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抑止力

2017-08-09 14:45:57 | Weblog

 防衛省が敵基地攻撃能力保有に関して議論を始める、と報道されている。北朝鮮のICBM開発と核弾頭に対する抑止力にしようとの意図だ。

日本国憲法の「専守防衛」の定めとどのように折り合いをつけるか、国内的にも国際的にも激しい議論になるだろう。

北朝鮮だけでなく、ロシアも中国も万一の事態に備えて、米国をはじめ、米国と同盟関係にある国々に向けて核ミサイルの照準を合わせている。これが世間一般の常識だ。

米ソ冷戦時代にMAD という言葉がよく使われた。たとえば、ソ連が米国から、米国がソ連から核攻撃を受ければ、直ちに報復攻撃が開始され、相互に取り返しのつかない大惨事を発生させる。DADとはMutual Assured Destruction(相互確証破壊)のことである。当事者双方が勝者はありえず、あるのは敗者のみという核戦争の深刻な結果を確信して、心理的な抑止力効果を求めて核兵器のストックを積み上げてきた。つまり恐怖の均衡の上に冷戦状態が保たれてきたのである。MADnessとは言い得て妙な言葉だった。

では、米ソ間にあったMADのような共通認識は、米中間にもあるのだろうか。核弾頭の保有数では中国は英仏並みで、米国とは差があるが、米中双方が核は使えないという共通認識をすでに持っていると考えられる。やがて米ロ中の核三すくみ状態に至るだろう。

わかりきった話はこのあたりで切り上げて、防衛省の敵基地攻撃能力保有構想の前提となる敵基地は、いったいどこにあるのだろうか。中国やソ連のミサイル基地は広大な国土に散在し、また陸上移動式のミサイル発射装置もある。さらに潜水艦発射ミサイルもある。

これらの敵基地に対する攻撃能力保有には、いったいいかほどの金がかかるのだろうか。さらに中国やソ連のミサイル基地攻撃を可能にするような軍事力を日本が構想すれば、中国やソ連は日本に照準を合わせたミサイルの数を増やすと、日本を脅すだろう。すると日本がさらなる攻撃能力を備えようとする。抑止力と安全保障のジレンマの始まりである。

米国の核の下で安心している日本人が多いのは、米中ソの間にMADの認識が確立されていると信じているからだ。これに反して、北朝鮮の核とミサイルを理由に敵基地攻撃能力が話題になるのは、北朝鮮は破綻国家であり、破れかぶれの核ミサイル使用もありうるという不安を持っているからだろう。あるいは、北朝鮮を引き合いに出して、このさい日本の軍事力増強を進めようという計画かも知れない。

第2次世界大戦後、日本列島はソ連・中国の共産主義がアジアに拡散する動きを封じるための前線基地だった。ポツダム宣言は、日本に責任ある政府が樹立されたのち占領軍は撤退するとしていたが、米国は日米安保条約を日本と結んで日本に米軍基地を残した。日米戦争によって手に入れた太平洋における米国の覇権を維持するためだった。

中国の太平洋進出の動きは、この地域における米国の覇権への挑戦であると、米国は神経をとがらせている。もし日本の敵基地攻撃能力論議が中国に対するなんらかの抑止効果を持つとすれば、米国もこれを歓迎するだろう。

 

(2017.8.9  花崎泰雄)

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