敦煌( Dun Huang )(ドゥンホアン)(とんこう)は、甘粛(かんしゅく)省の西端に位置する。
西へ行くと新疆(しんきょう)ウイグル自治区だ。
日本でも、井上靖さんの小説『敦煌』(新潮文庫)(映画化もされている)でお馴染(なじ)みの土地かもしれない。
バック・パッカーのたまり場である飛天賓館には多くの旅人がいた(【飛天】とは天女の意味らしい)。
チベットから近いせいか、チベット帰りの旅行者やこれからチベットに向かうという旅行者が多かった。彼らの語るチベット談話に耳を傾けていたのを覚えている(後年チベットに行ったが噂に違(たが)わず素晴らしい土地だ(参考記事はこちら))。
旅人の一人が語った言葉を旅日記に書き留めてある。
「自分にしか分からないものを求めるのが旅」
自分にしか分からないもの、それはきっとそこにしかないものなのだろう。
しかもその時・そのタイミングでないと得られないものなのかもしれない。
到着初日の夕方、鳴沙山(ミンシャーシャン)(めいさざん)に行った。
生まれて初めて見る砂漠は、とても美しかった。
砂丘に登り辺りを見渡したところ、砂丘はどこまでも続いていた。
この砂丘の上で日没を待ち、美しい夕陽が消えていくのを眺めた。
(写真は、三日月型のオアシス月牙泉(ユエヤーチュエン)(げつがせん))
翌日、中国三大石窟の一つとして有名な莫高窟(モーガオクー)(ばっこうくつ)(世界遺産)を見に行った。
※中国三大石窟 ― 莫高窟、龍門石窟(河南省洛陽市)、雲崗(うんこう)石窟(山西省大同市)
莫高窟は、敦煌が五胡十六国時代の前秦の支配下にあった366年(355年とも)に仏教僧楽僔(らくそん)が彫り始めたのが最初と言われ、その後1000年もの間、この近辺の600余りの洞窟に彫り続けられた仏像の数は2400を越えるという。
当時莫高窟内で見学出来たのは15の石窟だったが、半分位しか見学しなかった。
日本人ツアー客に混じってガイドの説明を聞いたりもしたが、ただ漠然と見ていても情報が無いので正直良く分からなかったのだ(ガイドブックは購入しなかった)。
見学するのに追加料金を払わされる特別窟もあったりしたが、結局見学しなかった。
当時の自分はまだその価値を判断するには未熟すぎたのだと思う(今も変わらないかもしれないが)。
宿に戻り、次の場所に向かうことにした。
敦煌滞在時一緒に行動していた旅人がバスターミナルまで見送りに来てくれた。
別れ際、その方から一冊の本を手渡された。それは『アジア横断(旅行人ノート)』(旅行人刊)だった。
ガイドブックと言えば『地球の歩き方』(ダイヤモンド社)しか知らず、そのコピーを持ち歩いていた自分にとって、それは渡りに船とも言うべき一冊だった。
しかし何故自分にくれるのか。
その方は中国に留学していた方で、留学を終えた後ユーラシア大陸を横断してから帰国する予定だったらしいのだが、親御さんが病気になった為、やむなく帰国されるとのことだった。
その一冊を熱い想いと共に託されたような気がした。
バスターミナルから柳園駅までは2時間かかった。
ここから西へ向かう次の列車は庫尓勒(コルラ)行きらしい。
出発まで時間があったので駅に荷物を預けて夕陽を見に行くことにした。
夕陽を見るポイントを探している間に、工事をしている人々に出くわした。
彼らは道路脇で自分の位置より高いところで作業していた。
土嚢(どのう)を担(かつ)ぐ労働者の背後に沈みゆく夕陽が重なり、働く人の姿がシルエットとなって浮かび上がった。
カメラを持って行くのを忘れたことを後悔したが、今でも心に焼き付いている光景だ。
人の働く姿に深く感動し、同時に旅に満足した実感があった。
旅を始めてもうすぐ2ヶ月になる。旅は2ヶ月がちょうどいいのかもしれない。
好奇心が旅の大きな原動力だと思うのだが、これは言い換えれば飽くことのない心のことだと思う。
旅は満足したら終わりなのだ。
この後、何を見ても今までと同じように感動することが難しくなっている。好奇心が磨耗してしまったとも言えるし、陸路だと変化が分かりづらいからとも言える。或いは、旅という【非日常】が【日常】になってしまったからかもしれない。
しかし、一冊の本を託してくれた旅人の想いも背負っているのだ。
