窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

羊で元気をチャージ-味香苑2号店(三宮)

2018年11月29日 | 食べ歩きデータベース


  このブログでも度々登場するように羊肉は大好きです。食べ応えがありながらあまり胃にもたれませんし、羊を食べると元気が出る気がします。ただ最近、あの独特の獣臭さがあるマトンに出会えていないのは残念…。

  神戸・三宮と言えば、いつもは定番の「カルネ」なのですが、今回は用があって「味香苑」という羊肉串が人気のお店に行ってきました。地元では結構人気店らしいです。冒頭の写真はラムのスペアリブ。串焼きは1本から頼めます。わざわざ串にしなくてもいいのでは、と思うほど大ぶりのスペアリブが刺さっていました。のっけからビールが加速します。



  宮爆鶏丁(宮保鶏丁)。普通は鶏の唐辛子炒めでよく頼むメニューなのですが、マイルドで酢豚のような感じでした。ひょっとして、注文と違うものが来たのでしょうか?



  ジンギスカン串。唐辛子とクミンをまぶした羊肉串。スパイシーさは付属の唐辛子とクミンで調節できます。これはどんどん入る…。



  相性の良い、トマトと卵の炒め物。



  ズリの山椒油あえ。こちらも比較的マイルドでした。

  話に夢中でうっかりしていたのですが、「角煮あんかけチャーハン」を頼み忘れてしまいました。これは美味しそうだなと思っていただけに残念、次回に取っておきたいと思います。
  

味香苑 2号店



兵庫県神戸市中央区北長狭通2-10-12



繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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珍しく肉で攻めた夜-黒毛和牛・腰塚

2018年11月24日 | 食べ歩きデータベース

 
  普段あまり牛肉を食べない、まれに焼肉屋に行く位で、家でも外でもステーキやハンバーグを食べることなどまずない僕ですが(神戸の「カルネ」位ですね)、たまたまステーキ店に行く機会があり、珍しい肉づくしの夜となりました。訪れたのは、自由が丘駅正面口にある、「黒毛和牛・腰塚」。日中、駅で待ち合わせしている際、何となく目に留まっていたのはその予兆であったかもしれません。



  「腰塚」は肉の仲卸だそうですが、ブランド名は「洋麺屋 五右衛門」などで有名な日本レストランシステムが展開しているもの。初めに上質なローストビーフと自家製コンビーフから入りました。ローストビーフはわさびで。グラスワインはピエモンテのバローロでしたが、程よい果実味にしっかりとしたタンニンがあり、牛肉に合わせやすいワインでした。



  ワインに合わせながら、続いてローストビーフサラダで葉っぱの補給。サラダにはシーザードレッシングが付いてきます。確かに、肉は非常に美味しいです。

  メインはせっかく来たので、ミスジとサーロインのステーキにタルタルハンバーグと三種類楽しめる組み合わせを(冒頭の写真)。ステーキにはおろし和風ソースがついてきますが、別に塩を頼んでシンプルに塩、または塩・わさびで食べるのが一番美味しかったです。タルタルハンバーグはその名の通り、中にレアな挽肉がぎっしり詰まっている食べ応えのある一品。焼き加減が気になる方は、付属のボッチで調整できます。余計なものが入っていないので、まさに肉づくし感を堪能できます。

腰塚 自由が丘正面口店

東京都目黒区自由が丘1-29-7 薮伊豆ビル 2F



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横浜商科大学でお話しさせていただきました②

2018年11月22日 | リサイクル(しごと)の話


  11月21日、昨年に続き、横浜商科大学・梶文彦先生の授業「中小企業の海外進出」において、僕ほか社員3名でお話しさせていただきました。



  授業のテーマが「海外進出」ということで、フィリピン・スービックにある弊社工場の話が中心とはなりましたが、今年は7月に会社紹介の動画を作成したことで、まずそれを学生の皆さんにご覧いただくことにより、口頭での説明ではなかなか理解しにくいナカノ株式会社の仕事の全体像と実際に仕事をしている若手社員の姿を把握していただきました。



  その上で、僕から改めてスービック工場の設立経緯、戦略上の位置づけ、海外進出のメリット・デメリット、生活インフラなどについて説明させていただきました。今年は映像の助けが随分役立ったと思います。



  ナカノ株式会社では、現在6名の横浜商科大学出身者が在籍しており、営業部、リサイクル部などそれぞれの分野で活躍しています。ということで、横浜商科大学は我々にとっても身近な存在ですし、学生さんにとっても卒業生からの生の声の方が親近感があるだろうということで、後半は卒業生二名から就職の動機、これまでのキャリア、実際の仕事ぶりなどについて話してもらいました。


 
  工場勤務だ、営業だといっても、学生の皆さんにはその本質的な楽しさや遣り甲斐というのは見えなくて当然だと思います。たとえインターンシップの経験があったとしても容易に分かるものではありません。また悲喜交々あるのが世の中という中で同じ大学から社会人のスタートを切った卒業生が人生をどのように捉えて今日にたどり着いているのか?我々も綺麗ごとではなく本音でお話しさせていただきました。学生さんから「OBの方がどのように仕事をして活躍しているのかが生の声で聞くことができてとても良かった」との声がいただけたことは、我々としても励みになります。



  最後は、これから就職活動をされる学生さんにとっても気になるであろう採用の話をさせていただきました。こちらも弊社の現状について本音でお話しさせていただきました。担当者も随分熱が入っていたように思います。



  今年も貴重な機会をくださった梶文彦先生には心より感謝申し上げます。学生の皆さんの少しでもお役に立てたのでしたら、大変うれしく思います。ありがとうございました。

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第40回燮(やわらぎ)会に参加しました

2018年11月18日 | 交渉アナリスト関係


  2018年11月17日、日本交渉協会の第40回燮会に参加してきました。燮会は交渉アナリスト1級会員のための交渉勉強会です。今回はいつもより時間は短かったのですが、通常通り二部構成で行われました。



