庫尓勒(コルラ)から阿克蘇( A Ke Su )(アーカースー)(アクス)までは列車で所要10時間半。南疆(なんきょう)鉄道の当時の終着駅だった(現在の終着駅は喀什(カシュガル))。
途中庫車(クチャ)の街を通ったが、先を急いでいたので下車しなかった。
クチャは、その昔亀茲(きじ)国が栄えた場所だ。
亀茲国は前漢時代(紀元前206年~8年)に現れ、10世紀頃まで繁栄したらしい。
仏教が盛んだった国らしく、数多くの仏教遺跡が存在する。
また、般若心経の訳者(漢訳)とも言われる鳩摩羅什(くまらじゅう)(クマラジーバ)(350年(344年)~409年(413年)は、亀茲国の王族だったらしい。
鳩摩羅什は玄奘(三蔵法師)(602年~664年)と共に二大訳聖と呼ばれている。
※鳩摩羅什以前の訳経を【古訳】、鳩摩羅什から玄奘以前の訳経を【旧訳(くやく)】、玄奘の訳経を【新訳】と呼ぶ。
と、クチャの街について調べて書いてみたが、当時は仏教遺跡がある位しか知らなかった。
ちなみに自分は四国遍路をしたことがある。
その当時、唱えていた般若心経が弘法大師空海によって中国(唐)からもたらされたのは知っていたが、鳩摩羅什のことは知らなかった(鳩摩羅什について知ったのはおよそ2年前)。
今はクチャに行っておけばよかったと思うし、機会があれば行ってみたいと思う。
アクスはウイグル語で【白い水】という意味のオアシス都市だ。
後漢時代(25年~220年)には姑墨(こぼく)国が栄えたが、その後亀茲国の支配下に置かれた。
新疆(しんきょう)ウイグル自治区のアクス地区全体ではウイグル族が7割を超えるが、アクス地区の首府アクス市は逆に漢族の方が多いらしい。ビジネスになるのだろう。
この街に見どころは特に無い。
列車の移動が2泊続いていたので、宿でゆっくり休みたかった。
早めに就寝して、翌日の移動に備えることにした。
翌朝8時に宿を出たが、まだ夜が明けておらず星が出ていた。中国全土に強引に北京時間を採用するのには無理があると感じた。
仕方なく朝を待ち、早朝10時発のバスでカシュガルへと向かった。
※地図はこちら
途中庫車(クチャ)の街を通ったが、先を急いでいたので下車しなかった。
クチャは、その昔亀茲(きじ)国が栄えた場所だ。
亀茲国は前漢時代(紀元前206年~8年)に現れ、10世紀頃まで繁栄したらしい。
仏教が盛んだった国らしく、数多くの仏教遺跡が存在する。
また、般若心経の訳者(漢訳)とも言われる鳩摩羅什(くまらじゅう)(クマラジーバ)(350年(344年)~409年(413年)は、亀茲国の王族だったらしい。
鳩摩羅什は玄奘(三蔵法師)(602年~664年)と共に二大訳聖と呼ばれている。
※鳩摩羅什以前の訳経を【古訳】、鳩摩羅什から玄奘以前の訳経を【旧訳(くやく)】、玄奘の訳経を【新訳】と呼ぶ。
と、クチャの街について調べて書いてみたが、当時は仏教遺跡がある位しか知らなかった。
ちなみに自分は四国遍路をしたことがある。
その当時、唱えていた般若心経が弘法大師空海によって中国(唐)からもたらされたのは知っていたが、鳩摩羅什のことは知らなかった(鳩摩羅什について知ったのはおよそ2年前)。
今はクチャに行っておけばよかったと思うし、機会があれば行ってみたいと思う。
アクスはウイグル語で【白い水】という意味のオアシス都市だ。
後漢時代(25年~220年)には姑墨(こぼく)国が栄えたが、その後亀茲国の支配下に置かれた。
新疆(しんきょう)ウイグル自治区のアクス地区全体ではウイグル族が7割を超えるが、アクス地区の首府アクス市は逆に漢族の方が多いらしい。ビジネスになるのだろう。
この街に見どころは特に無い。
列車の移動が2泊続いていたので、宿でゆっくり休みたかった。
早めに就寝して、翌日の移動に備えることにした。
翌朝8時に宿を出たが、まだ夜が明けておらず星が出ていた。中国全土に強引に北京時間を採用するのには無理があると感じた。
仕方なく朝を待ち、早朝10時発のバスでカシュガルへと向かった。
※地図はこちら