電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
坂の上の雲――朝日堂まで
2017年8月23日
僕の寄り道――坂の上の雲――朝日堂まで
脚を引きずるようにして県道76号線を歩いていたら、入山親水公園手前の道端に標識があり「銚子口の滝→」と書かれている。県道から右手に折れた山中に滝があるらしい。
疲れているとはいえ滝を見落としたら、滝だけに気持ちが落ち込みそうな気がする。「1.1km 30 分」と書かれており、たかが 1 キロ強を歩くのに 30 分もかかるもんか、ここであきらめたら男じゃないだろうという意地もあり、ためらわずさっさと心を決めて寄ってみることにした。
NHKでドラマ化された司馬遼太郎『坂の上の雲』の冒頭で流れたナレーションが好きで、ちょっときつい道のりを歩くときなど、頭のなかで再生して自分への応援にしている。
まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている。「小さな」といえば、明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。産業といえば農業しかなく、人材といえば三百年のあいだ読書階級であった旧士族しかなかった。明治維新によって日本人は初めて近代的な「国家」というものを持った。誰もが「国民」になった。
で始まるアレで、
彼らは明治という時代人の体質で、前をのみを見つめながら歩く。上って行く坂の上の青い天に、もし一朶(いちだ)の白い雲が輝いているとすれば、それのみを見つめて、坂を上っていくであろう。
のところで涙腺が緩み胸がキュンとなる。
うるうるとし、キュンとしながら坂道を登っていくと 1.1km は遠い。上り坂の 1.1km は平地の 1.1km と違うのだ。もうそうとうのぼって来ただろうと立ち止まると標識があり、残り「0.9km 25分」などと書かれている。
来た道を振り返ると由比川対岸にも同じような坂道が見え、山の稜線には励ますように白い雲が沸き立っている。
上り行く先に視線を戻すと朝日堂と書かれたお堂がある。何処かで聞いた名だなと思い、バス停らしきものがあるので思い出した。この道は来週の編集会議帰省時に、乗ってみるつもりでいたゆいばすの櫻野・阿僧コースなのだった。
コミュニティバスで櫻野まで運んでもらい、そこから坂道を下りながら槍野、銚子口の滝、朝日堂を見ながら下りてくることにしていたのをやっと思い出した。
とんだ無駄足を踏んだわいと、自分自身に呆れ、脚をひきずりながら、もと来た道を県道まで下る。
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滝の登場は、いつでしょうか?
健脚が復活したら、滝の音、山の音、川瀬の音、などもぜひ聴かせてください。
銚子口の滝は寝坊せず8月29日(火)の駒込発4時32分に乗れたら取材予定です。古民家の水琴窟の音や、箱根の西で優勢な蝉の声や、鑓水で採集したヒグラシの声などと詰め合わせて、滝の音もお送りできるようにします。