  第一部は、僕が担当させていただいている「交渉理論研究」の第4回。今回は、第38回燮会から始まった「交渉者のディレンマ」三回シリーズの二回目。初めに「交渉者のディレンマ」を回避する糸口として、有名なロバート・アクセルロッドによる「囚人のディレンマゲーム」の実験を採り上げ、その結果最適戦略とされた「しっぺ返し(Tit for Tat)戦略」の可能性と限界について述べさせていただきました。

  その上で、次にディレンマを回避する協力行動を引き出すための戦術を下記の通り六つ採り上げました。

1.条件や立場ではなく関心に注目する
2.協創プロセスの議論から始め、かつプロセスを細分化する
3.「協力」という規範を強調する
4.信頼構築のための簡単な課題から「暫定合意」する
5.繰り返し交渉に持ち込む
6.社会化

  因みに、ゲーム理論では「囚人のディレンマ」の解決法として、①罰則と報酬、②競争における差別化、③繰り返しゲーム、④評判を利用する、⑤プレイヤーの統合、⑥ゲームの回避または退出を挙げていますが、①、③、④などは共通しています。

  また、神経経済学者のポール・J・ザックは、オキシトシンという女性ホルモンが共感や思いやりといった協力活動につながる行動に影響を与えるという観点から、「道徳的な市場が最大の利益を上げる」ための条件として、以下の四つを挙げています。

1.つながり(単純接触効果)
2.信頼(競争と協力のバランス)
3.長期的視野
4.万人の利益を考える

  これらを見ると、やはり上記の協力行動を引き出すための戦術とほぼ同じであることが分かります。

  しかし、現実の世界が難しいのは、相手が心から「協力」しているかどうかなかなか分からないという点にあります。前述のアクセルロッドの実験で最適戦略とされた「しっぺ返し」も、指摘されている欠点の一つは、現実世界では相手が裏切ったかどうかが分からないので、「しっぺ返し」が有効とは言えないのではないかという点にあります。そこで第2回の締めくくりとして、そのような「偽りの協力行動」と考えられる幾つかのパターンと、相手がそのような行動に出る誘因を低下させる戦術についてお話させていただきました。



  続く第二部は、交渉アナリスト1級会員、富士フイルムホールディングスの森田良さんより、「調達からみた低成長時代における交渉現場の現実と今後必要となる交渉スキル」と題してお話いただきました。

  ご存知の通り、カメラ用フィルムの需要は、2000年をピークにわずか10年でほぼ消滅してしまいました。2001年に売上比率で19%あったフィルム事業は、2018年にはわずか1%。ある年齢以上の方であればご記憶かと思いますが、かつてカメラフィルムで米国市場の90%を占めていた巨人、コダック社は2012年に経営破綻、インスタントカメラの代名詞だったポラロイド社も2008年に破綻してしまいました。富士フィルムにとって、平成の30年間とはまさにそのような激変する外部環境への適応の時代だったと言えるでしょう。

  今回お話しいただいたのは、その中でも「調達」という視点で起こった環境変化ですが、森田さん曰く、調達業務に起こったこの30年の変化は次のようなものだったそうです。

1.調達環境の変化

1)日本の名目GDPの伸び悩み
かつて調達部門の機能は売上増のためのサポートであったが、経済が成長しない時代に入りコストダウンによる利益確保の重要性が増し、相対的に調達に注目が集まるようになった。

2)企業による設備投資抑制
市場在庫が減少し、サプライヤーの目から見た売り手市場となった。特に素材メーカーが市場シェアを決める時代となり、買い手だから強いとは限らなくなった。

3)グローバル化
現地調達の拡大。

2.調達人材の意識変化

1)対等な関係作り
サプライヤー選定から、パートナーへ。また、事業の多角化により、会社間の関係にも変化が(同じ企業が仕入先でもあり得意先でもある)。

2)パートナー企業の選定
適正価格の確認。

3)社会との関係を重視
コンプライアンス等の厳しい時代、明確な調達方針が求められる。

3.環境変化、意識変化の中で「交渉理論」をどう活かすか?

  上記のような環境変化、それに伴う調達人材の意識変化の中で、現在森田さんは交渉理論を応用し、こうした変化へより良く適応するための試みに取り組んでおられるそうです。具体的には、交渉研修を実施したり、事例集や交渉準備の情報を共有したりということですが、要点は「当たり前のことを確実に行う」ことだそうです。そのために、交渉プロセスを細分化し、情報を整理することが役立っているのではないかと思いました。一方課題としては、グローバル化の進展の中で、言葉よりも価値観を共有できる海外人材を育成していくことなどが挙げられていました。

  我々外部から見ますと、富士フィルムは激変する環境変化に極めて巧みに適応した、変革のお手本のような印象があります。その要因として森田さんは、トップのリーダーシップと社員による危機感の共有があったからではないかとおっしゃっていました。

魂の経営
クリエーター情報なし
東洋経済新報社




  さて、燮会終了後は、日本交渉協会副理事長、土居弘元先生の喜寿お祝い会が催されました。



  僕も交渉理論研究で大変お世話になっている先生ですが、「これからも交渉学の普及に努めていきたい」というお言葉がありました。我々もまだまだ教えを請わなければならないことが山ほどありますので、次は米寿を目指し末永くお元気でいていただきたいと思います。おめでとうございます!

