった。
 ある村では、わずかな年貢が納められず、来年への延期を願い出たが、聞き入れられなかった。役人は六つになる女の子を、さかさにして水につけた。農夫は身代わりを申し出たが聞き入れらず、逆上した彼はわが娘を出刃で刺し殺し、自分ものどをついて死んだ。
 不作で割りあての五表の米を納めることのではなかった農夫は、
「隠し持っておろう。出すまでこれを握れ」
 と、真っ赤になった焼け火箸を握らされた。
「ほんとでございます。一粒の米もございません」
 と言う口に、囲炉裏の燠がつっこまれた。
 やけただれた口は、ものを食うことができず、十五日目死んだ。口のまわりには蛆がたかっていた。
 キリシタンで年貢を怠った者は、雲仙嶽の沸騰する地獄の湯の上に吊り上げられ、一寸ずつ、一寸ずつ足の先から沈められ、熱湯が鼻に達する前に、悲鳴をあげながら、もがき死んだ。
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 金満家の男を死に追いやった25歳のやり手女は、未来永劫苦しむことになります。金目当てに女の裸を提供する身勝手は永遠に追及しなければならないと思います。そこには人々が賛意を贈るひとかけらも無いようです。
 尤もそういう女を抱く男の哀れさ、悲しいですね。

令和3年4月28日(水) 貞観政要・頁637 八品を前に

2021-04-28 10:15:12 | ブログ
八品を前に羅ぬるも、食う所は口に適ふに過ぎず。頁637

(訳)八種類の珍味を前に並べても、天子の食するのはその口に適するだけの分量に過ぎない。頁638

 今朝は曇天で小雨が降っています。今朝は紀州のドンという金満家が殺害されて三年になりますが、50歳下の妻が殺害したとして逮捕されたというニュースが躍っています。それにしても20代の女にしてはやり手だなと感じています。

 昨晩は外山諒哉君に空手衣をお渡ししました。中学校に上がったのですが、好きな部活がないので空手を続けるのだそうです。
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  書籍の紹介

  『バカの壁をぶち壊せ 正しい頭の使い方』養老孟司著

 ●経済学は現実を知らない「学問のための学問」である--------日下

  一般に経済学というのは二〇世紀初頭のイギリスとアメリカで生まれた「マクロ経済学」を指します。このマクロ経済学は、頭の中に、「投資」や「生産」「消費」といった概念のモデルを作って、それをつないで掛けたり、割ったりしているだけの経済学です。現実を見ているわけではありませんから、実際はよく分からない世界です。
 マクロ経済学を専門としている人に、「マクロ経済学の概念に相当する実例はどこにありますか?」と聞くと、「投資が増えると、やがて、生産が増えます、そして---」などとよく分からないことを言っています。みんな思い付きを言っているだけで、輪郭は結構ぼやけていることが多い。さらに、「その場合の『投資』というのは何のことですか?」と聞くと、「統計があります」と言う。つまり、国民所得統計、経済産業省統計などです。それをそのまま使っているだけです。そうした数字を数式に当てはめて、コンピューターにかけると、あっという間に〇・一二三-----%といった数字が出てきますから、それで学問的な分析は終ったことにしています。考えてみれば非常に簡単な仕組みです。
 物の「値段」や「金利」を考えるときにも、必ず、「最適値」や「理論値」、あるいは「自然価格」「均衡価格」などの言い方で考えます。「最適」や「自然」と付ければ、いかにも何か意味があるように見えますが、実際は根拠のないものが多いんです。
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 男恋人の大坪先生から電話がありました。寝ても起きても大坪先生の顔が頭から離れないのです。
 頭が善くて最高の人格者なのです。何かとご助言を頂いたりしています。
 御夫人の雄子お姫様が羨ましいです。


令和3年4月27日(火) 貞観政要・頁637 彼の昏くして

2021-04-26 12:34:22 | ブログ
彼の昏くして知らざるは、其の臺を瑶にして其の室をけいにす。頁637

(訳)あの心が暗くて道理のわからぬ君主は、その高殿を宝石で飾り、その室を赤い宝玉でちりばめた。頁638

 今日も昨日に続き好天気です。
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  書籍の紹介

 『亡国の宰相』
  官邸機能停止の180日
  戦後最大の危機に「最悪の愚宰相」を戴いた日本の悲劇----。
  震災を人災に変えた
  民主党の大罪を問う。

 「政権運営とは、雪の坂道を、雪だるまを押し上げていくようなもの。今は、雪だるまが転がり落ちている状態だと思います。原発事故の収束、東日本大震災からの復旧・復興、円高・デフレ対策、皆さんと一緒に汗をかいて、国民が『政権交代をしてよかった』と思える仕事をさせていただきたい。このまま後退をして民主党が粉々になった時、喜ぶのは古い政治じぁありませんか。みんなで歯を食いしばって国民のため汗をかいて、安定した信頼のできる政治を作ろうじぁありませんか」
 2011年8月29日、民主党は東京・紀尾井町のホテルニューオータニで党代表選を行い、菅直人代表(首相)の後継代表に野田佳彦財務相を選出した。厳しい表情を崩さぬまま就任あいさつに臨んだ野田は、3月11日に発生した東日本大震災からの復興や東京電力福島第一原子力発電所事故の早期収束などの懸案処理、そして、民主党の立て直しに向けた決意を強調した。
以下略
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令和3年4月26日(月) 貞観政要・頁637 九重を内に壮に

2021-04-26 12:34:22 | ブログ
九重を内に壮にするも、居る所は膝を容るるに過ぎず。頁637

(訳)宮中の九重の門を立派にしても、天子一人のおられる所は、膝を入れるだけの小さな場所に過ぎないのである。頁638

 今日も昨日に続き好天気です。今朝は背中に出來物がしましたので、皮膚科に診察に行きました。おくすりも貰ってきました。
 昼からマイナンバー切り替えの手続きに谷山支所に行ってきました。午後三時半自宅に帰りつきました。
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  書籍の紹介

 『李陵・山月記』中島敦著

  魯の下の卞の游侠の徒、仲由字は子路という者が、近頃賢者の噂も高い学匠・すう人孔丘を辱めてくれようものと思い立った。似而非賢者何程のことやあらんと、蓬頭突鬢・垂冠・短後の衣という服装で、左手に雄鶏、右手に牡豚を引提げ、勢猛に、孔丘が家を指して出掛ける。鶏を揺り豚を奮い、喧しいしん吻の音を以て、儒家の絃歌講しょうの声をみだそうというのである。
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