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何も知らないくせに

母が私のギターコンサートに来てくれたのはたった一度、30年も前のことです。会場は当時「定期演奏会」のようにして年に1度お借りしていた伊勢市観光文化会館の4階大会議室でした。
プログラムに日本の歌曲(編曲作品)が何曲か入ってましたが、終了後母に「速すぎる」と言われ「何も知らないくせに」と憤慨したことを覚えています。
そのずっと後で、テンポのコントロールが自分の重点課題のひとつであることを私は知りました。音楽のことを「何も知らない」のは母ではなく、私の方だったのです。
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小康状態

ここのところずっと日記のお休みが続いているのは、母の容態の関係です。先々週あたりから衰弱が激しく、18日(月)には行きつけの内科医の先生から「一週間もつかな」と言われました。
ちょうど一週間たった今日も、点滴のおかげで小康状態を保っています。せめてもの救いは、母が「最期はここで」と言っていた自分の家で、穏やかな顔をして眠ってくれていることです。
母と過ごす時間の大部分が「待機」なので、日記を記す時間は十分ありますが、この時期にあって、母に関係のない文章を綴ることにわずかばかりの抵抗があって、結局お休みを決めこんでいるわけです。
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文字入力特訓法

12日の日記の続きになります。
高齢の母の事故やトラブルに備えて、実家で長時間待機する日を数えたら、今日から6月末までに15日間ありました。今日の待機時間は約10時間ですから、トータルで考えればかなりの数字になります。
これだけの時間を有効に使わない手はありません。朝の練習録音を繰り返して聴くにしても1日に2時間が限度です。残りの時間の多くが「スマホの文字入力に慣れる」に使えることになりますが、この際それをさらに進め「慣れる」を「速く打てるようにする」に修正します。
こういうとき、私がよくやっている特訓があります。実に単純かつ効果的な方法で、それは「よく覚えている歌の歌詞を、鼻歌を歌いながら入力する」というやり方です。
それはこうです。日記にしてもメールにしても常に「次にどの文字を打つか」を考えながら打っていくので、いくら「速く打とう」と思っていても、言葉を考えるたびに、速く打つための指や神経の働きが中断されるのです。一方、よく知っている歌を口ずさみながら入力するときは、その中断がずっと少なくなるのです。
私はかつてワープロを買ったときも、パソコンを買ったときも、この特訓をしてそれなりの効果をあげました。今度はスマホです。

今日の日記は、スマホで打った中では一番長くなりました。時間もかかっているので「速く打つ」ための練習には、ちっともなっていません(笑)。
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スマホでできることは

今日もかなりの時間を実家で過ごし、朝の練習録音をチェックしました。「この時期にしかできないこと」ではありませんが「この時期に一番しなくちゃいけないこと」は、やはり自分の練習です。今朝の録音を二度聴きかえしてそう思いました。やはり、これだけ「待機」の時間が長くなると、どうしても練習時間の確保が難しくなりますね。
そこで単純に考えたのが「スマホでできることは、家に持ち帰らない」(家のパソコンを使わない)ということです。そうなると「文字入力に慣れる」という課題が現実的な意味合いを帯びてきます。さしあたっては、今日のような日の日記は、必ずスマホから送ることにしましょう。
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この時期にしかできないこと

今月の仕事が激減していることは、先日の日記に記しました。
昨日は、長い間放置してあったメールマガジン「中高年のためのギター教室」の原稿をチェックして必要なところを修正し、配信再開を決めました。
ここのところ「仕事の少ないこの時期にしかできないこと」が他にないかな……とあれやこれやと考えています。
でも、実際のところは、高齢の母の関係で待機に使う時間が増えているので、「朝の練習録音を確実にチェックする」と「スマホtの文字入力に慣れる」くらいしかできっこないですね。……あ、このふたつは、新型コロナウイルスの感染が拡大する前から取り組んでいることでした。
 
▼メールマガジン「中高年のためのギター教室」
http://www.mag2.com/m/0000128595.htm
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本当のレパートリーを

今日も実家近くに車をとめ、母の緊急事態に備えて3時間ほど待機しました。「老い先短いのに、そばに居てあげたいのに」と思いますが、母はもう私を息子と認識できず、それが大きなストレス(混乱)を生むようなので、やむなくそうしているわけです。
それはさておき、今朝の練習で録音した自分の演奏は11曲……車中で全部聴きました。
コンサートをたて続けに延期しているために同じ曲にかける期間が長くなったのと、レッスンか減った分だけ練習時間が増えたのとで、演奏の仕上がりはいくらか良くなっているように思います。でもこの状態が長びけばレパートリーは緩やかに減少します。
……いや、そうではありません。「かろうじて弾ける曲」どころか「手がけたことのある曲」をずうずうしく「レパートリー」と呼ぶからそうなるのであって、本当の意味の「レパートリー」は、もともとわずかな数しか持ち合わせていないように思います。
今、私がやっているのは、「何度かうまく弾けたことのある曲」を、1曲づつ丁寧にさらいなおして、手のうちに入れて行くことです。そのためには「やっと弾ける曲」を惜しげなく手放して行くことも必要です。
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私は幸せ者です

緊急事態宣言が5月末まで延長され、私の外の仕事(出張演奏、出張指導)はとうとうゼロに、中の仕事(自宅レッスン)も半分以下になりました。音楽で食べているとは言えない状況です。仕方がないこととはいえ、やり場のない思いの矛先を、ついつい、一円も収入を減らさずに悠々と過ごしてみえる政治家の先生方や「専門家」と呼ばれる先生方がこれを決められたことに向けてしまいます。
が、「食べていけるだけ、ましでしょう」という声もどこかから聞えてきます。たしかにそうです。必要なだけの生活費を稼ぐこともせず(わずかなたくわえを切り崩しながら)、「今できることをしよう」と言って好きな音楽の勉強を続けている私は、まちがいなく幸せ者です。
もちろん、いつまでもこんな生活が続けられるわけがありません。一日も早くこの閉塞状況が、「終息」ならずとも「収束」となるよう切に願います。そのために自分ができることは、やはり家で音楽の勉強を続けることかなと思います。

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量より質か

昨日に続いて、午前中は実家近くで待機です。
車の中で聴く時間がたくさんあるので、朝の練習ではついつい「ミスなくたくさん録ること」ばかりに精を出してしまいます。これが続くと表現の幅が狭くなるので注意が必要です。
話は録音機を使った練習に限りません。私の音楽活動は、全般を通じて「質より量」というスタンスで動いてしまっているのかも……という反省があります。
今日は「練習記録表」の曲目を、来月(?)のコンサートに向けて、差しかえる日です。「本当にこれだけの曲をいい状態で維持できるのか」という点を、シビアに考えなくちゃと思います。
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同じ録音を二度聴く

実家近くに車を止めて待機する時間が増えてきました。御年91歳になって、認知症も情緒障害も進んだ母に起こり得る事故やトラブルに備えての待機です。
この時間が増えたということは、いよいよ危なくなってきたということなんですが、今日のところは、朝の練習で録音した自分の演奏を聴いて、午前中の長い時間を過ごしました。
夕方、いつものように三郷山を歩きながら、同じ演奏をまた聴きました。
同じ演奏を場所と時間を変えて再度聴くと、一度目にはわからなかった自分の演奏上の課題がはっきりと見えてきますね。その多くは、テンポやリズムの乱れであったり、出ていない音があったりで、そうとは知らずに何十年も弾いてきたことが恥ずかしいような初歩的なミスなんですが。
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