カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

雷雨

2007-04-04 17:10:27 | Weblog
 夕方、外は予報どおりの雷雨になりました。仕方なく学校のPC室に避難しました。

 雷雨というと、ロシアの劇作家オストロフスキーの戯曲『雷雨』のことや、また同作品からインスピレーションを得て書かれたという、チャイコフスキーの最初のまとまった管弦楽作品、序曲『雷雨』のことを思い出します。

 チャイコフスキーの年表によれば、

1864年
(24歳) オストロフスキーの戯曲「雷雨」による序曲を作曲。最初のまとまったオーケストラ曲にあたるが、オーケストレーションの点で師ルービンテインの不興を買う。
*ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」初演
*シベリウス生

1866年
(26歳) ペテルブルグ音楽院を卒業。モスクワ音楽教室講師としてモスクワに赴任する。このころN.D.カシュキン、K.K.アルブレヒトらと知り合う。第1交響曲「冬の日の幻想」を完成、再三にわたり修正を加える。
*スメタナ「売られた花嫁」初演
*サティ生

とあります。

 その昔、チャイコフスキーがモスクワ音楽院講師としてモスクワに赴任してまもなく、芸術サークルで劇作家のオストロフスキーと知り合い、以前にオストロフスキーの戯曲「雷雨」を読んで感動してこれをオペラの題材としてぜひ取り上げたいと思っていたチャイコフスキーは、オストロフスキーに「雷雨」のオペラ化の権利をぜひ私にくれないかと交渉します。が、すでにカシペロフという作曲家がオペラ化の権利を得ていため、チャイコフスキーは承諾を得ることが出来ませんでした。オストロフスキーはその代わりとして「地方長官」のオペラ化を提案してきたうえ、オペラの台本も書いてくれることを引き受けてくれたそうです。このオペラ「地方長官」は、後にチャイコフスキー自身の手によって破棄されましたが、チャイコフスキーのオペラ第1作目となった作品です。

 ちなみに、オストロフスキーの悲劇『雷雨』は、こんな話だそうです。

 内気だが情熱的な嫁のカチェリーナは、無知と野蛮の権化である女商人カンバニーハの家に堪えられず、同じ不満を持つ商人の息子のボリースを愛する。これを夫に告白するが、母親に支配された無能な夫は何もできず、田舎町に噂が広まり、ボリースは流刑になり、カチェリーナはカバニーハに責められ、雷雨の夜にヴォルガ河へ身投げする。。。。。

 外の雷雨はまだ止んでくれません。はやく止んでほしいです。止んだら役場に知事選挙の期日前投票に行ってきます。今週の日曜は朝から一日お寺の法話会です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする