電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
但沼車庫から
興津駅前を午前8時17分に出たしずてつジャストラインバスは8時36分、但沼車庫に到着する。子どもの頃は夏になるとよく興津川上流まで遊びに行った。興津川に沿って身延道国道52号線を北上すると但沼で県道75号線が分岐し、数百メートル先にしずてつジャストラインバス但沼車庫がある。そこから先の西河内・両河内が子どもたちのお目当てだったのだけれど、残念ながら今はそこで終点になってしまい、そこから先は静岡市自主運行バスしかない。
子どもの頃の但沼といったらまだ興津川のほんの入口という感じだったなぁと、乗り継ぎのバス待ちで思う。8時42分発和田島経由土行きバスを待ちながら蝉の声に耳を澄ます。かつて興津川下流に小島藩という石高一万石の小藩があった。大正時代に今のような道ができるまで、小島からこれから向かう布沢集落に行くとすると、一端東海道を西に辿り、庵原、伊佐布、吉原を経て四十坂経由で遠回りするしかなかった。遠回りの原因は但沼から先の道がなかったということだろうか。ちょっと調べてみたい。
8時42分発和田島経由土行きバスが来て、乗り込んだのは若い女性と僕の二人だけだった。ローカルバスの極み。但沼車庫を出ると長又、雨乞、清地、高瀬、和田島となる。次郎長ものなどを読むと和田島が頻繁に登場するが、江尻から和田島まで、江戸時代はどのルートを通ったのだろう。JA両河内支所前で女性は降りてしまい、茂の島東、茂の島、前沢口、大網口と山道を分け入り、次が終点「土」になるわけだが、恥ずかしながら車内アナウンスで「次は終点、どです」というのを聞くまで、「ど」ではなく「つち」だと思っていた。9時01分、無事に土(ど)バス停に到着した。
コメント ( 7 ) | Trackback ( )
« 興津駅前 | 土(ど)村 » |
「ど」だけだとおさまりが悪いので、「どんむら」なんて言い方をします。
地元の人は「土村」と言う、という話は聞いたけど、なるほど「どんむら」かぁ。清水ならそう言いそうな気がするね。
宇都宮線に乗るたびに「The next station is TORO~」というのを聞くたびに、なんか囃されてるみたいで変な感じです。
雨乞も面白い地名ですよね。
興津川の川遊び、何度も行ったのに場所が特定できません。
大人も背が立たないような真っ青な淵があった場所だったな、とバスの車窓から見ていると、同じような場所があちこちにあるので特定できません。
当時住んでいた長屋はまだあります。
パン屋に、映画館、アイスクリーム工場に、加治屋さんいろいろありましたが、本屋はなくて小島の薬屋さんに細々と漫画の月刊誌が売られていました。
但沼から小島まで山道を歩いて幼稚園に通っていましたがここが甲府へ通じる道だったのかもしれません。
この道の周辺は今も面影を残しています。
しかし、但沼に映画館があったと知ってびっくりです。
清地(雨乞のあたり)は、たまにしか連れてってもらえない贅沢な場所でしたね。但沼は、川遊び客をあてこんだ店もあって、たしかにちょっとにぎやかでした。