Tehran (テヘラン)で観光したのは下記の通り。
・イラン考古学博物館 イラン最大の博物館。古くは紀元前6000年頃からの歴史的美術品を展示。
・アーブギーネ博物館(ガラス&陶器博物館) ペルシャ文化の芸術性の高さを実感出来た。ここでイラン人画家 Abbas Katouzian (1923年~2008年)の絵画集を販売していたが、値段($17)と重量(荷物が重くなる)を考えて購入を諦めてしまった。結果的に一期一会となってしまったので、購入しておけばよかったと後悔した。
※ Abbas Katouzian のHPはこちら
・宝石博物館 当時の見学可能な時間帯は日曜と火曜の14時~16時のみ。警備が厳重な為、落ち着いて見れなかった。映画『ルパン三世 カリオストロの城』(宮崎駿監督)のテーマ曲だった『炎のたからもの』を(心の中で)口ずさみながら見学したのを覚えている。
※『炎のたからもの』のおまけ記事はこちら
・サブシバザール(日本食バザール) 観光というより日本食を購入する為に訪問。レトルトのカレーや、携帯用の醤油ボトルを購入した。その晩旅人達とカレーパーティーを開き、久しぶりの日本食に涙した。
他にも用事をいろいろ済ませている。首都テヘランは大都会だった。
ビザは結局ジョージア(旧グルジア)ビザ(一ヶ月有効、約$40)を取得した。ジョージアビザを持っていると、イラン・アルメニア国境でアルメニアのトランジットビザ(三日間有効)を取得出来るらしいのだ。
ルート的には、イラン→アルメニア→ジョージア→トルコの順になる。
このジョージアビザを持ってイランビザの再延長の申請を行っている。アルメニアの Yerevan (イェレヴァン)(エレヴァン)行きのバスが週に一便(金曜発)しかないというのが延長理由だった。
当時2度の延長を出来るケースは稀だったと思う。計3週間イランに滞在できたのはラッキーだった。
宿( Hotel Mashad )の横柄な従業員達の中でただ一人だけ好青年がいたのだが、その彼がペルシャ語(ファルシ語)でビザ再延長依頼の通訳文を書いていてくれたおかげかもしれない。
また、日本の新聞を読む為日本大使館を訪問している。宗教的な理由から、女性の写真(スポーツ欄や広告など)の首から下は黒く塗りつぶされていた。首から下の肌の露出が禁止されているからだろう。
ここにはイラン人男性に嫁いだ日本人女性からの家庭招待の手紙が多数掲示板に貼られていた。
一度嫁いでしまうとなかなか祖国に帰れないらしいので、日本語の会話がしたいのだろう。旅人の中には、実際家に泊めてもらった人もいたようだ。
他には靴や皮のコートを購入したりしている。北京で購入した靴は一週間しないうちにボロボロになったが、ヨーロッパを旅する身なりを整えるのにイラン製品は役立ってくれたし、長持ちしたと思う。
ここでイラン映画も観ている。イランは文化・芸術的にレベルが高い国だと思う。
ちなみにここで観た映画は『 The Color of God (邦題『太陽は、ぼくの瞳』)』( Majid Majidi (マジッド・マジディ)監督)。盲目の少年の話。
言葉は分からなくてもいい映画だというのは分かった。
観光するなら地方の名所・旧跡の方が面白いのかもしれないが、都市部には他の楽しみ方もあるということを実感した街だった。
※地図はこちら
・イラン考古学博物館 イラン最大の博物館。古くは紀元前6000年頃からの歴史的美術品を展示。
・アーブギーネ博物館(ガラス&陶器博物館) ペルシャ文化の芸術性の高さを実感出来た。ここでイラン人画家 Abbas Katouzian (1923年~2008年)の絵画集を販売していたが、値段($17)と重量(荷物が重くなる)を考えて購入を諦めてしまった。結果的に一期一会となってしまったので、購入しておけばよかったと後悔した。
※ Abbas Katouzian のHPはこちら
・宝石博物館 当時の見学可能な時間帯は日曜と火曜の14時~16時のみ。警備が厳重な為、落ち着いて見れなかった。映画『ルパン三世 カリオストロの城』(宮崎駿監督)のテーマ曲だった『炎のたからもの』を(心の中で)口ずさみながら見学したのを覚えている。
※『炎のたからもの』のおまけ記事はこちら
・サブシバザール(日本食バザール) 観光というより日本食を購入する為に訪問。レトルトのカレーや、携帯用の醤油ボトルを購入した。その晩旅人達とカレーパーティーを開き、久しぶりの日本食に涙した。
他にも用事をいろいろ済ませている。首都テヘランは大都会だった。
ビザは結局ジョージア(旧グルジア)ビザ(一ヶ月有効、約$40)を取得した。ジョージアビザを持っていると、イラン・アルメニア国境でアルメニアのトランジットビザ(三日間有効)を取得出来るらしいのだ。
ルート的には、イラン→アルメニア→ジョージア→トルコの順になる。
このジョージアビザを持ってイランビザの再延長の申請を行っている。アルメニアの Yerevan (イェレヴァン)(エレヴァン)行きのバスが週に一便(金曜発)しかないというのが延長理由だった。
当時2度の延長を出来るケースは稀だったと思う。計3週間イランに滞在できたのはラッキーだった。
宿( Hotel Mashad )の横柄な従業員達の中でただ一人だけ好青年がいたのだが、その彼がペルシャ語(ファルシ語)でビザ再延長依頼の通訳文を書いていてくれたおかげかもしれない。
また、日本の新聞を読む為日本大使館を訪問している。宗教的な理由から、女性の写真(スポーツ欄や広告など)の首から下は黒く塗りつぶされていた。首から下の肌の露出が禁止されているからだろう。
ここにはイラン人男性に嫁いだ日本人女性からの家庭招待の手紙が多数掲示板に貼られていた。
一度嫁いでしまうとなかなか祖国に帰れないらしいので、日本語の会話がしたいのだろう。旅人の中には、実際家に泊めてもらった人もいたようだ。
他には靴や皮のコートを購入したりしている。北京で購入した靴は一週間しないうちにボロボロになったが、ヨーロッパを旅する身なりを整えるのにイラン製品は役立ってくれたし、長持ちしたと思う。
ここでイラン映画も観ている。イランは文化・芸術的にレベルが高い国だと思う。
ちなみにここで観た映画は『 The Color of God (邦題『太陽は、ぼくの瞳』)』( Majid Majidi (マジッド・マジディ)監督)。盲目の少年の話。
言葉は分からなくてもいい映画だというのは分かった。
観光するなら地方の名所・旧跡の方が面白いのかもしれないが、都市部には他の楽しみ方もあるということを実感した街だった。
※地図はこちら