西園寺由利の長唄って何だ!

長唄を知識として楽しんでもらいたい。
軽いエッセイを綴ります。

ちょっと一息

2009-03-17 | プライベート
現在あたりまえに演奏されている「京鹿子娘道成寺」のことを
書こう思って書き始めた「娘道成寺」はすでに13編になってしまいました。

私が「娘道成寺」を習ったのは子供の頃で、
大学に入って、改めて「娘道成寺」を習い直した時も、
お恥ずかしいことに、「娘道成寺」の前に、
こんなに色々な「道成寺」があったことを知りませんでした。

「娘道成寺」のクドキ、『恋の手習い…、がやたらゆっくりで覚えにくく、
「おお、これぞクドキの元祖」
と、あっけらかんと感心した。ものです。

卒業後、今藤に上がり、綾子先生から「傾城道成寺」を習った時には、
「こんな『道成寺』があったのか」と、ひたすら驚いた印象があります。
地味で、玄人しかそのよさが分からないような曲で、
「今時流行らないわけだ」
と、その時は思いました。

曲には、”はやりすたり”というものがありますし、時代の好みというのもあります。
ですから、何百という曲が作られたのにもかかわらず、時代のふるいにかけられ
たった、300~400の曲しか残っていないというのが現状です。
そして、その中でも演奏会によく出るポピュラーな曲は200くらいです。

「傾城道成寺」は”長歌”から”長唄”になった記念すべき曲であり、
その後の長唄のエキスとなるすべての要素を含んだ曲なのですが、
そこに至るまでには、当然のことながら何がしかの手本となるべき
曲があったわけです。

しかし、残念なことに”長唄”としては現在残っていない。
地歌にはそれらしき片鱗のある曲が残っています。

瀬川菊之丞の「百千鳥娘道成寺」をいかに吸収して、
中村富十郎が「京鹿子娘道成寺」を完成させたのか。

この後,解明していきますが、
これは、後出しほど有利で、おいしくて、さらに
後世に残る確率が高い、という説を証明するようなものでもあります。

何でも先達は”労多くして功少なし”なのです。








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