今日は朝からいつもお世話になっているお寺でお彼岸のお手伝いをさせて頂きました。穏やかな日和だったせいかお参りのかたがたくさんありました。
このお寺には、じつは我が家の六代前、五代前の先祖たちの墓があります。計算上、ひとりのひとに対して六代前の先祖は「2の5乗=32」名いることになります。が、歴史が好きな私にしても、残念ながら、32名すべてのお墓にお参りすることはできません。お墓がどこにあるかという情報はおろか、名前すらわからなくなってしまっているひともいるからです。そもそも、亡くなったひとはお墓にいるわけではなさそうです。「千の風」のうたのように遍在しているような気がします。だから、名前はわからなくとも自然に対する感謝や愛の気持ちをいつも持っていることが大切なのかもしれません。そうではありますが、このお寺に、たまたま名前の伝わっている先祖たちが眠っているので、仕事の合間、昼御飯前後の手の空いたときにお参りを済ませ、あとは墓地へのお参りのかたにお線香やおしきびを渡す対応をしていました。そうした仕事をしていましたら、ご住職から「きみの親戚がお参りに来られたよ」と呼ばれました。思いがけなく、曾祖父の弟のお孫さんに当たる方が、六代前、五代前の先祖たちのお墓にお参りに来られたのでした。もちろん初対面です。世代の近い親戚どうしとして名刺交換をし、挨拶を交わしました。
お墓参りにはいろいろ面白いことがあるものです。
このお寺には、じつは我が家の六代前、五代前の先祖たちの墓があります。計算上、ひとりのひとに対して六代前の先祖は「2の5乗=32」名いることになります。が、歴史が好きな私にしても、残念ながら、32名すべてのお墓にお参りすることはできません。お墓がどこにあるかという情報はおろか、名前すらわからなくなってしまっているひともいるからです。そもそも、亡くなったひとはお墓にいるわけではなさそうです。「千の風」のうたのように遍在しているような気がします。だから、名前はわからなくとも自然に対する感謝や愛の気持ちをいつも持っていることが大切なのかもしれません。そうではありますが、このお寺に、たまたま名前の伝わっている先祖たちが眠っているので、仕事の合間、昼御飯前後の手の空いたときにお参りを済ませ、あとは墓地へのお参りのかたにお線香やおしきびを渡す対応をしていました。そうした仕事をしていましたら、ご住職から「きみの親戚がお参りに来られたよ」と呼ばれました。思いがけなく、曾祖父の弟のお孫さんに当たる方が、六代前、五代前の先祖たちのお墓にお参りに来られたのでした。もちろん初対面です。世代の近い親戚どうしとして名刺交換をし、挨拶を交わしました。
お墓参りにはいろいろ面白いことがあるものです。