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新たなスタートは、ヨコハマ発展の裏話から-第101回YMS

2018年11月15日 | YMS情報


  第100回記念パーティから早一カ月、11月14日、第101回YMS(ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)をmass×mass関内フューチャーセンターにて開催しました。



  講師は、YMSの前身である「みなとみらい次世代経営者スクール」を横浜市経済観光局(当時)と共に主催していた、横浜市立大学エクステンションセンターの当時センター長でいらっしゃった、南学先生。我々がスクールの修了証をいただいた先生です。また、YMSとしても2012年3月の第19回以来のご登壇となります。



  テーマは、「ヨコハマ横浜YOKOHAMA横濱よこはま 誕生とみらい」。2004年に岩波ジュニア文庫から出版された、南先生編著『横浜 交流と発展のまちガイド』を基に、横浜市が人口わずか300人と言われた寒村から、今日の371万都市に発展するまでの裏話についてお話しいただきました。因みに、修学旅行生を対象に出版されたというこの本ですが、子供向けとは思えない内容で、横浜開港資料館が保管している貴重な絵や写真がふんだんに盛り込まれている他、現在の横浜の写真は第50回横浜文化賞奨励賞を受賞された写真家の森日出夫氏、イラストはグラフィックデザイナーの中川憲造氏による、なかなか贅沢なものです。当時全国的に流行した地方検定ブームも手伝い、この手の本としては1万6千部のヒットとなったのだとか。

1.ペリー上陸の地

  さて、横浜出身の方は、頭の中で風景を描きながら聴いていたであろうと思うのですが、お話は大桟橋の先端から始まりました。1854年、再び日本に現れたペリーは、現在の大桟橋の付け根、横浜開港資料館がある地に上陸しました。開港資料館の敷地内には、随行画家ハイネによる『ペリー提督の横浜上陸』画に描かれている、(関東大震災で一度焼けたため、そのものではありませんが)「玉楠の木」が今でも残っています。港ヨコハマはまさにここから始まりました。 第52回YMSでもご紹介しましたが、大桟橋の背後から現在首都高速道路が通る、かつての派大岡川の辺りまでは、ペリー来航の直前から太田屋新田、横浜新田という二つの新田開発が進められた干拓地でした。しかし、その奥の吉田新田同様、元々内海(当時は沼地)だったこの地は、満潮になると海水が入ってくるため水田には向かず、住民は鯔(今でも大岡川に沢山遡上してきます)や鰻を採る半農半漁の生活をしていたようです。開港後、この地は外国人居留地(いわゆる「関内」)となりました。地図を見れば道路の形状が、かつてここが干拓地であったことを窺わせます。

2.中華街の道は何故ナナメになっているのか?

  ところで、地図を見るとおかしなことに気づきます。関内の中で、中国人居留地であった現在の中華街だけ道の向きが違うのです。何故違うのか?それは風水を大切にする中国人が風水思想に基づいて街づくりをしたからだという通説があります。確かに、中華街には中国の風水思想に基づいて東西南北を守る四つの門があります(「朝陽門」(東)、「朱雀門」(南)、「延平門」(西)、「玄武門」(北))。そして中華街の道は風水が重視する「磁北」(横浜の場合、真北から西に7度ほどずれる)を向いているようにも見えます。しかし、中華街の四門は最初に造られた延平門でさえ1994年のことであり、つい最近です。実は中華街の道がナナメを向いているのは、風水に基づくからではなく、中国人居留地となった前述の「横浜新田」の畔道がそのような方向を向いていたからだとうことが判明しています。

3.金のない横浜

  関東大震災、横浜大空襲という二度にわたる壊滅的被害を被った横浜。しかし、戦後は日本の高度経済成長と共に、日本一の貿易港として、また京浜工業地帯の一翼として今日のような日本屈指の大都市へと発展してきたというイメージが、僕の中にはありました。

  ところが現実は占領軍の4分の1にあたる10万人が横浜に駐留。米軍による市の中心部の接収は、朝鮮戦争やベトナム戦争などによって返還が遅れ、他の大都市の発展をよそに、横浜は高度成長の恩恵から完全に取り残されてしまったのだそうです。飛鳥田一雄市長が荒廃した横浜中心部の復興を目指し、「横浜六大事業」と呼ばれる都市計画をまとめたのが、ようやく1965年(昭和40年)のこと。しかし、1971年ニクソンショック、続く73年のオイルショックにより、事業が動き出した頃には日本経済は低成長時代に突入していました。

1.都心部強化(みなとみらい21)→1983年以降
2.金沢地先埋立事業→1971年以降
3.港北ニュータウン→1974年以降
4.高速道路→1970年以降
5.高速鉄道→1973年開通(横浜-上大岡間)
6.ベイブリッジ→1989年開通

  上記六大事業は、その後もバブル崩壊など紆余曲折を経ながら、現在ほぼ完遂しています。これを見て分かる通り、この六大事業が現在の横浜の骨格を形作っています。興味深かったのは、復興が遅れ金のなかった横浜市が丁々発止の交渉により、最小限の財政負担でこれらの事業を成し遂げたということです。それにまつわる裏話はまるでドラマか小説のようでした。発展に乗り遅れた横浜、しかしこの時の確固たる目的意識を持った都市づくりがあったからこそ、バブル崩壊後も横浜は人口や企業が流出することなく発展を続け、今や日本屈指の経済都市、観光都市としての地位を築くことができたのだとも言えます。

4.横浜のランドマーク


  横浜を象徴するランドマークには何世代かの変遷があると言います。第一世代は、俗に横浜三塔と呼ばれる神奈川県庁、横浜税関、横浜開港記念館です。第二世代は、かつて世界最大の灯台であったマリンタワー。第三世代は文字通りランドマークタワー。そして第四世代のランドマークが必要ではないかということで作られたのが、実は瑞穂埠頭にある風力発電の風車なのだそうです。イマイチ知名度がないですが…

  横浜は言っても150年程度の歴史しかありませんが、150年の中に全てが詰め込まれている町だとも言えます。それだけに跡地も資料も豊富で、自分の目で歴史を確認できる町でもあります。そして、僕自身反省でもありますが、当の濱っ子がそれを知らない町。その点は京都を見習わなければならないでしょう。

