とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

勝てば官軍と言う誤謬

2020-09-28 23:31:08 | 哲学・社会
本来であれば、社会的語用に関する言葉というのは、一般大衆から自然発生的に生成された言葉が使用選択され、そのニュアンスや背後の認識が語用として広がるべきであり、押し付けられた認識というものは現在の社会倫理としてあるべきではない。
例えば国のトップがこの国の定義においては超絶イケメンなので、皆この人に憧れて恋をしましょうなどというプロバガンダがあったとしても、それに従うことは現代社会において健全ではないとされる。
それは一人ひとり、個人個人がきちんと自分の中で考えた答えを持って行動をすべきだということが、今の西側社会の正解なのだとされる。

が、実際の現実は完全にこれを実装してはいない。
この説明は、現代世界におけるごく僅かに見られる特殊解を指しているのではない。
これは今の西側世界における倫理の綻びを指しているのだ。


65: 世界@名無史さん 2019/12/11(水) 14:58:08.76 ID:0.net
別に勝ったやつが正義と皆が思うわけじゃないよな

勝った奴には逆らえないだけで「逆らえない」と「正義と認められる」は違う
つまり「勝てば官軍」と「勝てば正義」というのも違う


本来であれば、正義とは民衆が選ぶ正しい社会のあり方とその実力的行使なのであって、トップダウンで浸透させるようなプロパガンダではない。
しかし、軍事的勝利や外交的勝利による教育が、その配下の大衆の思想のありようを大きく変更することもままあり、それが正義として最終的に認識されてしまうというのもよくあることなのだ。

この正義とは本来あるべき自然発生的に形成される大衆の集合意識としての帰結の総合観念ではない。
本来ボトムアップで生成されるべき大衆の集合意識としての帰結の総合観念は、往々にして上から与えられてそれを倣うと言う偽的な潮流に飲み込まれるのだ。
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新人プログラマをレビューで殺さない方法

2020-09-28 23:09:39 | IT・ビッグデータ・新技術

新人プログラマをレビューで殺さない方法
https://qiita.com/hiraike32/items/32840b11536fa1b78621
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コロナ鬱に関する作業仮説

2020-09-28 23:01:32 | 哲学・学術・教育
現在「コロナ鬱」と言う文言が新しい社会用語として発信され始めている。

要は、コロナによる外出自粛から、行動範囲がせばまったことにより、自己の心理的状況もよろしくなくなり、鬱状態になるという社会的な心理作用における副次効果をこう言っているらしい。

その見方でおおよそ間違いないとは思うものの、一方において私は別の見方もちょっとだけ考えておきたいと考えている。

それは「コロナに感染した場合、その体内に入ったコロナウィルスそのものが脳の状態を物理化学的・生理学的にその状態を変質させ、鬱にさせる」と言うものである。

いわば脳の活動を直截的に低下状態に落とし込むウィルスではないか、と言う観点もどうだろうかという提案である。

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音楽はビジネスではない。音楽はビジネスである。

2020-09-28 22:50:05 | 音楽
元々魂の浄化や、意識の高揚を高める本質的役割を担った音楽と言うものは、「どれだけ物流量を高めて利益を出すか」と言うテーゼと本来的に混淆することはなかった。

それが音楽の商業化の波に乗り、そうした本質とは別のルートを辿って音楽が産業化され始め、それが2000年代より前に興隆を極めた。

今はなだらかな下降の曲線を辿っている。
創作される音楽そのものの質の悪化というよりは、世代集団に一意に認識される曲が無くなって、あたかも小規模のヒットにしか見えなくなると言うのが原因ではないか、と。

DTMの普及によって、DTMは作曲家を量産した。
そして、どうしても作曲家がいかに増えようが、歌える人間の絶対数が少ないという課題が音楽産業が大量生産する手前のマルサスの罠のような形で量産化を阻んでいたのだが、日本固有の現象としてボーカロイドの普及がなされたことにより、大量生産の時代に入った。
現行日本市場での音楽ランキング上位に3名ほどボーカロイド作曲者が軒を連ねているので、その影響が大きかったことは分かる。

元は魂の活動であったはずの音楽創作とは、利益を出す行為と言う人間活動営為の中でも魂の行為とは真逆の利得の行為へと変遷した時にその本質的意義が失われた。
商業的には成功したものの、その本質的観点における失敗が、その顔を覗かせてきたと言う観測は早合点であろうか。
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円周率の何桁目が何と言う数字であるかというのは純粋な数学的に意味がない

2020-09-28 22:36:16 | 哲学・学術・教育
と思う。

と言うのも、それは10進数だからそうなっているのであって、2進数やn進数の時にその値が変更されるのであり、そうした見方によって値が変わるというのはイデアではないからだ。

あるべきなのは1:πが整数比とならないという認識であり、それが相交わることはないけれども、しかし任意の点から派生する直線距離からなる円弧や表面積、あるいは体積などがこの比率を形成するという知体系のみを純粋数学は追うべきである。


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