2月24日(日)、池袋から弦巻川暗渠を神田川まで下った私は、ここから引き返して、水窪川暗渠をサンシャインビル付近まで遡った。
護国寺門前から江戸川橋まで、弦巻川暗渠は首都高5号線の下を流れていて、面白みを欠いていたのに対し、水窪川暗渠は、大通りに面して建つビル群と音羽の台地の間を流れ、如何にも暗渠といった細道を歩く事になり、非常に楽しい。右手の台地の高さに圧迫感をも感じる。(写真:水窪川が神田川に流れ込む地点)
(高台が音羽台地。かなりの高低差)
楽しさの一つが谷から台地へと通じる坂である。鷺坂・八幡坂・鼠坂とあり、この日は鷺坂と八幡坂を昇った。鷺坂は第8回文の京都市景観賞を受賞した坂で、東京新聞でも紹介されていた。八幡坂はクランク状になっていて、昇るにつれて左折し、更に右折して、漸く坂上に到達。坂の長さでは文京区で1番長いのではと思えるほどの、長くて急な階段ありの坂だった。
(八幡坂)
(鷺坂)
更に上流には今宮神社があり、その前には川が流れていた痕跡を示す、石畳が残されていた。(写真:川筋と直角に置かれた石組が微かに見える)
不忍通りを越えると、暗渠は豊島岡(としまがおか)墓地を左手に見て、非常に狭い道を進む。暫くして、坂下通りと呼ばれる車道を横切る。ここからは、蛇道の様なくねくねした道を進む。と再度、坂下通りと交差した。要するに、暗渠は坂下通りを右に行ったり左に行ったりのS字型を描いている訳だ。この間、井戸が2つあり、マンホールの蓋が多数存在する。時折、空を見上げると、サンシャインが見えたりする。(写真の左側が豊島岡の墓地)
(井戸が健在) (遥にサンシャインを望む)
(暗渠道は細く、曲がりくねっている)
池袋5丁目内の川跡は路地が入り組み、住宅が密集するエリアを抜けている。この一帯はかって「水窪」と呼ばれた低地で、大雨の度に水浸しとなり、川の名前もそこに由来するとか。
終点近くにハイライトが2つ待っていた。一つは都電との交差。網目の柵が通路を塞いでいて、かってはここを川が流れていたのではと想像を逞しくする。
更に進むと、下の写真の様な流路の名残が。「東京『暗渠』散歩」によれば、これはかっての「スガモプリズン」からの排水口跡とか。そう言えば間近に仰ぐサンシャインビルはスガモプリズンの跡地に建築されたのだ。
(向原・東池袋4丁目間を走る都電)
(スガモプリズンからの排水口跡)
造幣局の南端を、都電に沿って進み、池袋からの大通りに出て、今日の暗渠歩きを終了。蟹窪と呼ばれた水源を捜す体力・気力は残っておらず、空腹を大勝軒のラーメンで満たして、池袋繁華街の雑踏の人となった。