電脳筆写『 心超臨界 』

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( マルセル・プルースト )

歴史を裁く愚かさ 《 『欧州共通教科書』に見るヨーロッパ中心史観――西尾幹二 》

2024-03-08 | 04-歴史・文化・社会
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『欧州共通教科書』東京書籍訳書の「監修者あとがき」で、木村尚三郎氏はすでにしてこう書いている。「ヨーロッパ大陸にEU,そしてアメリカ大陸にもNAFTAがいずれも本年(1994年)から発足したのに対し、未だ近代の国民国家に固執するわが国は、それだけ未来に対し苦悩も混迷も不安も大きい。その意味で本書は、これからの私たち自身の生き方についても、大きな示唆を与えてくれるに違いない。」


『歴史を裁く愚かさ』
( 西尾幹二、PHP研究所 (2000/01)、p83 )
第2章 なぜ私は行動に立ち上がったか
2 新しい歴史教科書の創造

◆『欧州共通教科書』に見るヨーロッパ中心史観

ヨーロッパ中心史観ということばがある。この『欧州共通教科書』は従来の各国史よりもさらに一段とその傾向を強めている。ヨーロッパとは何か? の自己確認(アイデンティティ)を求めて「共通教科書」が書かれたのだから、今までより自己中心的になるのは当然かもしれない。

例えば帝国書院で翻訳されているイギリス史(Longman)とフランス史(Fernand Nathan)も、まだ翻訳されていない最新のフランス史(Delagrave)も、19世紀から20世紀初頭にかけて「二つの巨人の登場――アメリカ合衆国と日本」というような章を設けていて、ヨーロッパを外から揺さぶる新しい力に目を向けている。

しかるに『欧州共通教科書』にはさっぱりそういう視点がない。「1900年のヨーロッパ――世界の中心」などというようないい気な設定になっている。

ヨーロッパ史として求心力もあり、細部にも魅力のある綜合叙述なのだが、いっそう閉鎖された精神を示している。ヨーロッパ人の意識構造が“守り”に入っていることを証拠立てている。一つの閉鎖文化圏の中で自分を全体として守りつつ、その枠内で、従来の国民国家像を若干修正しようという意図とみる。

ヨーロッパが19世紀型国民国家概念の修正に着手したことは紛れもない。けれども、とかくに日本では誤解がある。これは国境が低くなり、国際連帯が時代の趨勢であることを示す。これを見習い、日本も中国や朝鮮と歴史認識の共有を教科書で可能にしよう、などと言い出す人が必ず出てくる。否、もうそういう人がいて、前提の相違を無視して、ヨーロッパの事例を模範にしようとするたくらみがどこかで行われるに決まっている。

『欧州共通教科書』東京書籍訳書の「監修者あとがき」で、木村尚三郎氏はすでにしてこう書いている。

「ヨーロッパ大陸にEU,そしてアメリカ大陸にもNAFTAがいずれも本年(1994年)から発足したのに対し、未だ近代の国民国家に固執するわが国は、それだけ未来に対し苦悩も混迷も不安も大きい。その意味で本書は、これからの私たち自身の生き方についても、大きな示唆を与えてくれるに違いない。」
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