浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

レバノンのゴミ

2016-03-13 18:50:29 | 国際
 レバノンは、今、ゴミで覆い尽くされようとしている。その写真と映像。

http://www.buzzfeed.com/tamerragriffin/gomi-kawa#.vonrAx5AG

 レバノンの海岸のゴミ、それが映画になった。

http://trashed.jp/trailer/

 
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土を殺すな!

2016-03-13 09:05:27 | 日記
 ずっとずっと若い頃、有吉佐和子の『複合汚染』を読んだことがある。確かそこに、生きている土にはミミズがたくさんいる、とあったように記憶している。

 ボクが耕している畑に、ミミズを見るようになったのは、耕作を始めて3年目くらいだった。それまでは数年間誰も手を入れていなかったので、土地所有者(実家の隣人)が除草剤を散布していた。除草剤は、毒だから生物は殺される。

 今では、ミミズを発見するし、冬眠中のカエルさんを起こしてしまうこともある。今は見ないけれども、夏など、畑のあちこちにはクモがいて、水遣りをするときに逃げ回る姿を見る。植物を育てるということは、生育する場に生きるすべての生物を生かしていく、そして生態系を維持しながら、それに依存していくということだろうと思う。畑を起こしているときに、じっとそれを見つめている小鳥、ボクが離れたらミミズを食べようとしているのだが、そういう小鳥までもが生態系の一員だ。

 今日、『中日新聞』の日曜版は、津波に襲われた地域の農業・水産業の復興についての特集だ。津波は、農地の表土を奪い去った。表土には、1グラム中100万から1000万の微生物がいるという。肥沃な土地では1億以上だそうだ。
 農に生きる人々は、肥沃な土にするために日々努力する。ボクも籾殻を入れたり、除草した草を土の中に敷きこんだり、堆肥を入れたり、肥沃な土にするためにいろいろなことをしている。だから、そんなに肥料を入れなくても野菜は育つ。
 今、冬の寒さにじっとたえていたキャベツやブロッコリーは春を感じて太り始め、菜花はたくさんのつぼみをだす。タマネギも、急に葉を伸ばしている。季節の移ろいを全身で受け、生長している。
 土は、世代を超え、長い長い時間をかけてつくりだされた、まさに宝物だ。そこで生育した農作物がボクらの生活を維持する。

 津波に襲われた地域の人々は、肥沃な土をつくりだすために、長期間の努力が必要だ。農に生きる人々は、土と離れては生きてはいけない。土と共存しているからだ。

 しかし、ボクは昨日見た福島県飯舘村の画像を思い出す。先祖代々、肥沃な土をつくり、それを維持してきた。それを次の世代に引き継いでいくことも考えていたであろう。
 だがこの5年間、農地に鍬が入らなかった。雑草が覆い尽くし、荒れ地と化している。その農地は、今後も鍬を入れることはできない。
 
 原発事故は、そこに住む人々が長い長い時間をかけてつくりだし、維持してきた肥沃な土を奪い、そこに生きてきた人々の生活を奪い去った。何という絶望か。そういう絶望をつくりだしてしまったことに思いを馳せることなく、政府や電力会社は原発再稼働を推進する。そして、そうした絶望を知りながら、原発が立地する自治体やそこの一部の住民は、再稼働に賛成する。他者の絶望、それはいつの日にか自分自身に襲いかかってくる絶望でもあるのだが、それをカネが駆逐する、見えなくする。

 絶望が襲いかかるとき、土は死ぬ。土は、いつでも生きていなければならない。

 午後、いつものように畑に行く。生きている土と対話するのだ。ボクはそこに豊かさを感じる。土を殺すな!これは農に生きる人々の叫びなのだ。
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