過去のセミナーレポートはこちら

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日本実務能力開発協会交流会(第15回)に参加しました

2018年11月11日 | 日本実務能力開発協会


  11月10日、札幌にて日本実務能力開発協会の交流会に参加させていただきました。昨年は人気アイドルグループのコンサートと日程が重なったため、ホテル・飛行機が全く予約できず、やむなく不参加となりましたが、今年は開催が1週間繰り上がったために参加することができました。実は前日まで沖縄だったのですが…。

  交流会への参加はこれで3回目ですが、いつも会場の雰囲気に独特なものを感じます。仮に初めてお会いした方であっても、開始前から不思議と会話が盛り上がっているのです。普段は自分から話しかけるのが苦手な僕も、自然と話しかけているのですから本当に不思議です。恐らく、講師の上前先生はじめ札幌の皆さんがそういう雰囲気を作り上げているからなのでしょう。これは参考になります。



  交流会は2時間の勉強会と懇親会の二部構成で行われます。今回のテーマは、「折れない『心』の作り方」。このスキルを身につければ心が折れなくなる、あるいは心が折れてはいけないということではなく、スキルを身に着けることによって誰もが遭遇するであろう「心が折れそうな時」により上手く向き合えるようになるのではないかということです。

  今回学んだそのスキルとは、以下の5つです。

1.自己効力感
2.思い込みの脱却
3.感情コントロール
4.チャレンジ精神
5.楽観視


  初めに、「折れない心チェックリスト」で、上記5つの内、どこに得手不得手があるか、自己評価による診断を行いました。

  一つ目は「自己効力感」。似た言葉に「自己肯定感」というのがありますが、後者が自分の価値や存在を肯定的に認めることであるのに対し、前者は「自分には〇〇をする能力がある」と思える能力を言います。カナダの心理学者アルバート・バンデューラが提唱しました。自己効力感は人が行動を起こす源になります。自己効力感の高め方には、次のようなものがあります。

  達成体験:当たり前かもしれませんが、自分が達成できた体験が最も自己効力感を定着させます。一度できたことなら次もできると思えるわけです。達成体験を増やすには、努力すれば手が届きそうだと思える小さな成功体験を積み重ねるのが良いそうです。

  代理経験:他者が達成した様子を観察することで「自分にもできそうだ」と感じることです。スポーツ競技などである記録が破られると、さらにそれを上回る記録が次々と生まれるのは、この代理経験によって自己効力感が高まったためでしょう。

  言語的説得:自分に能力があることを繰り返し他者から説得されたり、自ら自己暗示をかけたりすることです。前回の交流会でペップトーク(試合前のロッカールームでコーチが選手に向かって話しかける激励のスピーチのこと)の専門家とお会いしましたが、それなどは前者にあたるでしょうし、後者もテレビを観ているとよくスポーツ選手が呟いているのを見掛けます。

  生理的情緒的高揚:酒、音楽、本、セミナーなどその他の要因について気分が一時的に高揚すること。先ほどのペップトークは、こちらの要素も大きいと思われます。昔、年の離れた弟がカンフー映画を見終わるたびに僕に飛び掛かってきましたが、あれは生理的情緒的高揚だったのですね。

  逆説的かもしれませんが、心と体はひとつなので、自己効力感を高めるためにはまず行動を起こしてみることだと言えるかもしれません。

  二つ目は「思い込みの脱却」。まだ決まってもいないのに、「どうせダメだ」と思い込む思考から抜け出す能力を言います。第12回交流会のテーマがこの非合理的な思い込み(イラショナル・ビリーフ)からの脱却でしたので、詳しくはそちらのレポートをご覧ください。

  三つめは「感情のコントロール」。これが不得手と認識されている方が、結構いらっしゃいました。「心が折れそうな時」に対処するには、心が折れそうな時であるということをまず認識できなければなりませんが、前述のように心と体はひとつなので、こちらは体から心にアプローチするスキルになります。具体的な方法として、次のようなものが挙げられます。
 
  呼吸を整える:これについては、最近弟に勧められて読んだ本が経験的に感じていたことと合致して興味深かったのでご紹介します。

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  うつむかない:「目は口程に物を言う」と言います。目は解剖学的には脳の一部なのだそうで、視線を上に向けた状態で悩み続けることは難しいのだそうです。上を向いて歩くのは、涙がこぼれないからばかりではないのですね。これは普段から心掛けられそうです。

  動作を変える:個人的に、姿勢には比較的注意を払っているつもりです。2004年アテネ・パラリンピックの柔道の試合の研究により、姿勢は先天的な動作であることが確かめられています。また、姿勢と感情が結びついていることを示す論文も多数あります。

  運動をする:運動がストレス解消に良いのはよく知られていますし、経験的にもそう思います(悩んでいる時は、身体を動かす気力が湧かないというジレンマはありますが)。10年近く前に読んだ本によれば、とりわけウォーキングがストレス対策に良いようです。

  休憩をとる:悩んでいる時はそもそも休憩をとるのが難しいということもあるかもしれませんが、経験的に人生のターニングポイントとなるような思考の転換は、環境が大きく変わる時や海外のホテルで一人でいる時など、非日常的な環境の中で起こったような気がします。そういう意味では、たとえそんな気持ちになれなくても環境を変えてみるよう心掛けると良いのかもしれません。

  四つ目は「チャレンジ精神」。成功・失敗に関わらず新しいことに取り組む能力を言います。問題解決がうまくいかないのは、

①今起きている問題は何か(What)
②その問題のどこに原因があるのか(Where)
③その原因はなぜ起きているのか(Why)
④どうしたら解決するか(How)

  これら4つの要素に対する認識が曖昧であったり、どれかが抜け落ちていたりすることが多いためだそうですが、実際にロールプレイをしてみると、WhereとWhyの境界が結構不明確であることに気づきました。ハーバード大学のロバート・キーガンは、問題解決のための変革を起こすには、次の三条件が必要であると述べています。

①変革を起こすためのやる気の源
②思考と感情の両方に働きかける
③思考と行動を同時に変える

  要するに、本人が心から変わりたいと思わなければ変われない、感情も無視してはならない、そして前述のように思考だけでなく行動からもアプローチすることが必要だということです。さらにキーガンは問題行動を起こしている原因(上記のWhyの部分)には、そうした方が実は本人にとって望ましいからだという「裏の目標」があると言います。これを彼は「強力な固定観念」と呼んでおり、単に問題行動と反する行動をとっても上手くいかないことが多いのは、これに気づいていないからだと述べています。例えば、禁煙に踏み切った人の実に85%が失敗するそうですが、これはたとえ頭では喫煙による健康被害が分かっており、心から止めたいと願っていたとしても、例えば喫煙によって本人が「精神の安定を得ている」という裏の目標に気づいていないためなのだそうです。これを「変革を阻む免疫機能」と呼んでいます。

なぜ人と組織は変われないのか ― ハーバード流 自己変革の理論と実践
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   最後は「楽観視」。考えてもどうにもならないことに対して、「何とかなる」と考えられる能力を言います。楽観的に考える方法として、①未来志向、②競争しない、③今に集中、④いい加減になる、などが挙げられていましたが、自分の力で努力すれば何とかなる問題と、自分の力ではどうしようもないことを峻別することは大事だと思います。また、先日参加した「第8回筆跡アドバイザーマスターズ研究会」で発表者の方が述べておられたように、不安は過去へのとらわれや未来への恐怖から起こるので、「今」に集中することも大事だと思います。個人的により重要だと思うのは、「なんとかなる」と思えていない自分の感情を否定したり目を背けたりすることなく、受け入れることです。ネガティブな思考や感情を否定したり、克服しようとする無理なポジティブ思考は、かえってネガティブ思考・感情を強化する結果を生みかねません。ポジティブ心理学者のトッド・カシュダンは、「マインドフルネス」に対して、ポジティブ感情とネガティブ感情のバランスをとる「ホールネス」という考えを提唱しています。

ネガティブな感情が成功を呼ぶ
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  さて、第二部は懇親会。懇親会からの方も加わり、色々な話に花が咲きました。いつも明るく楽しく、上品に飲む会です。今回僕と同じ横浜から初めて参加された方も、「参加して本当に良かった」とおっしゃっていました。様々なバックグラウンドをお持ちの皆さんと、胸襟を開いて意見交換や相談のできる、僕にとっても貴重な機会となっています。札幌の皆さん、今回もありがとうございました!

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6年越しの訪問、泡盛の忠孝酒造

2018年11月11日 | BAR&WHISKY etc.


  2012年5月31日に東京・代田橋で「泡盛と沖縄料理の会」に参加し、いずれは訪れたいと思っていた忠孝酒造さんに6年越しで行く機会に恵まれました。

  冒頭の写真は、沖縄三大流派が集った、第1回沖縄国際空手大会の開催記念ボトルです。泡盛の特徴や製造工程については、「泡盛と沖縄料理の会」のページをご覧いただくとして、ここでは見学コースのご紹介をしたいと思います。



  まずは古酒蔵。沖縄では首里城に次いで大きな木造建築物だそうです。



  中には7トン(泡盛2万5千本分)のステンレスタンク数基と甕の棚があります。甕の泡盛は9月4日の「古酒(くーす)の日」に発売するのだそうです。



  忠孝酒造さんでは、甕も自社製造するのだそうです。釉を使わないので、甕由来の風味が生きます。泡盛は瓶内熟成しますが、それが甕だと1.5倍速く熟成するのだそうです。甕の土は南部のジャガール(海のミネラルを豊富に含む硬い土)と北部の赤土を混ぜ、1週間寝かせます。



  それをひとつひとつ、職人が全て手作りします。だいたい5分~6分で1個でき、1日50個~60個作るそうです。



  上の写真のように、粘土から甕になると大きさが45%も収縮し、堅く焼きあがった甕は叩くと高い金属音がします。



  さらに大きい甕はろくろでは作れないため、縄文土器のように手びねり(縄状に伸ばした粘土を成形する手法)で作ります。大甕は二度焼き、その過程で樹液の爆発によって、黒と茶色が入り混じった甕固有の模様がつきます。

  泡盛は20年以上の貯蔵が可能だそうですが、当然年月とともにアルコールが抜けていくため、定期的に少しずつ新しい酒を継ぎ足すことで代々受け継ぐそうです。その際は度数が高いままの泡盛を使います。



  工場の地下の貯蔵庫では、お客さんの泡盛を5年~20年預かることができるそうです。



  製造工程は実際の工場ではなく、泡盛づくり体験ができるスペースを見学しました(泡盛づくり体験は要予約)。



  お土産コーナーでは、新酒から古酒まで様々な忠孝酒造さんの泡盛が試飲できます。6年前の「泡盛と沖縄料理の会」でもいくつかご紹介していますが、今回特に美味しかったのは、2017年度泡盛鑑評会で県知事賞を受賞した12年古酒(40度)です。実にしっかりとした厚みと甘みがあり、芳醇な泡盛らしさを存分に楽しむことができます。

忠孝酒造株式会社



沖縄県豊見城市字伊良波556-2



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ガンガラーの谷

2018年11月10日 | 史跡めぐり


  11月8日、沖縄県南部にある数十万年前の鍾乳洞が陥没してできた亜熱帯雨林、ガンガラーの谷へ行ってきました。「ガンガラー」というのは、地元住民がこの谷に石を投げ入れた時に反響する音からそう名付けられたそうですが、2008年より一般公開されています。1967年にこの谷の先の港川集落で約2万年前の旧石器人(港川人)の人骨が発見されたことから、この谷は港川人の居住地ではないか推定され、2007年より発掘調査が進められています。



