マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

「東京歴史散歩」を終えて

2017年11月03日 | 東京散歩

 10月28日(土)、都高教退職者会の「東京歴史散歩」は12名の参加で無事終了した。無事?そう、天気予報は雨のところ、殆ど雨には降られずに予定通りのコースを全部歩けたのだ!私はこのイベントを担当して5年となるが、雨の方が多かった。予報が外れて万歳!
 参加者の内訳は退職者会の幹事5名(含む私)、向丘同僚3名、退職者会々員1名、妻とその知人3名の、合計12名。

 コースは、上野駅公園口(10時スタート)→輪王寺→寛永寺→国際子ども図書館→黒田記念館→東照宮(含む五重塔)→大仏パゴダ→時忘れじの塔→清水観音堂→彰義隊墓→「びわ湖長浜KANNON HOUSE」→吉池食堂
 今回の歴史散歩は「上野のお山の知られざる旧跡散策」と謳ったように、会員諸氏が日頃赴かないだろう場所を選んだつもりだった。道すがらその感想をお聞きすると「初めて来ました」という反応が多く、場所選定は正解だったかなと安堵した。予め作成しておいた「一口メモ」を用いて、行った場所の中から、7つほど綴っておく。 

 輪王寺(両大師堂)・・・ここで地図と資料を配布し、自己紹介。
 「宗派は天台宗。山号は東叡山。本尊は阿弥陀如来。通称の『両大師』で知られる。この通称は天海(慈眼大師)と良源(慈恵大師)を祀ることに由来する。輪王寺はもと寛永寺の伽藍の一部で、開山堂または慈眼堂と称されていた」





 寛永寺・・・裏門から入り、根本中堂を前に記念撮影
 「東叡山寛永寺円頓院と号する。開基は家光、開山(初代住職)は天海、本尊は薬師如来。徳川将軍家の祈祷所・菩提寺であり、歴代将軍15人のうち6人が寛永寺に眠る。17世紀半ばからは皇族が歴代住職を務める。天台宗の本山として近世には強大な権勢を誇ったが、慶応41868)年の上野戦争で主要伽藍を焼失した」



 
 上野東照宮・五重塔・・・かつて東照宮の中にあった五重塔は今は上野動物園の中。その経過が書かれた案内版の前から五重塔を見上げた。
 「寛永41627)年、藤堂高虎が上野の自らの敷地内に創建した。社伝によれば、元和21616)年、危篤の家康は高虎と天海に創建を遺言したという。関東大震災や第二次世界大戦でも消失を免れている」











 
大仏パゴダ・・・12時直前パゴダに到着。12時に「時の鐘」の鐘は12打。
 「仏さまのお顔だけが奉られている。なぜこのような御姿になってしまったのだろうか?案内板には大仏さまの数奇な運命がつづられている」(写真:右が大仏パゴダ。下が時の鐘)



 

 彰義隊墓・・・ここでも元日本史担当真中さんからの説明があった。
 「
慶応4年5月15日朝、大村益次郎指揮の東征軍は上野を総攻撃、彰義隊は同夕刻敗走した。いわゆる上野戦争後、彰義隊士の遺体は上野山内に放置されたが、三ノ輪円通寺(現、荒川区南千住)の住職仏磨らによって当地で茶毘に付された」 

 びわ湖長浜 KANNON HOUSE・・・ここへは私達以外の方は皆始めて。
 「滋賀県
長浜市が東京都内で情報発信拠点としてつくった施設。長浜市には、130体を超える観音像があり、その観音像が2か月に1体ずつ、ここにお出でになる。今月は南郷町の八坂神社境内観音堂に伝わった聖観音立像の予定」

 懇親会・・・12名全員参加。吉池食堂9階の見晴らしの良い場所での数献。