電脳筆写『 心超臨界 』

人は自らの信念の産物である
( アントン・チェーホフ )

◆言論弾圧 《 東京裁判史観を否定する図書7769点が焚書された 》

2024-05-24 | 05-真相・背景・経緯
東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する


GHQ占領下で開催された東京裁判により、日本はアジアを侵略した極悪非道の犯罪国家であるという烙印を押されました。こうした自虐史観が東京裁判によってもたらされたことから「東京裁判史観」と名付けられたのです。しかし東京裁判史観の嘘は裁判当時から明らかでした。当時、戦争は犯罪ではありません。そこで「平和に対する罪」という事後法を持ち出してA級戦犯を捏造し処刑したのです。1951年4月、東京裁判を仕掛けた張本人であるマッカーサーは米国上院の軍事外交合同委員会において「日本の戦いは自衛戦争だった」と証言しています。しかし東京裁判史観を否定するこの明白な事実を日本の公の機関は無視し続けたままです。



嘘も百回言えば真実となる
( ヨーゼフ・ゲッベルス )
A lie told once remains a lie but a lie told a thousand times becomes the truth
( Joseph Goebbels )

もっとも残酷な嘘の多くは沈黙の中で語られる
( ロバート・ルイス・スティーブンソン )
The cruelest lies are often told in silence.
( Robert Lewis Stevenson )



日本のつい昨日までの歴史書や思想書が「宣伝用刊行物」と平然と呼ばれたのです。戦争が終わった翌年にです。敵国がそう呼ぶのはやむを得ないかもしれません。しかし、自国と自国の国民があの戦争に捧げた思想と感情と信念をひとまとめにして、あれは宣伝(プロパガンダ)であったと言えという旧敵国の要求に日本政府は簡単に屈し、ご無理ご尤(もっと)もです、私どももそう思います。あれはみんな悪しき宣伝に躍った間違った考え方でした、だから全部「没収」しましょうといって、7千数百タイトルの単行本を、占領軍の手先になって全国の書店、古書店、官公庁、倉庫、流通機構から輸送中のものも含め没収しました。


◆東京裁判史観を否定する図書7769点が焚書された

『GHQ焚書図書開封』
( 西尾幹二、徳間書店 (2008/06)、p15 )

「GHQ焚書(ふんしょ)図書」というのは初めて聞く言葉だという人が多いかもしれません。GHQ(連合国軍総司令部)は、いうまでもなく第二次世界大戦の後、日本へ進駐してきた占領軍のことです。そのGHQが焚書をしていたのです。「焚書」というのは、流通している書物を止めてしまうこと、廃棄してしまうことです。紀元前3世紀に「焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)」といって、秦の始皇帝が儒教の書物を焼き捨て儒者たちを穴に埋めて殺してしまった有名な事件がありましたが、その事件から焚書という言葉が生まれました。要するに書物を廃棄して国民に読ませないようにすることです。

アメリカ軍が戦後日本でそうした非文明的な行為をやっていたことは案外知られておりません。占領中の相手国の憲法をつくってはいけないという国際法を踏みにじったのもアメリカですが、新聞、雑誌、放送内容の検閲や私信の開封もしてはならないのはもとよりのこと、相手国の歴史を消すこと、本の発禁、禁書は当然やってはならないことです。戦後の憲法は「思想の自由」「出版の自由」を謳(うた)っていますが、占領中の日本でそれを大規模に侵したのがアメリカ自身でした。

それならそれはいつどのようなかたちで行われ、実際に占領軍の望むような政治効果をあげたのでしょうか。また、「焚書」という言葉をアメリカ軍も使ったのでしょうか。

アメリカ軍はもちろん「焚書」とは言わずにConfiscationという文字を主に使い、日本政府は「没収」と訳していました。「宣伝用刊行物没収」(the Confiscation of the Propaganda Publications)というふうに言いました。

日本のつい昨日までの歴史書や思想書が「宣伝用刊行物」と平然と呼ばれたのです。戦争が終わった翌年にです。敵国がそう呼ぶのはやむを得ないかもしれなません。しかし、自国と自国の国民があの戦争に捧げた思想と感情と信念をひとまとめにして、あれは宣伝(プロパガンダ)であったと言えという旧敵国の要求に日本政府は簡単に屈し、ご無理ご尤(もっと)もです、私どももそう思います。あれはみんな悪しき宣伝に躍った間違った考え方でした、だから全部「没収」しましょうといって、7千数百タイトルの単行本を、占領軍の手先になって全国の書店、古書店、官公庁、倉庫、流通機構から輸送中のものも含め没収しました。没収に当たった担当官は各都道府県の知事によって指名されました。本の没収に抵抗する者に対しては警察力が使われました。

こうしたことは今までまったく知られていなかった戦後秘史に属します。日本を占領軍の望むような方向に変えていく政治効果のいかに大きい措置であったかは、今になってはっきりしてきました。本書を読んでいただければ効果のほどが分かるかと思います。

これとは別にGHQが昭和20年(1945年)9月から占領期間中の新聞、雑誌、映画、放送内容、いっさいの刊行物の「検閲」をしていたことはこれまでによく知られています。当時はすべて何でも公刊を企てる者はコピーを2部つくって、GHQの民間検閲支隊(Civil Censorship Detachment [CCD])というところに届け出なくてはなりませんでした。童謡歌手の川田正子さんの「みかんの花咲く丘」がラジオ放送前に歌詞の検閲を受けた話を読んだことがあります。

しかし、ここで私が取り上げている「焚書」(すなわち戦前・戦中の本の「没収」)は戦後の「検閲」とは明らかに別のことなのです。昭和3年(1928年)1月1日から昭和20年9月2日までの間に約22万タイトルの刊行物が日本では公刊されていました。その中から9288点の単行本を選び出して、審査に掛け、うち7769点に絞って、「没収宣伝用刊行物」に指定したというのがここでいう焚書行為というわけであります。

7769点の総リストを作ったのは占領軍です。リストに基づいて実際に本の没収を全国的に行ったのは日本政府です。

大東亜戦争の戦意形成に決定的に役立ったこの時期の、膨大量の知性の表現ですから、占領軍が狙いを定めたのも当然かもしれません。しかしまた日本からいえばこれを欠いてしまったら歴史の正体が見えなくなります。戦意昂揚の熱狂の産物を含んでいたといわれるかもしれませんが、熱狂もまた歴史の一部なのではありませんか。

「焚書」は以上の通り「検閲」とは別件であるだけでなく、一国の歴史の連続性の問題としてこれよりも比較にならぬほどに重大なテーマだといって過言ではないでしょう。

どうしてそれが今に至るまで本格的に取り上げられなかったのでしょうか。それ自体が問題です。本の実物が日本社会の読書人の目の前から消えてしまったことが追求の切っ掛けを失った原因だと思います。これが研究意欲の喪失のいちばんの理由ではないかと私は考えています。焚書は効果的だったのです。被占領国の歴史を消すという。占領軍の先を見抜いていた政策に日本一国がまんまとはまってしまって今日に至っているのだと思います。
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