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まだまだできることがある

昨日の午後、伊勢市クラシックギターを楽しむ会の第56回例会「ふえの音、ギターのひびき」を開催しました。
半年ぶりの賛助出演、井村律子さん(リコーダー)との重奏は今回も好評でした。
私のソロはといえば、もちろん一生懸命準備をして本番にのぞみましたが、それでも、できたことできなかったことの両方があります。
ただ、当初、考えてもいなかったことがいくつか重なって、結果的に、私の演奏活動の「節目」あるいは「転機」とも言えるべき大事な会となりました。
以下に列挙します。

1)マツムラ・ギターに「プロアルテ」のライト弦を張ったこと
2)本番10日前に、左手親指(の付け根)を痛めたこと
3)それを機に「これから毎日、録音機を使います」と宣言したこと
4)新作「カルリの子守唄」が完成したこと
5)井村さんと「セレナーデ」全3楽章(キュフナー)を演奏したこと

……ていねいに説明するのは、長くなるので見合わせます。あしからず、ご了承ください。「要するに、トシをとったんだね」と言われそうですが、まったくその通りであります。ただ、「できないことは確かに増えてきた。でも、できることがまだまだたくさんあるはず」という気持ちではいます。今後もがんばります。

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録音器使用宣言

忘れていました。「楽器を使わない練習」のうち、「イメージトレーニング」よりもはるかに簡単で、しかも、絶対必要な方法がありました。練習時の録音を再生することです。
今回、指に過度な負担をかけたのが、先週の水曜日と、もしかすると、その前の数日間ということになりますが、たしかに、このあたりでは、録音器を使った練習を、忙しさにかまけて、全くやっていません。
「少なくとも、聴いている間は、指を休めているはず」……こんな単純で大事なことを、どうして忘れていたのでしょう。
今日はじめて、新曲「カルリの子守唄」を録音して聴いてみました。
技術的にやさしい曲ですが、それでも、演奏上の課題は明らかになりますね。
決めました……今後、録音器を毎日、少なくとも一度は使うことにします。「イメージトレーニング」よりも、録音器の使用を習慣化することの方が先ですね。そうすることで練習効率を高め、自分の指を守ることになるわけですから、ある意味、毎日続けているどの練習よりも必要なんじゃないかと思えてきました。
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楽器を使わない練習を

昨日の大阪行きの電車内では、「音楽家の身体メンテナンスBOOK」(春秋社)というのを読みました。
ツイッターですでに報告済みですが、先週木曜日、朝起きると左手親指の付け根に少し痛みがあり、「もしかすると、また腱鞘炎か」と不安になりました。
5年前でしょうか、1年間近く苦しんだあの苦い経験は繰り返すわけにはいきません。
幸い、昨日(土曜)の朝の段階で、痛みはずいぶんとやわらぎましたが、念のため、金曜日に変更を決めた次回コンサート(来週)の曲目は戻さずにいく予定です。
話を戻します。この本の中にあった「メンタルな練習……楽器なしでいかに練習を続けるか」という部分が、私の課題のひとつであることは言えそうです。
よく言われる「イメージトレーニング」という用語と、この本の「メンタルな練習」という用語のどこがどう違うのか、あるいは同一のものなのか、不勉強な私にはわかりかねますが、ともかく、「楽器を使わない練習方法」を身につけ、少しずつでも取り入れていかないと、これから先、何度も指をこわすことになりかねません。
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今年も末席

大阪に向かう近鉄特急の車内で打っています。
午後、日本ギタリスト会議の「ギター音楽大賞」の審査員席、末席を汚してきます。
二次予選のみです。せっかく係をいただいているので、もっとがんばらなくちゃと思いますが、時間と体力がそれを許しません。……ということで、今年も文字通りの「末席」でとなります。
審査の責任は重いですが、若い元気な演奏にふれる楽しみがあります。
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カルリの子守唄

先日「今度弾きます」とツイッターで予告した新曲、「カルリの子守唄」の譜面が九割がた出来上がりました。
これから何度か、コンサートに出すのを前提に弾きこみ、「ここを変更すると、もっと良くなるなあ」というところが見つかれば、それが残りの1割です。
カルリのよく知られたアルペジオの練習曲の和音進行から出発して、メロディーを自分で作ってどんどん膨らませ、結局、和音自体をいくつもさしかえました。
ですから、「編曲」でなく「作曲」と言ってしまって問題ないでしょう。
先月でしょうか、自宅教室でNさんをお相手に、「モーツァルトの子守唄」のレッスンをやっていた最中に「カルリのあの曲を素材に、よく似た雰囲気の曲をひとつ作れそうだな」と気づいたものの、まさか、その場で五線紙に書きつけるわけにもいきません。あとは、三郷山を歩きながら主旋律を考えました。
先週から今週にかけて、メロディーと和音進行、全体の構成がまとまってきたので、「よし! 今度の例会に間に合わせるぞ」ということで、そのつもりで練習を始め、メモするように五線に音を残してきました。
A4の用紙でちょうど1頁におさまりました。技術的にはやさしく、ヘンツェの「ノクターン」程度だと思います。これなら「書いた本人しか弾けない」と言われることはないでしょう。
大手楽譜出版社の目にとまるといいんですがねえ(笑)。
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ノーマルからライトへ

