マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

中山道を歩く(大宮宿→桶川宿 15.8Km)

2016年12月02日 | 街道を行く

 『木曽街道六十九次』英泉画は「大宮宿」で初めて富士山が登場してくる。今回の中山道行では、4日間とも快晴だったにも拘わらず、残念ながら富士山を遠望すること叶わなかった。その一方で秩父連山はいつもより間近に感じられた。









 さて中山道行の2日目、氷川神社を過ぎた後「大宮宿本陣稲荷」にお参りしようとその場所を捜した。道行く人やお店の方に聞いたりしたが、知る人ぞ全くなし。繁華街から路地裏に入って捜したが遂に発見出来なかった。
 捜しものが徒労に終わり空腹を覚えた一行3人は、繁華街沿いの店で昼食を取ろうとしたが、どのお店も11時からの開店で、暫しの時を待った。小奇麗な店構えのお店へは一番客で入店し、800円台のトンカツ定食を食した。空いたお腹にカツもご飯も味噌汁も美味しかった。昔の旅人にとって道中最大の問題は、食することと排泄。多分立場茶屋が大きな役割を果たしていたと思うが、現代では、食もトイレも旧中山道沿いに多数あるコンビニやスーパーを利用し不便を感じることは殆どなかった。 
 通過途中の上尾に、城北高校で同僚だった大竹さんが住んでいることを思い出した私は、再会が出来ればと思い電話すると、彼は快く「上尾到着は何時?」との返事。


 街道には神社仏閣のみならず馬頭観音や庚申塔など多数存在し、道しるべに不足なし。下の写真の「彩の国 平成の道標」や「中山道」の道標などよく整備されていた。”立場跡“の立場とは昔の休息所であり、高速道路のサービス・ステイションに該当する、などのことも標識から知るのだった。



  

 「宮原駅」を通過し暫く進むと加茂神社。その昔、京都の上加茂神社を勧請したものと伝えられる神社で、神域には入らず門前で道中の安全をお願いした。帰宅後調べると加茂宮は村名となり、その後宮原村へ村名は変わり、現在はさいたま市北区という変遷を経ていた。
 本殿の側面には競馬(くらべうま)で名高い上加茂神社の競馬が彫刻されていることも知った。事前準備不足を嘆いたが後の祭り。

 上尾駅前の広場で大竹さんは待っていてくれた。百名山完登者で今なお地元山岳会で活躍している彼からの差し入れは、山行で必須とされるエネルギー源多数。急の電話にも拘わらずの、長旅には最適の、温かい差し入れに喉を潤した。感謝!感謝!有り難い限りでした。(英泉画「上尾宿」には農家の後ろに加茂之社が描かれている)

  
             (加茂宮神社)                     (競馬の彫物)

 ここ上尾で熊倉さんは急用のため一時リタイヤ―。上尾宿→桶川宿は菅原さんの二人のみでの中山道行。この日は鴻巣宿まで行く予定だったが、7.9Km手前の桶川で折り返し。桶川宿の保存の良さを垣間見て、翌日3人揃ったところでの見物と決めて、二人は桶川から電車乗り継いで熊倉さん実家のある、加須市花崎へと向かったのでありました。

 今日の一葉(東大構内の銀杏)
 
 


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