  沖縄本島の中南部は、更新世に珊瑚礁が隆起してできた琉球石灰岩と呼ばれる地層。谷の入口は、この石灰岩の浸食でできた見事な鍾乳洞になっており、現在「洞窟カフェ」として開放され、洞窟内にはステージが設けられ、コンサートなども行われるようです。



  この洞窟が現在港川人の発見が期待され発掘調査が進められているところで、これまでに約2万年前の大量のカニの爪や、2万3千年前の貝で作られた世界最古とされる釣り針、1万4千年前の沖縄最古の土器のかけらなどが、上の写真の発掘箇所から発見されています。恐らくここは港川人のゴミ捨て場だったのでしょう。



  洞窟を抜けると、鬱蒼と木々が生い茂り、川のせせらぎの音が聞こえる大きな谷へと降りていきます。ここが実際、かつて鍾乳洞だったところが陥没してできたところです。



  クワズイモの葉。沖縄に広く自生しており、ガンガラーの谷のシンボルマークに使われています。里芋の仲間ですが、その名の通り毒性があり芋は食べられません。



  世界最大の竹と言われるジャイアントバンブー。ただし、この竹は台湾から移植されたものだそうです。



  谷底を流れる小川。かつては上流から排出される家畜の糞尿で汚染されており、公開が延期されていました。それから三十有余年を経て浄化が進み、2008年に公開されました。


  
  ガジュマルの木。これまでフィリピン、タイ、カンボジアなどこのブログでご紹介してきた自然や遺跡度々登場したお馴染みの木です。木から垂れ下がるヒゲのようなものは根で、これが地表に降りると、地中の養分を吸って木が太くなります。これを繰り返すことで、ガジュマルの木は長い時間をかけて他の木を覆い尽くしたり、樹木であるにもかかわらず移動しているように見えることがあるのだとか。以前フィリピン原住民、アニタ族の居住地を訪れた際、アニタ族の間ではガジュマルの木は「悪霊が住む木」とされ、人の気を吸うと信じられていたという話を思い出しましたが、それも分かる気がします。ガイドさんに尋ねたところ、沖縄でもガジュマルにはキジムナーが宿るとされているそうです。キジムナーは、沖縄諸島周辺で伝承されてきた伝説上の妖怪で、樹木の精霊とされています。各地に似たような伝承が残るガジュマルの木には何かあるのかもしれません。

アニタ族の居住区(フィリピン)

ガジュマルの木に浸食された寺院(カンボジア、タ・プローム)

ガジュマルの木に覆われた仏頭(タイ、アユタヤ遺跡群)



  さらに先へ進むと、いなぐ(女)洞といきが(男)洞という二つの洞窟にたどり着きます。手前のいなぐ洞は、縦型の洞窟なので入ることができません。中には乳房や女性の尻のような形をした鍾乳石があるということで、生命の源として信仰の対象となってきました。



  いきが洞。こちらは大きな横穴の洞窟で、ランタンを手に置くまで入ることができます。やはり生命の源として信仰の対象であり、入り口には礼拝に使う香炉がおいてありました。



  その名の通り、こちらは男根を思わせる形をした鍾乳石が多数見られます。ここの鍾乳石は1㎝伸びるのに40年ほどかかるとのこと。つまり、1mあれば4,000年かかっているわけです。優に2mはある鍾乳石は、少なくとも縄文時代後期には既に信仰の対象であったことでしょう。



  クワズイモの葉の裏にいたのは、ナナホシキンカメムシ。他にもたくさんいました。



  ガンガラーの谷の最も有名なスポット、高さが20mにも及ぶ大主(うふしゅ)ガジュマル。先ほど述べたように、ガジュマルの木に霊力が宿ると信じられていたとすれば、この木も信仰の対象であったことでしょう。



  大主ガジュマルの付近には、人工的に石灰岩積み上げた建造物がいくつか見られます。これは300年以上前の墓の跡だそうです。だとすると、昔の人はやはりこの地に霊的な力を感じていたのかもしれません。尤も、ガジュマルの木は成長が早く、これだけ大きな大主ガジュマルであっても、樹齢わずか150年ほどだそうです。かつて信仰を集めていたのは、このガジュマルとは別にあったかもしれません。



  この付近でも、港川人の発見が期待されています。



  右側をガジュマルの木に、左側を石灰岩に支えられた木造展望台、ツリーテラス。先には港川フィッシャー遺跡(フィッシャーとは、崖の割れ目のこと。港川人1号は崖の割れ目から発見されました)のある港川集落、さらに太平洋を望みます。



  最後の洞窟は武芸洞。ここ南城市玉城前川は、棒術が盛んだったそうで、村祭りのためにここで棒術のけいこをすることもあったことから、この名で呼ばれています。地面は平たんで風通しが良く乾燥しているため、港川人の発見が期待できるとして最初に発掘調査が行われました。



  2008年、身長150㎝、年齢40歳と推定される男性の完全な人骨の残る石棺墓が発掘されました。ただし、これは3000年前のものであり、港川人ではありません。このほか、4000年前の焼けた猪のあごの骨や3000年前の土器のかけらも発見されており、長い間ここに人々が居住していたことは間違いありません。

  なお港川人は、縄文人より前からいた、現在のオーストラリアのアボリジニやパプアニューギニアのパプア人に近い人々なのではないかという説が有力となっています。

ガンガラーの谷

沖縄県南城市玉城前川202



  最後に。ガンガラーの谷とは関係ないのですが、今回の沖縄訪問で生で聞いたこちらの歌がずっと頭の中をめぐっていました。

やなわらばー「平和の歌」



繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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関東大学ラグビー対抗戦2018 帝京vs早稲田

