浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

今週の『週刊金曜日』

2023-11-17 16:00:29 | その他

 特集は、「なぜ記者たちは新聞社を辞めるのか」である。辞めるということは、すなわち新聞社に魅力がないということなのだろう。

 新聞の購読者が減っている。わが家に新聞を配達している販売店も、将来のことを考えたのか、他の分野に進出を始めている。

 私は、メディアの中で、新聞がもっとも信頼に足るものだと思っている。

 テレビを見ることから離れてもうかなり経つ。テレビが権力の走狗になってしまっているので見ることはない。テレビの放映の原動力は、テレビ局のカネ儲けであって、それ以外ではないことがもう明白である、公共の電波を利用してのカネ儲け会社であることが主目的になっているので、もうテレビは面白くない、という人がほとんどである。テレビを見ているのは、やることのない老人だけだという指摘もある。そうかもしれない。

 新聞は『東京新聞』をとっているが、毎日読みでがありたいへん満足している。これだけ自由に書けるなら、やめる記者はいないだろう。

 要するに、記者になるということは、自分自身が主体的に自由に取材し、書くことができるから、ということだろう。やる気のある者ほど、自由が必要だ。その自由がなくなれば、それはもう辞めるしかないだろう。残念ながら、自由がなくても平気だという輩がコースに乗って「出世」していく。そういう輩が「上司」となったら、もう辞めるしかないだろう。

 最近、市役所の担当者とごみ有料化に関して何度も話し合いを持っているが、彼等は政府やトップの命令の下に、それを実現するだけの仕事をしているようだ。彼等には自由さがないようで、こういうところで働かないでよかったとつくづくと思う。もし役所になんか就職していたら、きっと早い内におさらばしただろうと思う。

 主体的に自由にものごとに取り組むことが出来ることこそ必要だ。私はカネを稼ぐために就職したが、可能な限り自由に生きてきた。ストライキをやって処分を受けたことがあり、そのぶん収入は減ったが、やりたいことを自由にやってきたからこそ、生きて来れたという気がする。

 そうした自由を求める気風というのは、中学生にその萌芽が芽生え、高校生の時に全開し、それがずっと続いているような気がする。

 『週刊金曜日』には、今週も「「本多勝一のベトナム」を行く」の連載があった。ベトナム戦争、その支援活動に参加することによって、私は自由を求める気風を養った。ベトナム戦争、そしてベトナム人民の不屈の闘いが、私自身の成長に大きな影響を与え、だからこそ今も、私はベトナム人民に感謝し続けている。

 今週も、女性の闘士の現在が紹介されている。彼女たちは、もちろん会ったことはないが、私の同志のようなものだ。この連載は、たいへん楽しみである。かつての女性闘士のほうが年令は上だが、同時代を生きてきたという感じがする。

 

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