由比阿僧―暮らしと歴史

2017年9月26日
僕の寄り道――由比阿僧―暮らしと歴史


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ここは古代より人が暮らし続けた住みよい土地であると言うと、本当にそうだと言うなら証拠を出せと言う。証拠を出せと言われたら遺跡を掘り出して見せるのが手っ取り早いのだけれど、遺跡の一つも出ないところを見ると弥生以前に人が暮らしていたとは考えられないと言う。人の暮らしが営まれなかったと言うなら証拠を出せ言うと、その証拠に遺跡が出ないではないかと言う。遺跡や文献を証文にされるので「ある」という方はいつも分が悪い。だから意地の悪い素人歴史談義は楽しくないのでしたくない。

郷里清水を歩いていて「ああ、ここは暮らしやすそうだな。もう一度人生があるならこんな場所に家を買って暮らしてみたい」と思う場所がある。そういう場所、たとえば市立清水病院近くの天王山あたりも、住宅の下を掘れば古墳、弥生、縄文、旧石器と重層して遺跡や遺物が出てくる。いま住みやすい場所はたいがい大昔から住みやすい。

由比阿僧地区の南面した段丘、日当たりの良い坂道を登りながら、ここで生計が成り立つならば暮らしてみたい場所だなと思う。手島日眞氏が筆を執られていた由比町報をお借りしたので読んでいたら、昭和十年、このあたりの宅地内や畑から石斧(せきふ)、石棒(せきぼう)、石鏃(せきぞく)とともに縄文に分類される土器が見つかり、発見者の学生と教師三名が発掘したと言う。

歴史地理学という学問があるのを初めて知った。遺跡や遺物を探る考古学、古文書や古記録を史料として読み解く歴史学ではなく、地図を地名や行政境界や地表の様子を含めた「景観」として読むことで歴史を探るのだと言う。まさにそういうことを学んでみたかったので講談社学術文庫『地図から読む歴史』足利健亮を読み始めた。

手島氏によれば「あそう」はアイヌの言葉で「ゆたかなみずべ」を意味するのだと言う。大昔から住みやすかった場所に分譲住宅が立ち並び、その斜面をもう少し登った場所に特別養護老人ホームとデイサービスセンターがあるという、現代まで重層した暮らしやすい生活の場になっている。


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