2018年11月07日 | スポーツ観戦記


  昨日の記事に続く、秩父宮ラグビー場での第二試合。こちら帝京vs早稲田の観戦も5年ぶりです。公式発表で第一試合15,157人だった観衆は、第二試合には19,810人にまで膨れ上がりました(秩父宮ラグビー場の収容能力は24,871人)。ここまで両校とも全勝での対戦ですが、早稲田の方がこれまで下位チームとの対戦だったのに対し、帝京は前回5点差ながら慶応を退けています。早稲田は対帝京戦、ここ数年全く歯が立ちませんでしたが、今年の夏合宿においては練習試合とはいえ久々に帝京に勝っています。例年、大学選手権決勝に向けてチーム状態を上げてくる帝京に対し、早稲田がどこまで対抗できるのかが見物でもありました。



  試合開始早々、早稲田は帝京陣深く、5mライン付近まで攻め込みます。しかし、そこから帝京の堅いディフェンスに阻まれ、なかなかゲインさせてもらえません。右に左にフェーズを重ねますが、こぼれたボールを奪われ、ハーフウェイライン付近までボールを戻されてしまいます。それでも、桑山選手から再度アタックを仕掛けますが、オーバーザトップの反則。帝京、竹山選手のキックで早稲田陣22mライン付近まで地域を戻され、一転してピンチに。帝京ボールのラインアウト、モールからの攻撃を何度も防ぎますが、最後は帝京が大きく左に展開。余っていた宮上選手にボールが渡りトライ。ゴールも決まり、前半6分で帝京が先制します。これで帝京側に地域をとってラインアウトから攻めれば行けるという攻撃のパターンができてしまったような気がします。2009年の帝京初優勝の時を思い出しました。



  前半13分。早稲田は連続攻撃を仕掛けますが、帝京陣10mライン付近でノットリリースザボールの反則。早い仕掛けで帝京が早稲田陣に攻め込むと、今度は早稲田、桑山選手がハイタックルの反則。これで再び竹山選手が長い正確なキックで地域を挽回、ラインアウトから右へ展開しての連続攻撃。パワーで押しまくって最後は淺岡選手がゴールポスト左に持ち込んでトライ。ゴールも決まり、14vs0。



  前半20分。早稲田はまたしてもゴール中央前で反則を犯し、5mスクラムの大ピンチ。このままスクラムトライかと思われるほどグイグイ押されると、最後は後ろにいたN0.8のブロディ・マクカラン選手がボールを持ち込み、ゴールポスト下にトライ。ゴールも当然決まり、21vs0。前半の半分までで早くも3トライ、3ゴールという厳しい展開となりました。



  早稲田もその後、ハイパントをマクカラン選手がノックオンし、そのボールを拾って横展開、桑山選手が右サイドから大きくゲインして帝京陣深く攻め込みますが、ここでも帝京の堅いディフェンスに阻まれ。結局密集でオーバーザトップの反則を犯し、帝京陣22mライン付近で、帝京ボールのスクラム。竹山選手の長いキックはタッチを割らず、早稲田FBの河瀬選手が反撃に転じようとしますが、帝京ディフェンスに早々につかまり、またしてもハンドの反則。これでさらに5mライン付近にまで蹴り出され、またラインアウトからモールで前進。ラックになってからは帝京の強力なFWが近場近場を攻めてゴールラインに迫ると、一旦は岡本選手が持ち込んだかに見えましたが、これはトライならず。しかし、再びゴール右のスクラムから結局はブロディ・マクカラン選手がトライ。早稲田ディフェンスもよく守りましたが、堪えきれませんでした。ゴールも決まり、28vs0という大差で前半を終えます。早稲田は反則から地域をとられ失点、この繰り返しでした。一方、試合全体を通して反則がわずかに2つしかなかった帝京の規律は見事という外ありません。



  帝京は後半、15人中7名を入れ替えます(負傷交代を含めれば8名)。層の厚さもさることながら、リザーブメンバーにも確実に経験を積ませるチーム作りに、このチームの強さの好循環を感じます。

  後半の入りは目まぐるしい攻防の入れ替わりでした。まずスクラムからボールをピックした早稲田、丸尾選手のパスを帝京がインターセプト。そこから右に大きく展開しますが、ノックオンのボールが早稲田ディフェンスの裏に転がり、ボールを奪った早稲田が右に展開。さらに岸岡選手が帝京ディフェンスの裏にボールを蹴りだすと、ボールは転々とゴール前へ。ゴールを割るかに見えたのですが、ボールはその前で止まり、その間に早稲田が一気に駆け上がります。ボール争奪戦の中で珍しく帝京が反則を犯し、早稲田は帝京陣5mライン付近でマイボールラインアウトのチャンスを作ります。モール、ラックから左へ展開しゴールに迫りますが、そこで痛恨のオーバーザトップの反則。帝京はピンチを脱しますが、ボールをキャッチした早稲田が再度右へ展開。長田選手が大きくゲインし帝京ゴール前に迫ると、今度は左に大きく展開。何度も帝京の堅いディフェンスに阻まれますが、最後は右端でボールを受けた長田選手が22mラインから駆け抜けてトライ。後半5分、ようやく早稲田が反撃を開始します。ゴールも決まり、28vs7。



  しかし後半11分。帝京はまたもタッチキックで早稲田陣深く攻め込むと、マイボールラインアウトからグイグイとモールを押し、あっという間に5mライン付近まで。ラックになってからは強力FWで近場を攻め、中央に寄りながらゴールラインに接近。中央に人数のかかった早稲田ディフェンスの隙を見計らって大きく右へ展開。完全に余っていた木村選手がゴール右にトライ。ゴールも決まり、再び28点差。



