電脳筆写『 心超臨界 』

明日への最大の準備はきょう最善を尽くすことである
( H・ジャクソン・ブラウン・Jr. )

◆“戦後の戦争”に敗れた日本

2024-06-04 | 05-真相・背景・経緯
◆“戦後の戦争”に敗れた日本


あえていうならば、8月15日に戦闘は終わったけれども戦争は続いていた。その継続されていた“戦後の戦争”において、日本はとことん敗れたのだといっていいかもしれない。戦闘に敗れたことよりも、もっと痛手は大きかった。そしてそれは、「政治」において敗れたというふうにいい換えたほうが正しいように思います。


『歴史を裁く愚かさ』
( 西尾幹二、PHP研究所 (2000/01)、p275 )

あえていうならば、8月15日に戦闘は終わったけれども戦争は続いていた。その継続されていた“戦後の戦争”において、日本はとことん敗れたのだといっていいかもしれない。戦闘に敗れたことよりも、もっと痛手は大きかった。そしてそれは、「政治」において敗れたというふうにいい換えたほうが正しいように思います。

適切な例を一つ、二つ、挙げてみます。

ご年配の方が多いのでご記憶もあろうかと思うのですが、昭和20年8月15日を境に、あっという間にわが国は様変わりして、無責任きわまりない生態変化を示した。内乱もなかったし、集団自決もごく少数しか起こらなかった。だから、あのとき、これでいいのだろうかという思いがしたし、諸外国も林のごとく静まり返ったわが国の戦後の風景を見て、神風特攻隊の出たあの熱狂的な国民の姿としては理解できなかったようで、日本は不気味だという当時の日本の実情を伝える報道が、8月の末から9月の初めにかけて世界中を駆け巡るのです。

なぜ日本人はこんなに急におとなしくなってしまったのでしょうか。戦後における異常なまでの平静と柔順さ――これはわが国の歴史の謎です。また、世界から見ても謎なのです。

過日、慶應大学の小此木啓吾さんと対談をしたとき伺った話ですが、イギリスの研究所などに勤務するドイツ人は、あまり長期滞在できない。イギリス人にいじめられて、勤務を捨ててイギリスを立ち去るドイツ人が多いというのです。ドイツが行ったロンドン空襲をイギリス人は執念深く覚えていて忘れない。いまだってそうじゃないですか。われわれからすれば、イギリス人はアジアの涯(はて)まで植民地にして、どっちが悪いことをしたのかといいたいのに、南の島々で日本がイギリス人をどうのこうのしたと、依然として執念深くそういい続けます。この執念深さのために、ドイツ人は長くイギリスで暮らせないという話です。

そのイギリス人が日本を見て不思議でしょうがない。なぜあれほどの大空襲で民間人を大量虐殺されながら、戦後アメリカへの復讐心が再燃することがなかったのだろうか。なぜ彼らの戦争犯罪を弾劾する声が高まらなかったのだろうか。なぜ国民全体としてあんなにおとなしく頭を垂れてしまったのだろうか。

これはイギリス人から見て世界の七大不思議の一つです。執念深い欧米人としては、おそらくそうでありましょう。実に不思議なことです。50年もたった昨年になって、やっと広島市民が原爆はアメリカの戦争犯罪だといいましたが、遅すぎた感があります。
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