昨日は、専修大学生田校舎に行った。小田急線の向ヶ丘駅からバスに乗って120年記念館前で降り、10号館に。その教室で行われた米騒動史研究会の研究集会に参加した。
来年は米騒動100年である。九州、関東、静岡、関西というように、各地で研究集会を開く。
米騒動をひたすら研究している物理学者・井本さんに、来て欲しいと言われ参加した。来年7月の静岡は、私たちが主催する予定である。その打ち合わせを兼ねての参加であった。
井本氏は、1918年の全国各地で起きた街頭での「騒動」ではなく、1917年からの労働争議、消費者運動なども米騒動として捉えるべきであると、「広義の米騒動」(これは私の命名)を提唱した。しかし私は、1918年に全国各地の街頭で行われた「狭義の米騒動」こそ重要であると、研究集会の後行われた懇親会で力説した。
懇親会ではいろいろな話をしたが、学問研究するには、やはり東京周辺に居住し、東京で行われている研究会に参加することが決定的に重要であると思った。やはり知的刺戟の量や質が違う。
もう少し若かったら、またカネがあったなら、東京の研究会に通うのだが・・・・
来年は米騒動100年である。九州、関東、静岡、関西というように、各地で研究集会を開く。
米騒動をひたすら研究している物理学者・井本さんに、来て欲しいと言われ参加した。来年7月の静岡は、私たちが主催する予定である。その打ち合わせを兼ねての参加であった。
井本氏は、1918年の全国各地で起きた街頭での「騒動」ではなく、1917年からの労働争議、消費者運動なども米騒動として捉えるべきであると、「広義の米騒動」(これは私の命名)を提唱した。しかし私は、1918年に全国各地の街頭で行われた「狭義の米騒動」こそ重要であると、研究集会の後行われた懇親会で力説した。
懇親会ではいろいろな話をしたが、学問研究するには、やはり東京周辺に居住し、東京で行われている研究会に参加することが決定的に重要であると思った。やはり知的刺戟の量や質が違う。
もう少し若かったら、またカネがあったなら、東京の研究会に通うのだが・・・・