CD制作にむけての収録作業は昨日で完了しました。
(ツイッターでその都度、簡単に報告してきました。お読みください)
けっこうな曲数になりました。1~2曲ボツになっても、充分足りるでしょう。
ひとつ区切りがついたので、弦を張り替えました。
古くなったから替えたわけではありません。
前々から考えていたこと……「プロアルテ」の「ノーマル」から「ライト」への移行……要するに「指に力がなくなってきたので、ゆるめの弦を張って、負担を減らそう」というわけです。
私は「一度これにしよう」と決めたら、必ず弦をまとめ買いして、不足すれば買い足し、何年も同じメーカー、同じ種類の弦を使い続けます。そういうタイプです。
若いころは、「演奏技術のある人は張力の強い楽器(あるいは弦)を使う。技術のない人は弱い楽器(弦)を使う」と盲信していたフシがありまして、それからなかなか抜け出せないできました。つまりは、「歳をとったことを認めたくなかった」というわけです。でも、ここ2~3年の間に、愛器(マツムラギター 1976年)以外の楽器を使う機会が増え、その楽器(弦)に応じた弾き方をもとめて練習を進め、コンサートにのぞむことが多くなりました。
楽器を替えるのと同様に、弦を替えれば弾き方も変わります。楽器も弦も単純に「こうだ」ときめつけるべきではありません。
それがわかり、「ゆるい弦(楽器)にはゆるい弦(楽器)の面白さがあるな」「だったら、いつまでも無理をしている場合じゃないな」と思えてきた次第です。
若いころ、「これが私の十八番です」という顔して弾いていた、アルベニスの「アストリアス」を弾いてみました。実はこの曲、最近のコンサートで「今だと、しんどいな」と思い、プログラムからはずした曲です。ライトテンションでもけっしてやさしくはありません。でも今度は何とかなりそうな気がします。近いうちに再挑戦することにしましょう。
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ありがたく自主継続

久々に、南伊勢町町民文化会館へ行ってきました。
実は、「今年は生涯学習講座はお呼びでないか……」とほとんどあきらめていました(日記へもそう書きました)が、先日来動きが少しあったのです。
この町の生涯学習講座は、「同一講座は2年までで、それ以降は『OBサークル』として自分たち(5人以上)が講師を呼んで自主的に継続する場合は、会場費等、経費の一部を補助する」というかたちをとっていますが、昨年度の講座(2年目)が終了した段階ではその話はまとまっていませんでした。で、今年の講座が始まるこの時期になって、ギターの講座がなくなったことが判明し、「やはり自主的に進めるしかないか」と思って昨年度受講生の方々が連絡をとりあい、ありがたく継続の運びとなった次第です。
参加者は5人で、町が定める定足数ギリギリです。
そのため、一人ひとりの参加費は、昨年までと比べると何倍も高くつきます。
その意味では、私の方にもこれまで以上の緊張感が必要です。1回1回の講座の内容や進め方を大事にしないと、「私、やめます」という方が現われ、サークル自体が崩壊してしまいます。
「今年は講座がないから、その時間を使って楽譜付きのCDを作ろう」と決めたのはいいけれど、収録作業は進んでいます。今朝も1曲入れました。次回サークル活動日までの宿題(編曲作業)ももらってきました。なかなか大変ですが、どちらもがんばりたいと思います。
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夏の日の思い出

梅雨が近づいています。
今朝は、アイルランド民謡の「私の愛した街」というのを収録しました。
「私の愛した街」は、難しい政治的背景があってできた曲ですが、それを微塵にも感じさせない素朴なメロディーと澄んだ響きを持っています。たぶん、この曲をクラシックギターのソロで弾かれている方はいないでしょうね。
先月のレッスンで、ある年上の生徒さんが「あの曲をやってみたいな」とおっしゃったのがこの曲です。「きれいな曲だし、ギターに合うかもしれないな」と思ってアレンジしてみました。比較的やさしく、また響きも悪くなく書けました。もしかすると、今回の一連の編曲作業の中で一番うまくいったのがこの曲かもしれません。
実は、この曲に歌詞をつけて日本に広められたのが、横井久美子さんというシンガーソングライターですが、若い頃ふとしたご縁で、半日ごいっしょしたことがあります。
今から30年以上も前、私は、三島由紀夫の「潮騒」で知られた伊勢湾に浮かぶ離島、神島(鳥羽市)の中学校で数学の教師をやっていました。2年目に担任させていただいたクラスは男女6名ずつの「24の瞳」ですが、保護者の中に、横井さんの友人の友人にあたる方がみえたわけで、それを聞いただけでも驚きましたが、「離島の好きな横井さんがこの島にもみえるので、案内してほしい」ということになりました。島のことなら当然、この方(保護者の方)のほうがずっと詳しいのですが、おそらく私が音楽をやっているということで、そういう場を作ってくださったのでしょうね。
ともかく、約束の日、夏の暑い日でしたが、私と横井さん、それに横井さんの友人の方と3人で、周囲4キロ(ほとんど坂道)のこの島を、2度も道に迷いながら(私が案内を間違えながら…笑)、汗びっしょりになって一周しました。夜は夜で横井さんが泊まってみえる宿に、ギターをもって遊びに行きました。大変懐かしい思い出です。
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