そう自分を奮い立たせて先に進んだ。
※地図はこちら
西へ行くと新疆(しんきょう)ウイグル自治区だ。
日本でも、井上靖さんの小説『敦煌』(新潮文庫)(映画化もされている)でお馴染(なじ)みの土地かもしれない。
バック・パッカーのたまり場である飛天賓館には多くの旅人がいた(【飛天】とは天女の意味らしい)。
チベットから近いせいか、チベット帰りの旅行者やこれからチベットに向かうという旅行者が多かった。彼らの語るチベット談話に耳を傾けていたのを覚えている(後年チベットに行ったが噂に違(たが)わず素晴らしい土地だ(参考記事はこちら))。
旅人の一人が語った言葉を旅日記に書き留めてある。
「自分にしか分からないものを求めるのが旅」
自分にしか分からないもの、それはきっとそこにしかないものなのだろう。
しかもその時・そのタイミングでないと得られないものなのかもしれない。
到着初日の夕方、鳴沙山(ミンシャーシャン)(めいさざん)に行った。
生まれて初めて見る砂漠は、とても美しかった。
砂丘に登り辺りを見渡したところ、砂丘はどこまでも続いていた。
この砂丘の上で日没を待ち、美しい夕陽が消えていくのを眺めた。
(写真は、三日月型のオアシス月牙泉(ユエヤーチュエン)(げつがせん))
翌日、中国三大石窟の一つとして有名な莫高窟(モーガオクー)(ばっこうくつ)(世界遺産)を見に行った。
※中国三大石窟 ― 莫高窟、龍門石窟(河南省洛陽市)、雲崗(うんこう)石窟(山西省大同市)
莫高窟は、敦煌が五胡十六国時代の前秦の支配下にあった366年(355年とも)に仏教僧楽僔(らくそん)が彫り始めたのが最初と言われ、その後1000年もの間、この近辺の600余りの洞窟に彫り続けられた仏像の数は2400を越えるという。
当時莫高窟内で見学出来たのは15の石窟だったが、半分位しか見学しなかった。
日本人ツアー客に混じってガイドの説明を聞いたりもしたが、ただ漠然と見ていても情報が無いので正直良く分からなかったのだ(ガイドブックは購入しなかった)。
見学するのに追加料金を払わされる特別窟もあったりしたが、結局見学しなかった。
当時の自分はまだその価値を判断するには未熟すぎたのだと思う(今も変わらないかもしれないが)。
宿に戻り、次の場所に向かうことにした。
敦煌滞在時一緒に行動していた旅人がバスターミナルまで見送りに来てくれた。
別れ際、その方から一冊の本を手渡された。それは『アジア横断(旅行人ノート)』(旅行人刊)だった。
ガイドブックと言えば『地球の歩き方』(ダイヤモンド社)しか知らず、そのコピーを持ち歩いていた自分にとって、それは渡りに船とも言うべき一冊だった。
しかし何故自分にくれるのか。
その方は中国に留学していた方で、留学を終えた後ユーラシア大陸を横断してから帰国する予定だったらしいのだが、親御さんが病気になった為、やむなく帰国されるとのことだった。
その一冊を熱い想いと共に託されたような気がした。
バスターミナルから柳園駅までは2時間かかった。
ここから西へ向かう次の列車は庫尓勒(コルラ)行きらしい。
出発まで時間があったので駅に荷物を預けて夕陽を見に行くことにした。
夕陽を見るポイントを探している間に、工事をしている人々に出くわした。
彼らは道路脇で自分の位置より高いところで作業していた。
土嚢(どのう)を担(かつ)ぐ労働者の背後に沈みゆく夕陽が重なり、働く人の姿がシルエットとなって浮かび上がった。
カメラを持って行くのを忘れたことを後悔したが、今でも心に焼き付いている光景だ。
人の働く姿に深く感動し、同時に旅に満足した実感があった。
旅を始めてもうすぐ2ヶ月になる。旅は2ヶ月がちょうどいいのかもしれない。
好奇心が旅の大きな原動力だと思うのだが、これは言い換えれば飽くことのない心のことだと思う。
旅は満足したら終わりなのだ。
この後、何を見ても今までと同じように感動することが難しくなっている。好奇心が磨耗してしまったとも言えるし、陸路だと変化が分かりづらいからとも言える。或いは、旅という【非日常】が【日常】になってしまったからかもしれない。
しかし、一冊の本を託してくれた旅人の想いも背負っているのだ。
そう自分を奮い立たせて先に進んだ。
※地図はこちら