  それでも早稲田は後半15分、帝京陣22mライン付近で帝京側のノックオンのこぼれ球を右に展開。岸岡選手の見事なキックが左サイド、帝京陣5mラインの内側でタッチを割ります。帝京はマイボールラインアウトからモールを形成しますが前進できず、キックで地域を戻しますが、今度は22mライン付近での早稲田ボールのラインアウト。下川選手からのパスを受けた中野選手が左斜めに切り込み、左サイドにトライ。これは鮮やかでした。ゴールも決まり、35vs14。



  その後も早稲田が攻め続けフェーズを重ねますが、帝京陣10mライン付近で痛恨のノックオン。これを帝京、北村選手に拾われると、北村選手は60m近くを走り切ってトライ。この失点は全く余計でしたが、王者帝京は早稲田のミスを見逃してはくれません。後半20分、42vs14。



  さらに後半24分、早稲田のオフサイドによる反則で、帝京は無駄な消耗を避けPGを選択。これを竹山選手が決め、さらに追加点。45vs14。ここも早稲田は反則からの失点。



  早稲田は直後の26分、帝京陣10mライン付近でのマイボール・ラインアウトから右に展開。パスを受けた古賀選手が縦に大きくゲインすると、丸尾選手、中野選手がさらにゲイン。最後は丸尾選手がゴール下に飛び込んでトライ。ゴール決まり、45vs21。



  さらに39分、早稲田は帝京陣10mライン付近のボール争奪戦から左へ展開。岸岡選手、河瀬選手とつないで大きくスペースの空いた左サイドからゴールポストの目の前までゲインすると、古賀選手がゴール下に飛び込んでトライ。ゴールも決まり45vs28としましたが、反撃もここまで。



  早稲田は攻撃面では随所に良いところが見られ、ラインアウトも安定していましたが、スクラムで圧倒され、要所でのノックオンと反則からの失点が大きく響きました。昨年と比べれば確実にその差は縮まっていると思いますが、あらゆる面で大きな力量差を感じた試合でした。今後、早慶戦、早明戦と続く中でさらにチーム力を上げていって欲しいと思います。帝京はさすがでした。

繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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関東大学ラグビー対抗戦2018 明治vs慶応

2018年11月06日 | スポーツ観戦記


  11月4日、実に5年ぶりに大学ラグビーの観戦に行ってきました。この日秩父宮ラグビー場で行われた対抗戦Aグループ、明治vs慶応と帝京vs早稲田、二試合連続の観戦です。この5年間で大学ラグビーは関東リーグ戦の大東文化大学や東海大学が力をつけ、かつては関東に比べ実力に開きのあった関西リーグでも天理大学が台頭。対抗戦においては、慶応大学や明治大学が復活の兆しを見せ始め、今年1月7日に行われた大学選手権決勝では、明治大学が王者帝京大学を1点差まで追い詰め、慶応大学も先々週の帝京戦で敗れはしたものの、1トライ差と健闘しました。そうした中でも勝ち続ける帝京大学は大学選手権10連覇を目指しています。



  さて、第一試合の明治vs慶応。ここまで全勝の明治と前回帝京に敗れ1敗の慶応。試合は前半8分に動きます。慶応が明治陣5mライン付近まで深く攻め込んだ、明治ボールのラインアウト。明治武井選手の投じたボールは合わせる予定の片倉選手の頭を大きく超え、慶応川合選手が奪ってそのままトライ。



  医学部で主将、古田選手のゴールも決まり、慶応が先制します。



  対する明治は前半15分。慶応陣22mライン内のスクラムで慶応を圧倒。そこから左に展開してゴールライン際の攻防となりますが、最後は安選手が押し込んでトライ。しかし、さほど難しい角度とは思われないキックを外してしまい、5点どまり。



  追い上げられた慶応は前半20分。明治陣5mライン付近でのマイボールラインアウトから、山本選手がキャッチ。すぐさまパスを受けた山中選手が密集を駆け抜けてトライ。ゴールも決まり、5vs14と再びリードを広げます。



  前半31分、今度は明治。慶応陣10mライン付近、ノックバックで密集からこぼれたボールを右に展開。森選手が慶応ディフェンスの裏にキックすると、山沢選手がチェイスしてインゴールしたボールを抑えトライ。ゴールも決まり、2点差に追い上げます。



  ところが、前半終了間際の39分。明治陣ゴールポスト真下での激しい攻防の末、川合選手が密集の頭を飛び越え、ゴール正面にトライ。キックも決まり、12vs21でハーフタイムとなります。全体としては明治がスクラムで慶応を圧倒しているものの、要所でミスが目立った印象があります。



  後半、慶応は両プロップを入れ替え、多少スクラムに改善が見られました。一方の明治も前半は中途半端にキックで相手にボールを渡しているようなところが見受けられましたが、後半はボールを持って攻め上がるように修正してきたのかなという感じを受けました。全体としては明治が押しながら両チーム追加点を奪えずに迎えた後半20分、慶応陣10mライン付近でボールを受けた明治髙橋選手が一気に走り切りトライ。ゴールも決まって2点差。



  さらには28分、明治はやはり慶応陣10mライン付近から大きく左に展開。またも髙橋選手が独走して5メートルライン付近まで持ち込むと、ラックからさらに左に大きく展開。左端に余っていた山沢選手がパスを受け、トライ。しかし、ゴールキックは大きくポストの右にそれ失敗。それでもこの試合始めて明治がリードを奪います。



  息詰まる残り10分の攻防。明治陣5mラインでのスクラム。前述の通り後半はスクラムが安定してきた慶応は、No.8の山中選手が拾ったボールをそのまま持ち、スクラムの右を駆け抜けトライ。ゴールも決まって、24vs28と慶応が再逆転。



  これが決勝点となって、目まぐるしい攻防に決着がつきました。ミスの目立ったところはありましたが、見ている側としては非常に面白い互角の勝負を見せてくれました。

繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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