浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

夕焼け

2014-09-14 22:20:54 | 日記
 久しぶりに畑に行った。はじめてつくったとうもろこしの甘さ、おいしさが忘れられなくて、遅く蒔いたとうもろこし。種を買ったとき、まだ大丈夫と言われたけれども、9月に入って暑さがすーっと消えてしまったので、生長しなかった。だからボクは今日、とうもろこしを抜き、畑に穴を掘って埋め始めた。とうもろこしはよい肥料になるというので、穴を掘り、とうもろこしを折って穴に放り込み、そして踏みつけ、土で蔽う。その作業を続けていたら、だんだん暗くなってきて、もうやめようと決めたときには、西の空は美しい夕焼けが広がっていた。

 農作業の後で夕焼けを見ると、子どもの頃のことを思い出す。我が家は先祖から受け継いだ田を所有している(今は、作っていただいている)。中学生の頃までは自作していたので、稲刈りなど夕方まで農作業をした経験を持つ。帰宅する頃には、西の空が赤くなっていて、ボクは母が引くリヤカーの上で夕焼けを見つめていた。

 背景は赤、家々は黒、そしていくつかの窓には、光が見える。このシルエットが何とも言えない。ほんとうに美しいと思う。

 ボクは、とてもとても美しい夕焼けを見たことがある。その夕焼けを見ていて、つくづく生まれてきてよかったと思った。生まれてこなかったら、この夕焼けは見られなかったのだ、と。

 あるとき、アウシュビッツの生き残りの方の手記を読んだ。生き残った方には、ボクと同じように夕焼けをみてみずからが生きているということに感動し、生き続けようと思った人がいたという。

 夕焼けは、命をつなぐ、と思う。
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野枝の海

2014-09-14 18:57:33 | その他


 今年の夏、伊藤野枝のふるさと、福岡市西区今宿を訪れた。暑い日であった。
 今宿駅を出て北に向かう。すぐに唐津街道にでる。左折して少し歩くと交番がある。この交番の位置は、大杉栄や野枝が帰省していた頃から変わらないという。

 交番の脇を右折してまっすぐに進むと、海にでる。玄界灘(今津湾)である。

 「家の裏木戸をでれば、ただちに白い砂浜と荒い玄界灘の波打つ海がせまっている。両手をひろげたように東西から妙見崎と毘沙門山が今津湾をつつんでいる。蒼い水平線のむこうは大空にとけ、白い入道雲がわきのぼっている。手まえには能古島が雄牛がうずくまったように横たわっている。」
 これは、井出文子『自由 それは私自身』(筑摩書房、1979年、22頁)の描写である。野枝は、この海を思う存分泳ぎ回ったという。その海が、ひろがる。

 海岸に沿って建つ野枝の実家。もちろん今は建てかえられているが、そこには甥の伊藤義行氏が住む。私は訪問して、伊藤さんからいろいろなお話を伺った。昨年『伊藤野枝memorial90』が開催されたが、この地では墓前祭のようなものはしていないという。こちらにある墓石の変転もあるように、野枝はタブーとされてきた。90年が経過してやっと野枝の記憶を呼び起こそうという動きがでてきた。

 辞去した後しばらく海岸に座り海を見ていた。海は、とても穏やかであった。
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明日15日は、静岡市で講演会と映画上映が行われる。16日昼、大杉栄・伊藤野枝・橘宗一の墓がある沓谷霊園で、墓前祭が行われる。

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「生活保護」の終着点

2014-09-14 07:20:53 | 政治
 生活保護受給者が増えている。格差拡大は、とどまるところを知らない。円安で輸出産業の代表、自動車業界は大もうけをしているだろう。政府も輸出を増やすという名目のもとに、円安を進めた。しかし、円安が進んでも輸出は増えない。その反面、輸入価格が上昇し、庶民の生活を直撃している。今年四月からの消費税増税も追い風となって、消費が冷え込む。何度も書いているように、給与生活者の給与が少し上昇したかもしれないが、社会保険料などの増額により可処分所得は決して増えてはいない。減っているのではないか。

 当地にあるスズキ自動車も、輸出が増えて大もうけしているのだろう。しかし浜松地方の景気は冷え込んでいる。消費が動かない、何人もの人からそういう話しを聞いている、

 こういう状況の中、生活保護受給者が増え続けているという。経済政策の失敗もその背景にある。しかし政府など、その政治の責任をとるわけではない。いつの時代も、政治の中枢は無責任を貫いてきた。

 生活保護受給額を減らすべく、親族などに負担させようという政策が強化されている。こういう事例が、『東京新聞』にあった。何も考えない行政。なんの配慮もしない行政。こういうことがなぜまかり通るのか、深刻に考える必要がある。


何時、誰もが扶養義務者   2014年9月10日

 「あなたの親族にあたる次の方は生活保護を受給中です。できる範囲内で扶養援助してください」

 医療法人事務職、城世津子さん(55)のもとに今春、大阪市住之江区から、こんな文書が送られてきた。

 「親族にあたる次の方」というのは、三十五年前、母親と離婚した城さんの父親だった。

 父親はギャンブル漬けで借金を重ねた上、家族に暴力をふるった。十九歳のとき城さんは父親に殴られ、前歯を折る大けがをした。三十年以上音信不通で、親戚から死亡したと聞かされていた。

 文書は城さんの二人の妹のほか、大学生のめい、結婚したばかりのおいの新居にまで届いていた。

 住之江区は戸籍などから親族の住所を調べ上げ、互いに存在を知らない孫にまで、機械的に文書を送り付けていた。「思い出したくもない過去を突きつけられた。怒りとともに恐ろしさを感じる」と城さんは言う。

 厚生労働省の指針では、二十年以上音信不通など、受給者との関係を断った親族への扶養の照会は不適切と定めている。

 七月に改正生活保護法が施行され、扶養義務者への圧力が強化された。城さんのようなケースが増えるかもしれない。何時、誰もが当事者になる可能性がある。 (上坂修子)



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児童文学者・清水真砂子氏の講演

2014-09-14 00:18:06 | 社会
 静岡県に住む児童文学者・清水真砂子さんの講演は、すばらしいです。聴いてください。

http://www.youtube.com/watch?v=WOyecB6dHzA
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